大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 昭和52年(ネ)176号 判決 1984年9月19日

《判決目次》

主文

事実

理由

第一当事者間に争いのない事実と林野庁の労働組合について

第二振動障害の実体

第三わが国におけるチェンソー等の導入実用化とこれによる振動障害の発生

一 当事者間に争いのない事実

二(一) 控訴人が国有林野事業にチェンソー等を導入実用化した社会的背景

(二) 実用化段階におけるチェンソー等の性能とその導入実用化にあたり林野庁が行つた施策など

三 振動工具による振動障害が職業病と認定されるまでの経緯

四 昭和四一年七月一日の人事院の規則改正は振動障害を全身障害としたものではないことについて

第四控訴人の責任(一)

第五控訴人の責任(二)

一 レイノー現象について

二 全身障害説と局所障害説

三 振動工具の振動数による振動障害の差異

四 振動障害の発生機序とその治療方法

五 振動障害に対する法規の改定

六 外国における振動障害と職業病

七 結び

第六昭和四一年七月以降林野庁が採つた施策

一 チェンソー使用実働時間の短縮規制

二 チェンソー等の防振装置、防振チェンソー等の開発と実用化

三 振動障害の調査研究

四 作業衛生管理、健康診断、検診医師に関する施策

五 作業管理の強化と作業環境の整備

六 治療に関する施策

七 振動障害認定者の職種替

八 振動障害認定者に対する補償

九 結び

第七林野庁が昭和四〇年五月以降もチェンソーの使用を中止せず同四四年一二月まで時間規制を行わなかつたことについて

第八被控訴人松本勇関係

第九〃  田辺重実関係

第一〇〃  岩崎松吉関係

第一一〃  山中鹿之助関係

第一二〃  下元一作関係

第一三亡安井計佐治関係

第一四亡岡本吉五郎関係

第一五被控訴人加納勲関係

第一六亡三笠寅藏関係

第一七被控訴人下村博関係

第一八〃   浜崎恒見関係

第六九亡大崎憲太郎関係

第二〇難聴について

第二一国家賠償法二条、一条、民法七一五条による責任について

第二二結び

控訴人

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

森清志

外一九名

被控訴人

松本勇

被控訴人

田辺重実

被控訴人

岩崎松吉

被控訴人

山中鹿之助

被控訴人

下元一作

亡安井計佐治訴訟承継人

被控訴人

安井徳恵

右同訴訟承継人

被控訴人

安井次

右同訴訟承継人

被控訴人

安井信子

右同訴訟承継人

被控訴人

安井末広

亡岡本吉五郎訴訟承継人

被控訴人

岡本由子

右同訴訟承継人

被控訴人

岡本章男

右同訴訟承継人

被控訴人

足達貞子

被控訴人

加納勲

亡三笠寅藏訴訟承継人

被控訴人

三笠秀子

右同訴訟承継人

被控訴人

三笠泰男

右同訴訟承継人

被控訴人

三笠栄一

右同訴訟承継人

被控訴人

乾治子

被控訴人

下村博

被控訴人

浜崎恒見

亡大崎憲太郎訴訟承継人

被控訴人

大崎禹米

右同訴訟承継人

被控訴人

大崎暢彦

右同訴訟承継人

被控訴人

甲斐佳子

右同訴訟承継人

被控訴人

谷脇節子

右同訴訟承継人

被控訴人

大崎睦子

右二四名訴訟代理人

藤原周

駿河哲男

藤原充子

佐藤義彌

竹沢哲夫

小池貞夫

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  控訴人に対し

1   被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同下元一作、同加納勲は各金一三八万三〇〇〇円および右各金員に対する昭和五二年二月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

2  被控訴人三笠秀子は金六九〇万六五〇〇円、同三笠泰男、同三笠栄一、同乾治子は各金二三〇万二一六六円および右各金員に対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

3  被控訴人安井徳恵は金四六〇万四三三二円、同安井次、同安井信子、同安井末広は各金三〇六万九五五五円および右各金員に対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

4  被控訴人岡本由子、同岡本章男、同足達貞子は各金四六〇万四三三二円及び右各金員に対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

5  被控訴人山中鹿之助、同下村博、同浜崎恒見は各金九六六万九一〇〇円及び右各金員に対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

6  被控訴人大崎禹米金二三〇万二一六六円、同大崎暢彦、同甲斐佳子、同谷脇節子、同大崎睦子は各金一一五万一〇八三円および右各金員に対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

四  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一二分し、その一ずつを被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同下元一作、同加納勲、同山中鹿之助、同下村博、同浜崎恒見の各負担とし、その一を被控訴人三笠秀子、同三笠泰男、同三笠栄一、同乾治子の連帯負担とし、その一を被控訴人安井徳恵、同安井次、同安井信子、同安井末広の連帯負担とし、その一を被控訴人岡本由子、同岡本章男、同足達貞子の連帯負担とし、その一を被控訴人大崎禹米、同大崎暢彦、同甲斐佳子、同谷脇節子、同大崎睦子の連帯負担とする。

事実

第一申立

(控訴人)

1  主文一、二、三項と同旨

2  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

3  仮執行の宣言

(被控訴人ら)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者双方の主張は、次に付加するほか、原判決の事実欄第二に記載のとおりであるから、それを引用する。但し、原判決一八頁六行目の「保障」を「補償」と同三二頁三行目の「少くなり」を「少なくなり」と改め、三六頁四行目の冒頭から六行目の末尾までを削除し、三六頁一一行目の「については」から三七頁五行目末尾までを「を認める。」と改め、六二頁一〇行目の冒頭から一三行目の末尾までを削除し、原判決別紙添付の原告らの経歴目録の入署時期中、松本勇のそれを「大正一三年六月二〇日」、安井計佐治のそれを「昭和二七年四月一日」、三笠寅藏のそれを「昭和二七年五月二一日」とそれぞれ訂正する。

(被控訴人ら)

一……訴訟承継関係

一審原告(被控訴人、以下原告という。)安井計佐治は昭和五一年一〇月三〇日、同原告岡本吉五郎は同年一月一四日、同原告大崎憲太郎は昭和五四年一一月二八日、同原告三笠寅藏は昭和五八年一月一四日にそれぞれ死亡し、右各死亡に伴なう遺産相続により、原告安井計佐治の権利義務を被控訴人安井徳恵(妻)、同安井次(子)、同安井信子(子)、同安井末広(子)が承継取得し、原告岡本吉五郎の権利義務を被控訴人岡本由子(子)、同足達貞子(子)、同岡本章男(孫、代襲相続人)が承継取得し、原告大崎憲太郎の権利義務を被控訴人大崎禹米(妻)、同大崎暢彦(子)、同甲斐佳子(子)、同谷脇節子(子)、同大崎睦子(子)が承継取得し、原告三笠寅藏の権利義務を被控訴人三笠秀子(妻)、同三笠泰男(子)、同三笠栄一(子)、同乾治子(子)が承継取得した。

二振動障害(白ろう病、振動病)の病像、進行段階、治療に至難なものがあることの主張を次のとおり敷衍する。

1  振動による障害は血管・神経・筋肉・骨・知覚などに起り、振動を受ける局所のみならず、全身に波及し、中枢神経系・内分秘系にも強い変動を及ぼし、その影響は蓄積する。

振動障害患者には普通次の症状がみられる。

(1) 自覚症状

手指・進行すると手掌・前腕あるいは足趾に至る蒼白現象、同部分のしびれ、いたみ・ひえ・こわばりなどがある。

頭痛・めまい・多汗・胃腸障害・物忘れ・インポテンツなどであるが、日常生活における不便・苦痛として次のものが多い。

イ ごく初期―さわった感じがにぶい、冷えるとにぶくなる。厚着する。指がふるえる。腰が時々いたむ。頭重。

ロ 比較的早期にこたつを入れて寝るようになる。朝起きたとき手がこわばつている。耳鳴、難聴、疲労、頭痛。

ハ 一定度進行した時期―手で風呂の湯加減がわかりにくい。指をはさまれても感じが弱い、懐炉を使用する。腕時計のねじがまきにくくなつた。こまかい字がうまく書けない、こまかい手仕事がしにくくなつた。話し声が聞えにくい、物忘れするようになつた。めまい、体のふらふら、音が頭にひびく、ねむりにくい、どうき、息切れ。

(2) 他覚症状

イ 手指蒼白と常在する血行障害

振動障害患者には、毛細血管から、かなり太い動脈に至るまで、広い範囲の循環障害が存在し、血流障害を生じさせている。

蒼白現象は、末梢皮膚の血管が外部的な刺激によりけいれんを起し、血流の減少、遮断により発生する。

障害は、機能的調節障害として可逆的な段階から、次第に繰り返すことにより、器質的変化となり不可逆的段階に至る。

ロ 神経障害

早期に振動感覚の鈍麻が生じ、更に痛覚・触覚・温痛覚など皮膚表面の新覚鈍麻・しびれ感が続く状態となる。

ハ 組織の栄養障害

常在する血行障害のため、皮膚の硬化、亀裂、爪の変形・筋萎縮・拘縮が起り、筋力・筋運動(握力、持久力、タッピング等)が低下する。

ニ 骨・関節障害

関節の骨の過剰形成・変形・又は骨の萎縮がある。多くは、肘関節・頸椎・手関節の変形であり、骨関節の変形の原因は、単に振動の伝達・吸収のみならず、血流障害による栄養障害等も複合している。

ホ その他

ホルモン系・自律神経系の乱れなどがある。

(3) 以上の症状等から、アンドレーア・ガラリナ(ソ連)は、次のとおり病型分類をする。

イ 血管緊張異常症候群

ロ 血管痙攣症候群

ハ 自律神経性多発神経炎症候群

ニ 自律神経性節膜炎症候群

ホ 神経根炎症候群

ヘ 間脳症候群

ト 前庭症候群

右病型分類からも明らかな如く、振動障害は、多種多様の症状を呈し、かつ、全身症状を呈している。

2  振動障害の進行段階と判定基準

振動病の進行段階と判定基準は多数あるが(甲第七〇、七五、一二三、一二四号証)、昭和四九年一一月高知県医師会振動病研究会の振動病判定基準によると進行段階は次のとおりである。

第一期 症状の少ない初期段階で代償性がある。時々痛みが起つたり、感覚が過敏になつたり、にぶくなる。とくに振動覚の低下がある。爪床毛細血管は攣縮像を示す。

第二期 痛みや感覚異常は消退しなくなる。指や手の皮膚温が低下し、発汗やチアノーゼもみられる。爪床毛細血管の攣縮像は著明になり、知覚鈍麻は指端から次第に拡がり手袋状にもなる。筋の反射的興奮性が亢進する。この時期までの症状は完全に可逆的で、振動ばくろ中止や適切な治療で完全に回復する。

第三期 蒼白発作が起る。チアノーゼをみることもある。動脈血流感覚は減少する。毛細血管像には攣縮型と弛緩型が混在する。腕の痛みや皮膚知覚の鈍麻は強まる。筋の変性が起り、筋電図に異常をみる。神経衰弱状態など中枢性の症状もあらわれる。内分秘機能の異常も認められる。この時期には病理的変化が固定化してくるので、経過が長いものでは治療してもなかなかよくならない。

第四期 蒼白現象がひんばんとなり、部位も拡大し、足にまであらわれる。同様な血管痙攣発作は心臓や脳にも起るようになるから、狭心症様胸痛やメニエル症候群をおもわせる目まいや頭痛が起る。脊髄の病変を思わせる神経障害もみられる。この時期には症状は固定しほとんど元にもどらない。また労働能力は低下し完全な喪失に至る。

3  振動障害の治療に至難なものがあることについて

(1) 振動障害は血管・神経・筋肉・骨等に機能的変化から、器質的変化に至るのであるから、器質的変化に至る場合治療効果が期待できなくなるのは当然である。

第一期、第二期は、一般に可逆性があり、適切な時期に治療(予防的医学的処置を含む)を行えば軽減し回復に向うが、病変が進行するに従つて治療効果は少ない。

(2) 高知県医師会振動病研究会の振動病判定基準によると次のとおりである。

イ 進行段階第一期に該当する者は、要観察として、作業制限(振動工具・作業時間および連続時間の短縮、作業日数の減少)または作業変更を行う。

ロ 進行段階第二、三、四期は、要医療とし、原則として、振動作業を中止させるほか、症状に応じて寒冷下作業、衝撃を受ける作業、重筋作業、上肢の筋肉の持続的緊張を要求する作業など症状を悪化させるおそれのある作業を避け、医師が必要有効と認めたときは休養あるいは入院治療を行う。

(3) 具体的治療方法はその症状に応じ甲第七五号証二六・二七頁のとおりであるが、これら治療方法はとりあえずのもので根本的に治癒させることを考慮すると、罹患者は当然振動機械の使用を中止しなければ治療の効果がないし、現在でも根本的治療方法は確立されていない。

4  被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同山中鹿之助、同下元一作、同加納勲、同下村博、同浜崎恒見、訴訟承継前の被控訴人亡安井計佐治、同岡本吉五郎、同三笠寅藏、同大崎憲太郎(以下、右亡安井、岡本、三笠、大崎の四名を含む以上の一二名を被控訴人ら一二名という。)の本件振動障害の症状は、いずれも指・手掌に蒼白現象が発現したので、その進行段階は少なくとも第三ないし四期にあたり、しかも同人らは右蒼白現象発現後も全林野の振動工具使用中止要求を無視した林野庁当局から長期間チェンソー等を使用させられたため、各自の身体に重大な器質的変化を生じている。

5  控訴人は、労基法施行規則三五条別表第一の二の三の3に「チェンソー等の機械器具の使用により、身体に振動を与える業務による手指、前腕等の末梢循環障害、末梢神経障害又は運動器障害」と記載(以下この記載を①と略称する)されていること及びこの記載とは別個に右別表第一の二の二の11、同三の2、4の各定めの記載(以下この記載を②と略称する)あることをもつて、「現在医学的、社会的コンセンサスが得られているチェンソーによる振動障害は振動に直接暴露された手腕に限局して発生する末梢循環障害、末梢神経障害及び運動機能障害」である、或いは「労基法上も振動障害の概念は振動に起因する障害に限定して捉えている」と主張するが、右①の障害は「業務による障害」というのであつて「振動による障害」というものではなく従つて、①の「障害」自体の中に振動が「直接」関与の障害だけでなく、「間接」関与の障害も含まれており、また①の障害の部位が「手指、前腕」に限局されているものでないことは①に手指、前腕「等」とあることから明らかであるのみならず、右①の定めは①の「業務」が同時に右②の各「業務」ということで、②の各疾病を生じた場合に①、②の疾病を合してこれを振動障害と捉えることを排斥する文章とみることはできない。

蓋し労基法は同法七五条二項に基づき、業務起因性の認められる特定の疾病を業務上の傷病(職業病)として、右別表第一の二の二ないし七において列挙するだけでなく、これに加えて「中央労働基準審議会の議を経て労働大臣の指定する疾病」を掲げ、これにより将来職業病の範囲を拡張する必要ある場合に備えているばかりか、更に右のもの以外でも、「その他業務に起因することの明らかな疾病」を業務上の疾病として認定する余地を残しており、これは業務遂行との間に相当因果関係の存することが証明された疾病を意味するとされ、それ以上にその因果関係が特別に明白であることをも要するものではない。のみならず右労働法規は労働者が業務上の災害を被つた場合、同法規に定める疾病について、一定限度の所定の金額を被災者に対し労基法七八条の場合を除いて迅速に補償、支給する災害補償制度の規定であり、同法所定の範囲内において監督、行政機関が罰則の睨みをきかしてその履行を行政的に監視し、促がすことによりその実施を確保しようとするものである。従つて、右別表第一の二ないし七における特定の疾病の列記は、右の災害補償制度の実施確保のために補償対象とする障害を例記したものにすぎず、右①の定めが控訴人主張のように、振動障害を「手指、前腕等の末梢循環障害、末梢神経障害又は運動器障害」に限定して捉えているというものではないし、また、振動障害を「振動に起因する障害に限定して捉えている」というものではない。

振動病が全身障害(全身的疾病)であることは当審における鑑定人高松誠、同斉藤一の各鑑定結果(以下、右鑑定人両名を甲鑑定人、その鑑定結果を甲鑑定という。)により明らかであり、右鑑定と牴触する控訴人の前記主張及び当審鑑定人小野啓郎、同亀山正邦、同斉藤幾久次郎、同鈴木勝己の各鑑定結果(以下、右鑑定人四名を乙鑑定人、その鑑定結果を乙鑑定という。)は、労基法等の規定を恣意的に曲解したもので不当である(乙二二五号証の一、一七頁、五四頁)。

6  チェンソー等の使用に伴なう振動は、その使用者の手に殆んど吸収され全身に伝達されることは少ないとしても、この振動エネルギーが使用者の全身に逐一伝達される分量は少ないながら、長期にわたり脊椎骨や頭蓋骨から中枢神経に伝達されてそれが累積されるので、その累積による障害が生ずることは当然でチェンソー等の長期使用による振動障害が全身障害であるとする見解は不合理でない。

7  被控訴人ら一二名中には、その提訴者の中に下肢にレイノー現象その他の上肢と同様の症状を呈するものがあるが、これはチェンソーを下肢・腰で強く支持する操作が多く、従つて足、腰からも振動が加えられたという高知における典型的な作業態様も原因になつていて、すべてが中枢を介する病理によつて説明されなければならないものではない。

8  チェンソー等による振動障害の不可逆性、老化現象との関連、不定愁訴症状について

(1) チェンソー等による人体への負荷刺激を振動負荷とのみ解しても、振動刺激で起る反応には生理的で一過性のものから病理的で極めて可逆性の少ない段階までのものがあり、有害な振動への繰り返しばく露によつて生じた人体の病理的状態は、振動ばく露を中止しても、更に治療を加えても容易に元にもどらないものが少なくない。

例えば振動障害患者の動脈壁では平滑筋層がかなり肥厚しているが、これは振動ばく露を中止してから長年月経たものにも見られることは、病変がかなり非可逆的であることを思わせる。指尖振動覚の鈍麻も振動ばく露後長年月経てもほとんど回復しない例が少なくないが、指尖皮膚におけるパチニ小体(振動を感知する感覚細胞)が破壊されているという病理組織学的所見から十分首肯される。近年は振動障害患者では血小板の機能が賦活されているという報告が相次いでいるが、これはすでに振動ばく露から何年も離れている者にもみられる血小板の血中での寿命は数日であるから、このような血小板機能の異常は振動の直接の作用ではなく、体内に血小板を賦活する異常状態が存在することが推察される。

(2) このように、振動の悪影響は長い期間にわたつて存在し、その状態の上に更に老化によつて生理機能が低下した場合、病状が悪化することはありうると考えるのが医学の常識である。

異常な老化によつても起こりうるような症状が、振動ばく露を中止した後に発生したとしても、振動との関連を否定できない。振動の作用で症状発現に近いレベルにまで異常になつた機能系には、わずかの、それだけでは症状があらわれない程度の老化が加わつても容易に発症レベルをこえて症状が自覚されることになる。

振動によつても、老化によつても起こりうる異常があるとしたら、少なくとも振動の作用は症状発現の閾値レベルに生体を近づけたという原因的関与を認めないわけにはいかない。

(3) チェンソー等の振動による人体の生理的反応が症状として病的に顕在化するのは、それまでの刺激・反応関係を超えた異常状態が発生したということであり、その異常状態の継続とその上に加わる刺激暴露は更に異常な状態を押し進める。そうした状態に到達した場合、刺激暴露が中止しても一定の医療が加えられても二次的に新たな障害が生じたり、症状が一定の進行をすることのあることは、振動障害に限られず、一般的に他の疾病についてもいえることであり、振動障害の場合のみが、例外ということはありえない。また他病が加わることによつても増悪、顕在化することのありうることも同様である。

(4) 被控訴人ら一二名が自覚症状として訴えている個々の不定愁訴の症状が、一般的疾病にも共通する非特異的なものであることに別に不思議はなく、諸病の多くに通ずるものであり、問題はこれらの症状が一つや二つだけなら特に取りあげる必要はないが、いくつかを共通にし、しかも深刻な苦痛を訴えるところに各々の疾病の訴えの特異性がある。この原因が夫々確定できないからといつて医師が果して不定愁訴と称して、乙鑑定人の所見のように論じてよいのだろうか。訴える個々のものをばらばらに切りはなし、その個々の一つ一つを不定愁訴ということで振動障害に特有なものでないとして片をつけるのであれば、多くの疾病や加齢現象とて又然りである。そのいうところは詭弁である。

右の不定愁訴は、他覚的に確認しえない訴えを指すものであり、その一つ一つが振動障害に特有のものではないとしても、振動障害を研究した多くの医学者が振動障害患者にこの種の愁訴が高率であることを指摘しているし、不定愁訴という症状は、主に自律神経の機能的異常に由来するものであるという考え方で扱われてきている。そして不定愁訴に属する愁訴が多数訴えられる場合(例えば振動障害患者)には、当然そこに自律神経の異常や失調の存在を考えるのである。振動障害の場合には、レイノー現象をはじめとする血管運動の異常が確認されているし、また異常な手掌発汗も認められるが、前者は自律神経機能の中の血管運動を司る系の異常が、後者は自律神経機能の中の発汗を司る系の異常が存在すると考えられるところから、同時に存在する不定愁訴も亦自律神経系の何らかの機能異常と関連があると考えるのはまことに自然である。

9  控訴人は、乙二九八号証を引用して、ソビエトでもチェンソー等による振動障害が軽症とみられているというが、同国では多年にわたり振動障害防止対策が積み重ねられた結果、右文献記載の如く軽症とみられるようになつたのであり、同号証掲示の表をもつて、チェンソー等による振動障害をすべて軽度とみるのは不当である。

三控訴人にチェンソー等の導入使用につき安全配慮義務不履行による損害賠償責任があることの主張を、次のとおり敷衍する。

(一) 控訴人の林野庁は、その下部機関である林業試験場における調査研究の結果により昭和三二年ころチェンソー等の使用者の身体健康に対し、その振動による悪影響があることを知つたし、遅くとも昭和三四年には確実に熟知していたものであり(甲五、六、一三三、一三五、一三六ないし一四〇号証)、仮に知らなかつたとすればその不知につき過失がある。

(1) 甲六号証は昭和三五年二月付の「チェンソー作業のアンケート調査について」と題するアンケート調査の集約であり、その前書によれば「チェンソーを主体とする伐木造材作業」につき「定型化した作業方法の基準」を示す必要上全国各営林局、署でチェンソーを使用して働らく作業員等を調査対象とし、そのうち相当員数を抽出して行つた全国的調査であるというもので、同甲号証の八頁によると「疲労および自覚症状調査」という見出しの下に「チェンソー使用によつて今迄の人力作業を行つていた時に自覚された疲労症候とはまた変つた症候があらわれてくるのは当然である。即ちチェンソーによる振動、騒音による疲労が人力作業の疲労に加わり、また一方ではR、M、Rから見た場合は肉体的疲労が少なくなるであろうと考えられる。これらのことについて第2表、第3表の調査票をチェンソーを直接使用している伐木造材手について記入してもらった。第2表の作業後症候しらべは日本産業衛生協会における産業疲労委員会で統一したもので、主に主観的な疲労症候を調査するために作られた質問法による疲労感の調査票である。振動、騒音の調査票は我々が過去に発表されている振動、騒音の資料よりまとめて作つた表である」として同号証第2表「作業症候しらべ」9頁、第三表「振動、騒音による自覚症状調査」11頁と各題する内容詳細にわたる質問項目の記載ある調査事項に基いて詳細な調査を行っているものである。

この2、3表の中には調査事項として振動によるしびれ、蒼白、関節痛、筋肉痛の有無についての質問事項がすでにあらかじめ設けられており、しかも、その結果は170表143表以下の表にまとめられており、その症状及びその他心身に異常を訴える者の数は無視できない相当数のものである。

(2) のみならず、控訴人の林野庁当局は、チェンソー等の導入当時において既にこれらの振動機械を操作する作業員の人身に振動障害が発症することを予見していた。すなわち振動障害を発生させる危険のある振動機械(工具)は古く嘉永三年(一八五〇年)頃から使用されてきたさく岩機をはじめ多種多様にわたつており、振動障害の発生はすでに明治四四年(一九一一年)イタリアのロリガLorigaによつて報告され、研究が開始され、その後、大正七年(一九一八年)に米国のアリス・ハミルトソ女史が、インディアナ石灰山の振動機械(工具)を使用する抗夫の指にあらわれた振動障害としての蒼白現象を報告している。

わが国では昭和一三年(一九三八年)の村越による鋲打工の振動障害の報告以後、戦前においても鋲打工、抗夫、はつり工、鋳物工、線路工などの鋲打機(エアーハンマー)手持さく岩機(ジャックハンマー)等の各種振動機械(工具)使用者に振動障害が発生したことが報告され、調査研究がなされてきたが、戦前ドイツではすでに振動障害は職業病とされてきた。更に戦後もわが国では昭和二七年頃から各種振動機械(工具)による振動障害の報告、調査があいついでなされてきていることは甲六六号証、516517頁、或いは甲六七号証313、330頁の各表及び右各号証の関係記事並びに甲七五証等により認められる。

しかのみならず、林野庁がその事業遂行のため被傭者にいやしくも、新らしい機械を導入してそれを使用させる場合には、その安全性についての確認がなされなければならないことは当然のことであり、原審当審における検証の結果によればチェンソー及びブッシュクリーナーは改良後のものもその振動及びその人体に及ぼす状況は相当のものであつて、このことからしても導入のチェンソー、ブッシュクリーナーについてはその安全性の有無という観点での検討考慮が控訴人関係機関によつて当然になされて然るべきものでありなされた筈である。

その際、この操作時における振動が操作する人体に対し何らかの損傷をあたえる可能性、蓋しあたえることになるかも知れない程度の予見は少くともあつたものと認められる。

前記のように林野庁が、その導入後程なくしてすでに昭和三四年頃の時点において甲六号証の前記のような詳細な調査を行つているということは控訴人の「導入」時或いはその頃の「予見」を明らかに示すものである。

(3) 控訴人は、導入当時に予見が不可能であつたとし、その事情として「国有林野事業にチェンソーを導入し始めた昭和二八年当時は勿論、高知営林局へ導入され始めた昭和三四年当時はすでに諸外国においては、チェンソーは広く市販されていて一般に普及化していた」とか或いは「チェンソー導入当初より二、三年間は性能、作業能率等の検討のため試験的に使用していたものであり、これが、生産用具として使用のため、本格的導入に踏切つたのは昭和三二、三年頃からであるが導入した機械の機種はその当時としてはいずれも技術的には最高水準に到達した製品であつた」というけれども、仮にそのいうように諸外国において広く市販され、一般に普及しており、或いは導入機械の機種が当時としては技術的に最高水準に到達したものであるとしても、これらの事情をもつて林野庁が導入の振動機械使用により振動障害の生ずることを知らなかつたものとすることはできない。

また、控訴人は右の国有林野事業または高知営林局に導入され始めた当時はチェンソー等の振動によつていわゆるレイノー現象等の振動障害を発症させる可能性が存することなど全く知られておらず、そのことは当時の時点においてメーカー側からは勿論、医学界や、その作業機械を使用している諸外国の作業員の側からも全く指摘されていなかつたというが、それならば林野庁は何故に昭和三四、五年頃の時点において甲六号証により明らかな詳細内容のアンケートを実施したのであるか。この一事をもつてしても導入時或いはその頃の林野庁の予見を裏づけて余りあるものといわなければならない。のみならず前記の内容における戦前、戦後における振動機械(工具)による振動障害の実情は、いやしくも国である控訴人が、チェンソー、ブッシュクリーナーという振動機械を新らたに導入するにあたり、知らなかつたということでは通用しない内容のものであり、これに加えて外国製品を導入するからには、それが果してわが国民の体格その他の条件に照らし適合するものかどうかということや、前記検証の結果による振動の人体に及ぼす程度状況等をも総合すれば林野庁の導入時の頃の予見は否定できない。

また、控訴人は鋲打機、さく岩機の作動による低周波振動とチェンソー等の作動による高周波振動が人体に及ぼす影響には差異があるから、右低周波振動工具の使用による振動障害が判明しいても、チェンソー等使用により人身障害が生ずることは予見不能であつたというが、たとえ振動の周波が異つても、チェンソー等の使用を継続する場合には、その人体への影響が蓄積することは当然であり、その場合に人身障害が生ずることも容易に予想できるから、控訴人の右主張は失当である。

(二) 全林野労働組合はチェンソー等の使用による振動障害が発生拡大しつつある事態を解消、絶滅すべく林野庁当局にその是正を要求し、全林野四国地本も高知営林局にチェンソー等の使用によつて発生した振動障害につき患者の全面救済、機械の改良・使用時間の短縮等の諸要求を行つたが、これに対する林野庁、高知営林局の対応は不誠意怠慢であり、この労使間交渉の経過の概要は原判決理由第四、二、四に各説示のとおりであつて、林野庁及び高知営林局は、その間の昭和三九年一二月に山田信也が行つた長野営林局管内の振動病患者に対する調査およびその後、全林野四国地本の要請によつて実施された細川汀の振動病患者調査結果(甲六三ないし六五号証)を冷笑視したし、その後現在に至るも、振動障害の病態解明や治療対策に必要な疫学調査を行わないのは、林野庁当局が振動障害対策を怠つてきた一端を示すものといわなければならない。

(三) 控訴人はチェンソー等の導入当初以降、正しい作業基準の確立および機械操作(維持、修繕を含む)ならびに作業方法の訓練指導を実施してきており、チェンソーの導入およびその取扱いについては何ら注意義務違反はないというが、右にいう林野庁の基準や指導どおりの機械操作の結果、多くの作業員に振動障害が発症し、それが増悪の一途を辿つたのであるから、控訴人の右基準や指導が振動障害防止に効果がないことが明らかであり、控訴人としてはこの振動障害が発生し続けている以上、機械の使用を一時的にも中止するなり、もし使用するのであれば、その使用時間を罹患者の発生しない限度内の時間に短縮・制限し、作業員の安全を保持すべき責務があるのに、そうしなかつたことに、控訴人の義務不履行があるといわねばならない。

控訴人は、林野庁が使用するチェンソーにつき昭和四〇年中に、その振動値を三G以下のものに切り換えたというが、その裏付証拠がないのみでなく、甲二〇三号証(五五、五六頁)、一四二号証(八九ないし九〇頁)、乙三二二号証(六二、六三頁)を総合すると、林野庁がチェンソーの振動値を三B以下に抑制しようとの考えを発表したのは昭和五〇年三月二四日付通達(労基発九七号)以降であるし、被控訴人ら一二名はすべて長期間防振装置のないチェンソー等を使用し、その後、僅か数名が、ハンドルをゴムで巻いた程度の防振チェンソー等を使用したが、この程度の防振装置はさして効果がなかつた。

また林野庁は昭和四八年八月ころまで作業員の振動障害認定には、管理医の診断があるもののみに制限し、他の医師の診断を無視した。このことは乙五六号証の通達後も全林野から医師選択の自由を認めるよう要求していること(甲二二、一七七号証―一一七頁三行目以下)により裏付けられる。

(四) 被控訴人ら一二名のチェンソー等操作開始は昭和三三、四年から同三九年間に属し、その操作終期は早い者でも昭和三六年以降であるから、同人らの振動病罹患による操害に対し、控訴人は故意もしくは過失による安全配慮義務不履行による賠償責任を免れない。

四被控訴人ら一二名の振動障害の症状に関し、原判決別紙原告らの症状表記載のほかに、被控訴人ら一二名が林野庁を退職した前後における各自の症状および原判決後(但し、原判決前に死亡した亡安井計佐治、岡本吉五郎については各死亡直前ころ)における各自の症状を後記八の被控訴人らの症状表のとおり追加主張する。

被控訴人ら一二名が林野庁を退職した事情は必らずしも一様でないが、いずれも若く健康なときから山で働き続けたもので、もし振動障害に罹患しなければ、生涯山で働くことに生甲斐を求める者ばかりであるが、振動障害に罹患したため、チェンソー等を握つて作業することに堪えられなくなつたため、訴える正しい方法も知らぬ被控訴人らは、林野庁当局の勧奨により又は退職の理由を明らかにすることなく、山の労働から離脱して行かざるを得なかつた。そして退職後においても、右一二名の症状は回復するどころか、進行している者もあり、亡安井計佐治、岡本吉五郎、三笠寅藏、大崎憲太郎を除く生存者八名はすべて入院治療を必要としており、症状固定といえる者は皆無である。そのうち被控訴人下村博(ハイヤー運転手をしたり、鉄工所工員をしている。)、同浜崎恒見(魚屋をしている。)、亡三笠寅藏(昭和四八年四月まで土建業の現場監督をしていた。)、同大崎憲太郎(昭和五四年一一月二五日死亡まで雑貨店を経営していた。)は林野庁退職後、生活の資を得る必要から他の職に就いたものの、生活の補償があれば、振動障害治療のため入院を希望してきたものであり、就労の故をもつてその振動障害が軽症であるとか、全身的疾病でないとみるとは不当である。

五被控訴人らが本訴で控訴人の安全義務違反(債務不履行)を理由として請求する被控訴人ら一二名の各損害は、林野庁提供のチェンソー等を操作することにより右一二名が被災した肉体的・精神的安全の侵害、あるいは心身に被つた全損傷であり、換言すると、チェンソー等操作の振動に起因する心身損傷だけに限定することなく、右一二名がチェンソー等という重量物を前かがみになるような悪い姿勢で、しかも山林における急斜面等の足場の悪い場所でも操作することに関連する症状を含めるのは勿論であり、また単に手指等の局部だけでなく、脳を含めた全心身の病症であり、さらに振動だけでなく、振動と騒音のストレスによる胃腸障害や体の働きが弱つてくることや、性的能力が弱まつてくることをも含めた一二名ら各自の健康被害、精神的肉体的苦痛、経済的破綻、夫婦生活を含めた生活破壊等の総体をいうのであり、被控訴人らはこの損害を包括して一律請求するものである。

六控訴人の後記二の主張のうち、被控訴人らが昭和五二年七月二八日、原判決の仮執行宣言にもとづき、控訴人主張の各金員を控訴人から取立てたこと(但し、訴訟承継前の被控訴人大崎憲太郎、同三笠寅藏が取立てた各金員については、その後における同人らの死亡に伴なう相続により控訴人の主張二、2、3のとおり、その相続人である被控訴人大崎禹米、同三笠秀子ら九名が控訴人主張の各金額ずつの権利義務を承継取得したこと)を認める。

七控訴人の後記五の主張のうち、被控訴人らが控訴人ら主張の振動障害に対する補償の実施状況表記載の各金員を受領したことは認めるが、その余の主張を認めない。

被控訴人ら一二名が国家公務員災害補償法にもとづき受給しているもののうち、休業援護金は社会福祉として給付されるものであるから、本件請求とは関係がない。

八被控訴人ら一二名の症状表(但し、イ欄が林野庁を退職した前後における症状、ロ欄が原判決後における症状である。)

1  被控訴人松本勇

イ 手指のしびれ、疼痛、両側肩、腕のしびれ、首のつけねの痛み、耳なり、目まい、不眠等により退職を決意し、普通退職より有利な昭和四四年度の「高齢常用作業員の退職に伴う特別措置について」(以下昭和四四年度の特別措置という。)により、昭和四四年九月三〇日付をもつて退職した。

ロ 無職で通院治療を継続してきており、その間一時強いめまいがあり、昭和五七年五月以降一時入院し、治療によりこの点は改善されたが、その後も症状は依然として余り変らず、かえつて悪くなつてきている。現在のところ、生涯なおる様子は全くない。

2  被控訴人田辺重実

イ 安眠できず体が衰弱しており、両手の自由もきかなくなり両腕に痛みがあつたので退職を決意し、昭和四四年度の特別措置により退職した。

ロ 無職で依然通院治療が続いており、症状はよくなる気配が全くみられず、通院先の医師から、これは治らないといわれており、食事、起居に介添えが必要で、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被っている。

3  被控訴人岩崎松吉

イ 睡眠中にも指がひきつり、眠りが浅く、振動障害が一向良くならず、しかも高血圧、糖尿病、皮膚炎の疾病もあつたので退職した。

ロ 無職で依然通院治療が続いているが、症状は変らず本人は死ぬまで治らないとあきらめて生活しており、現在パーキンソン病、糖尿病などの障害が加わつて総合的にみた健康障害は高度である。

4  被控訴人山中鹿之助

イ 営林局の許可を得て療養補償の一環として昭和四四年一月から四月一日まで入院治療をしていたが、右手拇指、左手小指のしびれ、痛みが激しくなり労働することができなくなつたので、昭和四四年度の特別措置に従つて昭和四四年九月三〇日付をもつて退職した。

ロ 無職で暫らく通院治療を続け、昭和五四年一一月から入院治療を続けているけれども、相変らずの症状であり、今なお、中等度ないし高度の振動障害が残つており、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つている。

5  被控訴人下元一作

イ 振動障害に罹患し、体がしびれたりするので仕事が充分にできなくなり、転職することを決意した。

ロ 無職で通院治療を続けていたが、昭和五四年五月からは入退院治療を繰り返し昭和五八年二月二八日退院して、また通院治療を続けているものの、さしたる改善もみられない情況であり、今なお、高度の振動障害が残つており機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つている。

6  亡安井計佐治

イ 両手腕のしびれ、蒼白現象と肺結核のため、入院と退院を繰り返し、結局昭和四二年九月三〇日休職期間満了により退職となつた。

ロ 原判決言渡前の昭和五一年一〇月三〇日に死亡するまで、蒼白現象と肺結核治療のため、入院退院を繰り返したが良くならなかつた。特に、手、腕のしびれを訴えた。

7  亡岡本吉五郎

イ 振動障害に罹患したため、普通退職より有利な昭和三九年度「高齢常用作業員の退職に伴う特別措置」に従つて退職した。

ロ 原判決言渡前の昭和五一年一月一四日に死亡するまで振動障害治療のため通院していたが、日常妻の介護を必要とし、高度の振動障害があつたため、機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を被つていた。

8  被控訴人加納勲

イ 右上肢のしびれの範囲が拡がり、右肘にもしびれを感ずるような症状が続き、仕事をすることができなくなつたので、その頃昭和四四年度の特別措置と同様の取り扱いをして普通退職よりも有利な退職金を支給するという奨めに従つて昭和四四年四月一日退職した。

ロ 無職で通院治療を継続してきたが、その後入退院治療も繰り返すもよくならず、もつと悪くなつていると本人は訴え、今なお高度の振動障害が残っており機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つている。

9  亡三笠寅藏

イ 冬期に度々両手指に蒼白現象が生じて、しびれを感じ、夏期でも気候が急変するとき又は寝返りを打つた際に苦痛を感ずるような症状が続き、これ以上仕事をすると身体の調子が悪くなる一方ではないかという不安感が生じたことと管理者が退職、配置替えを奨めてきたことについて賃金が低下するのではないかという不安を抱いたことにより昭和四三年四月一日付をもつて退職した。

ロ 無職で通院加療していたが、その後、昭和五四年六月から入院治療を続けてきたものの一向によくならないまま、遂に昭和五八年一月一四日直接死因肺癌により死亡したものであり、高度の振動障害が残つており、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つていた。

10  被控訴人下村博

イ 両腕のしびれ感および指に蒼白現象が生ずる症状が良くならず、転職をはかり退職した。

ロ 親戚の鉄工所で働いていたが、そこが昭和五五年九月倒産して、無職の状態にあり、従来どおり通院治療を続けてきているが、整形病院やハリ治療にも通い、腰の痛みが続いており、昭和五五年春と一〇月下旬に蒼白現象が出現する等、格別改善の様子も認められず、今からの就職は困難な情況にあり、今なお中等度の振動障害が残つており、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つている。

11  被控訴人浜崎恒見

イ 手指の蒼白現象および知覚冷覚痛鈍麻の症状が続き、また手首、肘にもしびれ、痛みが生じたので、これ以上チェンソーを使用すると体が駄目になると考えて昭和四二年七月三一日退職した。

ロ 依然通院治療継続中であり、格別の改善はみられず、今なお、中等度の振動障害が残つており、機能的、社会的に日常生活上の不利、不便を被つている。

12  亡大崎憲太郎

イ 手首がしびれ作業が困難となつたので転職を考え退職した。

ロ 昭和五四年一一月二五日死亡まで雑貨店を経営していたが、その間、通院治療を続け、ハリ治療も行う等していたが、良くならず、軽度ないし中等度の振動障害があり、機能的、社会的に日常生活の不利、不便を被つていた。

(控訴人)

一被控訴人らの前記一の主張に対する認否

訴訟承継前の被控訴人安井計佐治、同岡本吉五郎、同大崎憲太郎、同三笠寅藏が被控訴人ら主張の各日時に死亡し、その死亡に伴なう各相続関係、訴訟承継関係が被控訴人ら主張のとおりであることを認める。

二民事訴訟法一九八条にもとずく請求の原因

1 被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同下元一作、同加納勲、同山中鹿之助、同下村博、同浜崎恒見、同安井徳恵、同安井次、同安井信子、同安井末広、同岡本由子、同岡本章男、同足達貞子、亡三笠寅藏、亡大崎憲太郎は、原判決に付された仮執行の宣言にもとづき、昭和五二年七月二八日、控訴人に対し強制執行の手続を行つた結果、同日、控訴人は被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同下元一作、同加納勲、亡三笠寅藏に各一三八一万三〇〇〇円(各元本一一〇〇万円と遅延損害金二八一万三〇〇〇円の合計額)を、被控訴人安井徳恵に金四六〇万四三三二円(元本三六六万六六六六円と遅延損害金九三万七六六六円の合計額)、同安井次、同安井信子、同安井末広に各金三〇六万九五五五円(各元本二四四万四四四四円と遅延損害金六二万五一一一円の合計額)を、被控訴人岡本由子、同岡本章男、同足達貞子に各金四六〇万四三三二円(各元本三六六万六六六六円と遅延損害金九三万七六六六円の合計額)を、被控訴人山中鹿之助、同下村博、同浜崎恒見に各金九六六万九一〇〇円(各元本七七〇万円と遅延損害金一九六万九一〇〇円の合計額)を、亡大崎憲太郎に金六九〇万六五〇〇円(元本五五〇万円と遅延損害金一四〇万六五〇〇円合計額)を、それぞれ支払つた。

2 その後、亡大崎憲太郎が昭和五四年一一月二八日死亡し、その死亡に伴なう相続により、同人が控訴人から取立てた前記六九〇万六五〇〇円の返還債務のうち、その相続人である被控訴人大崎禹米が金二三〇万二一六六円分、同大崎暢彦、同甲斐佳子、同谷脇節子、同大崎睦子が各一一五万一〇八三円分をそれぞれ承継取得した。

3 さらに亡三笠寅藏が昭和五八年一月一四日死亡し、その死亡に伴なう相続により、同人が控訴人から取立てた前記一三八一万三〇〇〇円のうち、その相続人である被控訴人三笠秀子が金六九〇万六五〇〇分、同三笠泰男、同三笠栄一、同乾治子が各金二三〇万二一六六円分を、それぞれ承継した。

4 よつて、控訴人は被控訴人らに対し、右各金員とこれに対する前記給付の日から完済まで年五分の割合による金員の支払いを求める。

三チェンソー及びブッシュクリーナー(以下、チェンソー等という。)の使用による振動障害の発生機序、病態及び病症の進行段階等について

(一) 振動の身体に対する伝播範囲や振動による人身障害の作用は、使用する工具の振動数によつて異なるものであると一般にいわれている。すなわち、低周波振動は体内で減衰することは少なく、しかも低周波域に最大の強さを有するさく岩機等の振動工具の振動では、骨、関節の障害が特徴的であるのに対し、高周波振動は体内で著しく減衰し振動を受ける部位にほとんど吸収され、この高周波城に最大の強さを有する振動によつては、主として血管運動神経の障害が現れる。したがつて振動数のピークが一三〇ないし一五〇ヘルツの高周波城にあるチェンソー等の振動はほとんど手に吸収され、その障害は手腕に限局して現れるものであり、たとえその余の振動が手以外の部位に及んだとしてもその部位に障害を与えるほどのものではない。このことは西欧やソビエトにおける見解とも一致している。

(二) 被控訴人らは、チェンソー等による振動障害が全身的疾病であると主張するが、この全身疾患説はわが国の一部研究者のみが唱える仮説に過ぎず、現在わが国のみならず世界の医学界においては、チェンソー等による振動障害を全身的疾病としてとらえることは誤りであつて、右振動障害は手指のレイノー現象を主徴とする末梢循環障害、末梢神経障害及び骨、関節、筋肉、腱等の異常による運動機能障害という形で、振動に直接暴露される手や腕に限局して現われるものであり、しかもその程度は軽いものであるという見解が一般的である。全身疾患説の母国であるソビエトにおいてすら、チェンソー以外の振動機械による障害一般についてはこれを全身的疾病であるとするものの、ことチェンソーによる障害については中枢神経系の障害が生ずるとは認めていない。

全身疾患説は、頭痛、疲労感、不眠、インポテンツ等の不定愁訴をはじめ多汗、胃腸障害、腰痛など様々な症状、所見をチェンソー等使用による振動障害の自覚症状あるいは神経系の障害として列挙するが、このような症状、所見が振動障害によるものとして医学的コンセンサスを得るためには疫学的あるいは基礎医学的に立証されたものでなければならないところ、頭痛、不眠等の神経系の諸症状と振動障害との因果関係に関する医学的、統計学的な調査研究は、わが国はもちろんのこと世界的にも報告されておらず、逆にこれら不定愁訴をはじめとする自律神経系の諸症状を振動障害の症状所見とするわが国の一部の研究者の考えやその基礎となつた研究は何ら医学的批判に耐えうるものでないことが振動障害に関する世界の著名な学者により厳しく指摘されている。

(三) ソビエトのガラニナらが振動障害の症度分類を行ない(以下、ガラニナ分類という。)、これをもとに、わが国の林業労働災害防止協会が症度分類を行つた(以下、林災防分類という。)が、これらの考えの基礎となつた研究内容は、今日の水準からいえば極めて低く、信頼性に乏しく何ら医学的コンセソサスを得られていないものである。

また、右分類はさく岩機、鋲打機等を含むすべての振動工具による障害について進行段階を区分することを目的としたものであり、チェンソー等の障害がこの分類に直ちに当てはまるものではない。このことはガラニナ自身がチェンソーによる振動障害は中枢神経系の障害はなく軽度な障害と述べていることからも明らかである。しかもこの分類自体その後ソビエトにおいて大きく見直されているのが実情である。

このような多くの問題点を有するガラニナ分類が、わが国の一部の研究者により、振動障害について進行段階を区分する際に、あたかもどのような振動工具にもそのまますべて当てはまる権威あるもののごとく受けいれられ、これを基に作成したのが林災防分類である。したがつてこの林災防分類をそのままチェンソー等使用による振動障害の進行段階区分に利用することは失当である。

なおガラニナ分類及び林災防分類では振動障害の進行段階区分の第一期、第二期では回復が可能であるが、第三期以上になると治療効果がなくなり長期間症状が残るとしているが、西欧諸国において行われた長期継続的調査研究によつて、振動障害はそれ自体重篤なものではなく、また比較的重篤なものであつても回復可能であることが明らかにされており、しかもソビエトにおけるチェンソー等による振動障害罹患者のほとんどはガラニナ分類の進行区分における第一期及び第二期に該当する比較的軽微なものであるとされている(乙二九八号証)。

(四) なお、メートリナらの著書には、七つの病型が掲げられているが、この病型分類は身体の局所に与える工具のみによる障害についての分類ではなく、乗物酔い等にみられる全身振動による障害を含めた振動障害全般にわたる病型分類であり、特定の振動特性を有する一局所振動工具にすぎないチェンソー等による振動障害の病型分類ではない。

しかもメートリナらの著書によるこれらの病型分類はそれぞれの症候群を発症させる周波数等の振動特性についても記述されており、チェンソーによる振動障害は血管緊張異常症候群、血管攣縮症候群及び自律神経性筋膜炎症候群の初期の段階に属し、その症状も比較的軽いものと解されている。したがつて、この病型分類に掲げてある七つの症候群のすべてがチェンソー等による振動障害において発生するかのごとき見解は不当である。

四控訴人には被控訴人らの本件各振動障害につき安全配慮義務不履行がないことの主張を、次のとおり敷衍する。

(一) 林野庁はその事業にチェンソー等を実用導入した際、その使用による振動障害の発生を予見しなかつたし、予見しなかつたことにつき過失がなかつた。すなわち

1 林野庁が、その国有林野事業に本格的にチェンソーを導入した昭和三二年ごろには既にアメリカをはじめ世界の主要な林業国においてチェンソーが広く使用され、わが国においても昭和二六年にアメリカから導入されて以降民有林において実用化されていたところ林野庁がチェンソーを導入した当時には、チェンソーの使用によつて振動障害が発生したという報告例は全くなく、これが発生するかもしれないというようなことは、医学界においてすら全く問題になつていなかつた。そして、今日、おびただしい数にのぼる新しい機械の全てについて、これを実用に供しようとする事業者に対し事前に人体に対するあらゆる影響を調査研究する義務があるとする見解は、産業や経済の実態に対する認識を欠如した非現実的な机上の空論であるといわざるを得ないのであつて、化学物質については、化学物質そのものが有害性を含有していることが多いことから、労働安全衛生法に健康障害防止のための事前調査義務が規定されているが、機械についてはこのような義務を課した法制上の規定は見当らない。したがつて林野庁ないし国においてチェンソーの導入に当たつて、発生の予見が不可能な身体的影響をせんさくしてまで調査研究することを信義則上要求されるべき筋合のものでない。

新しい機械の導入にあたり事業者に何らかの安全配慮義務が要求されるとしても、事業者としてなすべき配慮はその当時の社会通念からみて発生可能と予見できる範囲の影響を考慮すれば足りるところ、林野庁はチェンソーの導入に当たつて動力作業試験委員会を設置するなどして、この安全性等の検討を重ねた上で実用化に踏みきつたから、控訴人にこの点の調査義務懈怠はない。

2 林野庁がチェンソーを導入した当時、既に、チェンソー等と同様の振動工具である鋲打機、さく岩機等の使用によつて振動障害が起こることが明らかになつていたし、労働基準法上もこれら工具による振動障害が職業病に指定されていたけれども、打撃振動工具である鋲打機、さく岩機と、回転振動工具であるチェンソーとは外見上はもとより構造上著しく異なり、またさく岩機等の場合は機械の作業対象物からの反発力を作業員自身の身体で直接受け止める形で機械を把持して作業に従事するのに対し、チェンソーの場合は手入れの十分に行き届いたソーチェン(鋸)を使用する限りは鋸が木材の切断面にくい込むとあとは機械の重量を木材に預ける形で作業員が軽く機械を支えていさえすれば、一瞬のうちに一作業も完了してしまうという作業方法の違いがある。しかも打撃工具による振動障害も多発していたという訳ではなく、わが国においては主として鉱業、建設業で毎年わずか数例の発生が報告されていた程度で(乙一八五号証の一ないし五)、その症状も危険な性質のものでなく、寒冷時の戸外レクリエーション等の際に、多少の不便を感じる程度のものであると考えられていたに過ぎない。したがつて臨床医師もかかる症状をみる機会がほとんどなく、大学の研究者の間でも関心が持たれていなかつたし、一般社会においては振動障害なるものの存在すら知られていなかつた。

このような観点からするとさく岩機の打撃振動工具による振動障害に関する一、二の医学的論文があつたことや、打撃振動工具による振動障害に関する労働基準法上の扱いを根拠として、チェンソー等による振動障害の発生を予見できたものであるとする見解は、当時の実情等を正しく理解しているものとは到底いえず、不当である。

(二) 振動障害の発生が判明して以降も林野庁のこれに関する施策に安全配慮義務の不履行はなかつた。

1 チェンソー等による振動障害の発生が明確になつたかどうかは、医学的知見及び社会の一般的認識のもとで、チェンソー等の使用者に相当程度に共通する身体的変化の発生が認められ、しかもその身体的変化が有害な疾病といえる程度に達したものであるということが明確になつたものであるのか否かが問題とされなければならない。すなわち、そもそも、振動障害にいう障害の内容そのものが、現在に至るも明確に確定されているわけではないことからしても、被控訴人ら指摘の昭和三四、五年当時の林業試験場の調査及び長野営林局における訴え者の発生という事実によつては、振動障害の起こることが明確になつたと評価することはできず、このことは、次の事由からも裏付けられる。

(1) 昭和三四年に行われた農林省林業試験場の調査は、当時国有林野事業におけるチェンソーの普及が一段と進み、その定型化して作業方法の基準化が要望されていたため、このような要望にこたえるために実施されたもので、この調査はあくまでもチェンソーによる作業方式に関する基礎資料を得るためのものであつたところ、同調査資料によると、しびれ、蒼白等の現象は疲労症候の一つとしてとらえており、この資料のどこを見ても、そのような徴候が今日いわれている振動障害の前兆であることを示唆している箇所がないばかりか、その可能性についても何一つ指摘されておらず、職業病として指定されているさく岩機及び鋲打機の作業によつて発現するレイノー現象と類似するというような指摘も全くなされていない。むしろ反対に振動障害の特徴といわれる蒼白現象は、チェンソー作業の経験を三年六か月以上積んだベテランの作業員についてはほとんど出ていないこと、さらに調査に協力した大部分の営林局(一二局中七ないし八局)においては、「蒼白」又は「蒼白・しびれ」を経験したと訴えた作業員数は皆無であつたことなどの調査結果から、当時の調査担当者自身、蒼白現象は仕事に慣れることによつて消える回復可能な一過性の疲労症候であると考えていたものである。

したがつてこの調査結果をもつてチェンソー等の使用により振動障害の起こることが明確になつたと断定することはできない。

(2) 次に、長野営林局管内作業員による訴えに関する実情は昭和三五、六年当時、長野営林局管内のチェンソー作業員の一部(昭和三五年度は一三名、同三七年度は五名。なお、同三八年度に行われたアンケート調査に対して回答を寄せた長野営林局管内のチェンソー作業員は二七九名である。)から手指が白くなるとの訴えがあり、同営林署ではこの原因等について営林署の管理医、坂下病院の医師等の意見を聞いたところ、これはチェンソーの使用が原因なのでなく、むしろ本人の健康状態などに原因があると考えられ、心配するほどの症状ではないとの回答を得、また作業員らの訴えの内容も、その症状は一過性のもので日常生活や作業にも支障はないというものであつたことから、当時、これが格別重大な問題であるとは考えていなかつた。

その後、労働組合からの調査要求(この要求も機械化による身体への影響全般についての調査を求めるという漠然としたもので、特にチェンソー等の使用による振動障害の発生の疑いがあるから調査すべきであるという内容のものではなかつた。)をも踏まえ、長野営林局は林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査を行つた。この調査の結果、チェンソー使用者の中に手指の白ろう化や無感覚になる症状を経験したことがあると回答した者が一五名いたが、これらの者が訴えた症状も日常の作業等には全く支障がない程度のものであるということであつたうえ、これらの者も調査時点では、右のような症状が現われていると訴えた者は一人もいなかつた。

したがつて、長野営林局管内のチェンソー等使用者のごく一部の者が蒼白症状等を経験したことがあると訴えたことのみをもつて直ちにチェンソーによる振動障害の起こることが明確になつたとはいえない。

2 また、昭和三〇年代における振動障害に関する医学的研究は、打撃振動工具によるものがわずか数例報告されていたに過ぎず、しかもその障害の程度も軽く、防寒や職種転換を必要とするほどのものではないと考えられていたし、行政上の取扱いについても昭和二〇年代と同様、さく岩機等の打撃振動工具による振動障害のみが職業病の対象とされていたが、この発生状況も社会的な問題となるほど多発していた訳ではない。ましてやチェンソー等による振動障害については、この当時チェンソー等が国有林はもとより世界各国で広く使用されていたにもかかわらず、当時の論文の内容をつぶさに検討しても、振動障害が発生したとか予見されると述べている報告や文献は全く見当らない。

このような状況のもとで、林野庁はその国有林野事業において、チェンソーの使用に際しての取扱不注意等からの事故等を防ぐための一般的な労働安全衛生に関する諸対策はもとより伐木造材作業基準及びチェンソー取扱要領の制定、機械使用技術研修の実施等当時予見し得る労働安全衛生上の諸問題についても速やかに適切な措置を講じ、当時予見し得た範囲内において危険回避のために万全の措置を講じていた。

3 昭和三八年のアンケート調査(甲第一一号証)について

本アンケート調査は国有林野事業における機械化が本格的に進められてのち約一〇年を経過した中で、チェンソー、ブッシュクリーナーのみならず集材機等をも含めた林業機械一般が災害や健康面に対して影響を与えているか、与えているとすればどのようなものなのかについての実態を調査することを目的として、林野庁の各種林業機械作業従事者全員を対象として全国一斉に行われたものであり、その結果は集計や分析を経て同三九年夏ごろに明らかになつた。この調査結果によるとチェンソー等使用者の内六パーセント弱の者が、レイノー現象、指のしびれ等の自覚症状を経験したことがあるのかという問に対して、これを肯定する旨の回答をしていることが判明したものであるが、チェンソー作業には従事していない集材機、トラクター使用者からも同様の症状を経験したことがあるという回答もあり、このような症状の原因が果たしてチェンソーの使用によるものであるのか否かさえ明確でなかつた。

また林野庁が右のアンケート調査結果に基づき何らかの対策を講ずるとしても、当時の振動障害に関する医学的社会的知見のもとにおいては、林野庁としては、まずチェンソー使用とレイノー現象、指のしびれ等との関係の有無を医学的に解明することから始めなければならず、数少ない専門家の協力を得てこのような作業を行うためには、事柄の性質上ある程度の期間を要することは当然であつた。

このような事情の中で、林野庁は、専門家の意見を聞き振動障害の医学的実態調査としての臨時健康診断を行うこととし、診断基準等の検討を経て、右アンケート調査により問題が提起されてから、わずか半年余の昭和四〇年三月にはこの健康診断を実施し、これを端緒として、以後数多くの振動障害の予防治療対策を実施したのであるから、林野庁の対応は評価されこそすれ、「アンケート調査を行つたが、……振動障害について誠実に取り組もうとはせず、ようやく昭和四〇年に入つてから振動障害の本格的検討を開始した」などという非難を受けるいわれはない。

さらに、林野庁は、右の昭和四〇年三月における臨時健康診断を実施した後においては、わが国医学界の権威者から成るレイノー現象等対策研究会を設置し、同研究会の審議を経て、同年八月にはわが国で初めての振動障害に関する診断基準ともいうべき局所振動機械に対する健康診断の実施要領を作成してこれを実施に移し(いわゆる年二回の特殊健康診断の開始)、その後も右研究会(昭和四二年には林業労働障害対策研究会と改称)の報告や数多くの委託調査研究(昭和四〇年から同四六年までの間に限つても、東京大学医学部、労働科学研究所ほか九か所に対し、二九種の研究委託を行つている。)の結果を参考にして同要領を逐次改善し、振動障害の診断、治療が適正に行われるよう最大限の努力を傾けてきたところであつて、この林野庁が確立した振動障害の診断要領は、医学界においても先駆的であるとの評価を受け、また林野庁が数多くの研究機関に委託した調査研究結果は振動障害の病理の解明や予防、治療対策の確立に多大の貢献を果たした。

4 昭和四〇年にチェンソー等による振動障害がいわゆる職業病に指定されて以降における林野庁の施策措置について

(1) チェンソー等による振動障害がわが国の医学界で初めて取り上げられた昭和四〇年当時、振動障害に関する診断方法はいまだ確立されておらず、レイノー現象こそが振動障害の最も特異な症状とされ、昭和四六年に林野庁の診断要領においてレイノー現象の誘発検査が除外されるまでは、振動障害であるか否かの診断に当たつて、この現象を最も重視しようという考えは、医学界においても何ら変わることはなかつた。このような状況下において林野庁が振動障害の認定に当たつてこの現象を重視したことは、医学界の動向と軌を一にした当然の措置であつた。

さらに振動障害の認定に当たつて林野庁がレイノー現象を重視したという事実はあるがレイノー現象が発現した者でなければ振動障害として認定をしなかつたわけではなく、昭和四一年一〇月二八日付け林野庁長官通達に基づき総合判断により認定できる方途をも講じていた。

(2) 次に、昭和四〇年以前におけるわが国の振動障害に関する研究はさく岩機等の打撃振動工具によるものが数例報告されていたに過ぎず、チェンソーによる手指の蒼白現象についての研究が初めて報告されたのも昭和四〇年のことであつて、この当時ごく一部の者を除く大多数の医師は、振動障害について専門的知識を全く有していなかつたし、具体的な臨床例に接したこともなかつたといつて過言でない。このような状況の中で、林野庁は営林署、営林局の管理医に振動障害に関する十分な知識を修得させ、管理体制の充実に努め早急に適正な診断、予防、治療等の対策を進めるため、医学的専門家からなる各種委員会を設置し、前述のとおり各種の医学的、工学的調査を大学や研究機関に委託し、こうして得られた研究成果を管理医に提供し、管理医会議の開催等を通じて健康診断方法等に関する打合せ等を重ねるなどして、管理医こそが振動障害の専門医たるよう体制の充実に努めてきた。このような状況下において、林野庁が管理医の意見を重視したことは当然のことであつた。

さらに林野庁は振動障害の診断を必ずしも管理医に限つていた訳ではない。災害補償の取扱いに関する前記昭和四一年一〇月二八日付の林野庁長官通達において、公務上の疾病と認定するには管理医、検査を委嘱した医師、公的医療機関の医師等が認めればよいものとされていた。

(3) 人事院規則改正によりチェンソー等による振動障害が職業病に指定されたのは昭和四一年七月のことであるが、これより前の時期にチェンソー等による振動障害を公務上の疾病と設定するためには、人事院の承認が必要であつたところ、林野庁は、同四〇年三月に実施した臨時健康診断結果に基づいて人事院と協議を重ねて尽力した結果、右人事院規則改正より前の時点において、三三名の作業員が公務上の災害として認定を受けることができたのであり、その後ももちろんのこと林野庁は早期認定、早期治療を基本理念として逐次認定事務の改善を図つてきた。

5 レイノー現象が発現している現場作業員につき、昭和四〇年以降も振動機械の使用を全面的には禁止しなかつたことについて

(1) わが国の医学界が振動障害問題に本格的取組みを始めたのは昭和四〇年以降のことであるが、昭和四〇年当時においては、いまだ治療方法も確立されておらず、また使用時間と振動障害との困果関係も明確になつていなかつた。このような医学界の状況下にもかかわらず林野庁は、昭和四〇年には既に振動障害認定者について、本人の意向を参酌の上、原則として職種替えの方針を明らかにし、その後も一貫して、このような基本的考えに基づき、各営林局、営林署に対する指導を行つてきた。

しかしながら、現在作業員の多くは、振動障害の症状が比較的軽かつたうえ、職種替えに伴う賃金が若干減少することなどから職種替えを希望せず、林野庁の基本方針にもかかわらず、円滑な職種替えが進まなかつたという事実も遺憾ながらあつた。職種替えにより賃金が若干低下するとしてもそれは制度上認められているところであつて、林野庁が非難されるべき筋合のものではないが、それでも林野庁は職種替えに応じない作業員をおもんばかつて昭和四四年以降逐次制度を改正し、同四八年六月には職種替え前の賃金を全額補償することにまでした。

(2) 被控訴人らのチェンソー等使用中止前後の実情は、振動障害者として診断された日以前にチェンソー等の使用を中止していた者六名(下元、安井、岡本、加納、三笠、大崎)、診断後一か月位でチェンソー使用を止めた者二名(松本、田辺)、医師がチェンソー等の使用を可とし、本人も職種替えを希望しなかつた者二名(下村、浜崎)、医師がチェンソー等の使用を禁止し職種替えを勧めたが、本人が職種替えに応じなかつた者二名(岩崎、山中)である。したがつて被控訴人らのうち八名は振動障害と診断される以前あるいはその直後にチェンソー等の使用を中止しており、また、残り四名の者は本人の意思によりチェンソー等を使用していたのである。

6 機械の使用中止、使用時間規制等の予防対策について

(1) チェンソー等の使用に関し、その安全性において完壁なものであるとの保障がなければ、この使用を中止すべきであるとする見解は、例えば自動車運転に従事している限り事故には遭遇せざるを得ないものであるから自動車運転を内容とする者の職務は中止させるべきであるとする議論にも等しく、チェンソーの有用性と振動障害の程度の軽微性を考慮すれば、このような見解ははなはだ非現実的議論である。

オートバイ等によるレイノー現象の発生報告もある今日、振動障害を発生させることのある機械等はあらゆる産業のみならず日常の社会生活の中でも必須のものとして広く使用されている。

仮に人体にある程度の影響が認められるのではないかと思われる機械であつても、それが究極において人間社会の進歩を助け、社会に大きな利益をもたらす場合には人間はその危険の克服のために全力を挙げ、その危険を最少限にする方途を講じて、機械を人間の進歩に役立ててきたのであり、このことはチェンソー等についても事情は何ら変わるところはない。すなわちチェンソー等の使用は林業労働の安全性の確保、重筋労働からの解放、国有林野事業の木材生産等に対する社会的要請に応えるために不可欠の手段として採用されたものでありその後現在においてもわが国はもとより世界各国で広く一般に使用されており、この使用が社会全体の共同利益の見地から肯定されることは明らかである。そして振動障害はいわゆる職業病に指定されてはいるが、現在においても、チェンソー等の使用を禁止する規定はない。

(2) 次に、チェンソー等の使用時間規制については、全林野が林野庁に対し具体的に時間規制の要求(一日の使用時間を二時間三〇分とする)を行つたのは、昭和四〇年一一月であるが、この当時、使用時間と振動時間と振動障害との間の因果関係は何ら医学的に明らかにされておらず、しかもその症状は軽微で、使用を中止したり使用制限をしなければならないものとは考えられていなかつた。

また右の全林野の要求は何ら医学的根拠に基づくものではなかつたうえ、林業機械全般について時間規制を求めるという、企業の存亡にかかわる問題でもあつたことから、林野庁はこれに応ずることができなかつたものの、振動障害に関して重大な関心をもつていた林野庁は、昭和四二年七月一七日に至るまでの間、誠実に労使交渉を続け、具体的な予防対策を全林野に説明して協力を求めるなどして、同年八月には労使間の確認のもとで労使交渉も一応の結着をみた。

林野庁はその後においても振動障害の予防治療対策に最大限の努力を傾け、専門家の意見を参考に検討を重ねた結果、いわゆる交替制が振動障害対策として最も有効であるとの結論を得て、昭和四四年三月、当時のチェンソー使用時間は平均して一日約三時間であつたものを、さらにこれを隔月交替制とするよう各営林局長に対して指示したところ、全林野がこれに反対し時間規制問題が再燃し、再び労使交渉が始められた。この交渉に際して、林野庁は「振動工具の使用時間は全林野要求の一日二時間で操作すると年間約四八〇時間(2時間×20日×12月)となるが、林野庁提案の隔月交替の場合には年間約三六〇時間(3時間×20日×6月)となり、むしろ全林野要求に比べて使用時間は少ない上に、隔月ごとに振動接触の隔離期間を設けることにより予防対策上優れた効果がある」と主張したが、全林野はその主張を譲らず、この間に田村全林野委員長は昭和四四年四月二五日の参議院農林水産委員会において「二時間規制に応じないのであれば……傷害として告発する。」と発言し、同年一一月には違法なストライキを実施し、更に違法ストの予告をするなど極めて強硬な手段を用いてその実現を迫り、このような状況の中で、林野庁は全林野の主張する時間規制には科学的根拠が見出せなかつたものの、大幅な譲歩をし、同四四年一二月の協定締結に至つたものである。

このような昭和四四年以降に林野庁がとつた時間規制に関する措置は、当時の医学的知見からみて正に画期的な対策であつたといえるのであり、このことは現在チェンソー等の使用時間を一日二時間に規制しているのはわが国だけであることからも明らかである。

(3) チェンソー等の使用についての安全配慮義務懈怠の有無を論ずるに当たつては、客観的にみて振動障害発生を最少限にとどめるため、あるいは結果の発生を回避するため、その時々の医学的社会的知見の水準に照応した適切妥当な措置を講じてきたかが問題となるところ、林野庁はチェンソー等による振動障害の科学的な解明を急ぐとともにその時々の知見に応じた適切な措置を講じてきたから、この点からしても、この機械の使用を中止すべきであつたとか、使用時間規制をより早期に実施すべきであつたとする見解の不当性は明らかである。すなわち昭和四〇年当時の医学界においては機械自体の振動を減少させることが振動障害予防対策上最も重要であるということで考え方が一致していた。そのため林野庁は昭和四〇年度中に振動が従来のチェームソーの約三分の一である防振ハンドル付のチェンソーに全面的に切替えたが、西欧諸国における防振チェンソーの導入が昭和四五年頃であつたことと比較すると、この林野庁の措置がいかに優れていたかは明らかであるうえ、その後も林野庁は、チェンソー等の改良を逐次進めるとともに、リモコンチィンソー、玉切装置等の無振動機械の導入を図るなど可能な限りの努力を積み重ねてきた。

その他、林野庁は目立方法及び操作方法についての研修を実施し、チェンソー等使用者の技術の向上に努めるとともに管理医の協力体制の確立、現場巡視の強化等衛生管理体制の充実を図り、あわせて休憩施設の整備、防寒衣、防振防寒手袋の配付等防寒保温対策の実施、通勤バスの配置など作業環境の整備にも最善の努力を積み重けてきた。

7 チェンソー等を操作させることによつて、作業員が振動障害にり病することが予見し得る場合は、何ら対策も採らずに、これを放置することは許されないので林野庁は機械の改良、改善の措置を含め振動障害予防のため万全の措置を講じてきたのであり、それでもなおかつ障害が発生した場合は、この障害に対しては、無過失責任をとる国公災法により適切な補償がなされることになるのであるから、それ以上の安全配慮義務の責任を事業者である控訴人に負わせることは不当である。

五仮に控訴人の安全配慮義務違反が肯定されるにしても、被控訴人らの障害の程度は軽く、重大な労働能力の損失や社会生活上の不便を認めることはできないこと及び控訴人がチェンソー等の導入以降、その時々における医学水準、技術水準に合わせて、チェンソー等の使用と振動障害発生との因果関係の医学的解明、機械の改良等の予防・治療対策、振動障害認定者に対する救済対策について相当の努力を重ねてきたことを考慮すれば、控訴人が賠償すべき損害の程度は極めて軽度のものにすぎないところ、その損害に対しては、国家公務員災害補償法等に基づき、その発病の日以降十分な補償が行われているし、既に行われた補償の内容及び将来とも右補償が継続されること等を考慮すれば、被控訴人らの精神的損害は既に慰謝されていて、控訴人が被控訴人らに支払うべき損害金はない。

(一) 各被控訴人らの病状等について

1 チェンソー等による振動障害は、いわゆる全身的疾病ではなく、手腕に限局された障害であり、一般的にその障害の程度は軽く、重大な労働能力の損失や社会生活上の不便をもたらすものではない。このことは被控訴人らについても当てはまることであつて、被控訴人ら各人の振動障害の有無またはその程度を判断するに当たつては、当然医学的コンセンサスを得られた知見に基づき純医学的見地から検討されなければならない。

また、チェンソー等による振動障害の症状として一般的に認められているものであつても、同様の症状を呈する類似疾病が多々存在する以上、振動障害が全身的疾病であることを前提として被控訴人らの主張をそのまま認めることは極めて客観性を欠き厳密な鑑別が必要である。

2 公務災害の認定を受けた時点における大部分の被控訴人らの症状は「手が時々しびれる」、「手指の一部が一時白くなる」といつた程度の軽いものであつて、後に五島医師のもとで訴えている症状の多くは、認定時には訴えていない。また高知営林局の振動障害認定者のほとんどは被控訴人らを含めて認定後も営林署における通常の作業に従事している。被控訴人らの中には営林署を退職後本件の提訴に先立つて五島医師の検診を受けるまでの間、全く医師の治療を受けていたい者もおり、また多くの者は、この間に症状が悪化したとは供述していない。更には退職後の職業や日常生活の状況等をつぶさに検討するならば、被控訴人らの健康状態は、私傷病を除けば、同年齢の多くの人々のそれと大した変わりはないといえる。

チェンソー等による振動障害の症状として被控訴人らが主張する被控訴人ら各人の症状の大部分はチェンソー等の使用とは無関係なものであることが明らかであり、これらは私傷病によるものかあるいは老化現象にのるものと判断するのが妥当である。このことは、当審における乙鑑定人(小野啓郎ら四名)による鑑定結果からも明確である。

昭和五八年一二月現在における被控訴人ら一二名の各身体の諸症状及びその程度は次の一覧表記載のとおりである。

昭和五八年一二月現在における被控訴人ら一二名の各身体の諸症状とその程度

番号

氏名

乙鑑

定書

ペー

ジ数

現在における身体の諸症状及びその程度

振動障害

生理的老化現象

上記以外の私傷病

1

松本勇

七四、

七五

末梢神経障害

………軽度

手指循環障害

………軽度

以上のような症状が認められるが、

振動障害の程度は軽度と認められる。

頸椎症

…………軽度

難聴

…………軽度

両肩関節周囲炎

……軽度

両肘関節症及び肘部管症候群

……軽度

両膝関節症

…………軽度

両手指関節症

………軽度

右胸部出口症候群

……極めて軽度

第五腰椎分離辷り症

……既存で現症状はない

高血圧症

……………軽度

2

田辺重実

九五、

九六

肘関節症と肘部管症候群

……軽度

末梢循環障害

………軽度

末梢神経障害

……尺骨神経を除くと中等度

遠位橈尺関節症

……軽度

振動障害の程度は重くない。

頸椎症

………中等度

難聴

………中等度

左膝関節症

………中等度

腰椎症

…………軽度

肩関節周囲炎

……中等度

肘関節症と

肘部管症候群

……右は中等度

左は軽度

左拇指々間関節伸展制限

……軽度

右環指遠位指節間関節伸展制限

………………軽度

肝障害

…………軽度

血清梅毒反応陽性

…臓器所見なし

3

岩崎松吉

一一三、

一一四

手指循環障害

………軽度

レイノー現象、手のしびれ等の症状が認められるが、

振動障害の程度は軽症と認められる。

頸椎症

…………軽度

ヘバーデン結節

……軽度

難聴

…………軽度

パーキンソン病

……軽度(yahr Ⅱ度)

肝障害

……軽症~中等度

高血圧症

……………軽度

脳梗塞

…………軽度

心電図上の虚血性変化

……軽度

動脈の硬化

(X線写真による)

……軽度~中等度

糖尿病

…………軽度

4

山中鹿之助

一三〇、

一三一

末梢循環障害

………軽度

末梢神経障害

………軽度

レイノー現象、手指のしびれを訴えているが

振動障害の程度は軽症である

頸椎症

…………軽度

両膝関節症

…………軽度

両指拘縮

……左は軽度

右は中等度

糖尿病

…………軽度

脳梗塞

…………軽度

心電図における虚血性変化

白内障

………中等度

5

下元一作

一四九、

一五〇

レイノー現象等末梢循環障害(軽度)が認められるが、

現在は発作なく振動障害は軽度である。

右肩板損傷を主とした肩

関節周囲炎

………中等度

頸椎々間板症

………軽度

右肘関節症

………中等度

指関節症

……………軽度

老人性白内障

軽度難聴

高血圧症、動脈硬化症

……軽度

心電図上軽度の虚血性変化

末梢性ニユーロパシー

……軽度

異常運動発作(過換気症候群)

X線で第4腰椎分離辷り腰椎症様所見

………軽度

寒冷凝集素梢々高値

6

安井計佐治

一六〇

ないし

一六二

チエンソー使用中止3ケ月後にレイノー現象出現し、その後もつづいているので本障害である可能性は少ない。

X線での肘関節症様所見

……右重度

左軽度

X線での頸椎症様所見

……軽度

手関節症(小野)

肺性心、心不全

……死因

肺結核症

……………重症

X線での右胸郭変形

……中等度

両手感覚の著明な鈍麻

……程度不明

末梢循環障害

…程度不明

7

岡本吉五郎

一七三

ないし

一七五

末梢循環障害

昭和四八年当時、レイノー現象が認められているが、冬期朝冷えた時、左右全指におこり、夏期はおこらなかつたようである。

知覚鈍麻(昭和四八年一一月記載)

昭和四一年一一月に麻痺なしとの記載あるので

振動障害である可能性は少ない。程度は

…軽度

振動障害の程度は軽度である。

頸椎々間板症

…程度不明

肘関節症

………程度不明

動脈硬化

………程度不明

感冒

…………程度不明

糖尿病

…………程度不明

全身皮膚炎

……程度不明

胃癌。胃潰瘍

…胃癌の手術を受けている

動脈硬化

………程度不明

両足のしびれ感

……程度不明

胸部絞扼感

……程度不明

(心電図異常なし)

めまい、耳なり

…程度不明

脳血栓症

‥死因となつている

8

加納勲

一九四、

一九五

手指循環障害

………軽度

レイノー現象が認められる。

振動障害の程度は軽度と判断される。

右肘関節症

………中等度

左肘関節拘縮

………軽度

頸椎症

…………軽度

右膝関節症

…………軽度

難聴

…………軽度

右環指末節欠損

…中等度

四肢動脈硬化

……中等度

9

三笠寅蔵

二一三、

二一四

末梢循環障害

…極めて軽度

末梢神経障害

…極めて軽度

レイノー現象、手指のしびれ等を訴えているが、

振動障害の程度は軽度と判断される。

頸椎症

………中等度

両肘拘縮と末梢神経障害

………軽度

膝関節症

……………軽度

左上腕二頭筋長頭腱皮下断裂

…………軽度

第5腰椎分離辷り症

……軽度

指関節症

…………中等度

境界高血圧症、動脈硬化

……軽度

狭心症様発作

………軽度

右上肢の不随意運動

(ミオクローヌス)

……軽度

肺気腫

………………軽度

10

下村博

二三二、

二三三

左手指循環障害

……軽度

末梢神経障害

…… 極めて軽度

振動障害の程度は軽度と考えられる。

左肘関節症

…………軽度

腰椎症

…………軽度

左上腕外上顆炎

……軽度

指関節症

……………軽度

腎機能障害

…………軽度

末梢ニユーロパシー

……軽度

11

浜崎恒見

二四七、

二四八

末梢循環障害

…極く軽度

現在はレイノー現象はなく、明らかに振動障害とすべき異常はない。

肘関節症

…………中等度

肘部管症候群

……右は中等度

左は軽度

頸椎症

…………軽度

左膝関節症

…………軽度

難聴

………………軽度

左腹、右大腿軟部腫瘤

……軽度

下腿静脈瘤

…………軽度

肝機能障害

…………軽度

末梢性ニユーロパシー

……軽度

本態性高血圧症

……軽度

12

大崎憲太郎

二六一、

二六二

手の循環障害

…程度不明

昭和四九年一二月の診察では改善された。

手の感覚障害、上肢のしびれ、疼痛

昭和四四年一〇月三〇日には、ブツシユクリーナーの使用をやめ、手指の蒼白はあつても痛みもしびれもなかつた。

工具を使用しなくなつてから後、昭和四八年一一月にしびれ、痛みを訴えはじめた。従つてこの症状は振動障害の症状である可能性は少ない。

以上より判断して死亡直前振動障害の症状は既になかつたと考えられる。

手の感覚障害増悪

……程度不明

握力低下

………程度不明

上肢のしびれ、疼痛

……程度不明

頸腕神経痛

……程度不明

尿蛋白陽性

…………軽度

胃潰瘍

………………軽度

高血圧症

……………軽度

難聴(耳管狭窄による)

……程度不明

X線での左拇指、

中手指関節症様所見

………軽度

3 さらに、被控訴人らはすべて、振動障害を理由に退職したものでなく、自己の都合や高令のために勧奨又は普通退職したもので、中には退職後他の職場に就業した者もある。すなわち退職後、被控訴人下元一作はすし屋(後に造園業)、同浜崎恒見は魚屋、亡大崎憲太郎は雑貨店経営、亡三笠寅蔵は土木工事の現場監督を行ない、被控訴人松本勇は道路補修工事、貯木場の

各従業員、同田辺重実は縫製工場の工場長、同加納勲は営林署の臨時作業員(林道修繕作業)、同下村博はタクシー運転手(後に鉄工場の熔接工)に就労するなど、被控訴人らの主張するような症状であれば従事できないと思われる右各労働を続けてきた。

(二) 被控訴人らに対する災害補償給付について

1 被控訴人らの振動障害の治療費は全額国庫負担であるうえ、被控訴人らが入院又は治療を受けに行く都度、被控訴人らに対し、休業補償及び休業援護金として、受災時における平均給与額を現在まで引き続き在職したとみなして換算した額の一〇〇分の八〇に相当する金額が支払われ、また、今後とも被控訴人らが症状を訴え、医師が治療の必要を認める限り、その年齢及び就業の有無にかかわらず、これらの措置は継続される。

2 控訴人が国公災法等にもとづき、被控訴人らのチェンソー等による振動障害に対して行つてきた昭和五七年までの補償の種類及び金額は次の被控訴人らの振動障害に対する補償の実施状況表記載のとおりである。

(別紙) 被控訴人らの振動障害に対する補償の実施状況表

被控訴人 松本勇

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四四

三三

六一、〇一五

三七、二〇〇

八、三八五

一〇六、六〇〇

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四四年

二、四三二円

〃 五一年

五、三五七円

〃 五七年

八、一八四円

四五

五二

五五、八三九

七五、八四四

二五、二七六

一五六、九五九

四六

四九

六八、九九四

七三、七四九

二四、五七九

一六七、三二二

四七

五二

九七、二七二

九八、五四八

三二、八四三

二二八、六六三

四八

五九

一一九、一五八

一二六、六六一

四二、二二〇

二八八、〇三九

四九

五一

一四八、七二八

一、四〇九、四〇

四六、九七五

三三六、六四三

五〇

一二四

三一三、〇六四

三七八、〇九九

一二六、〇三二

八一七、一九五

五一

二九〇

八五四、七八〇

九二七、八二五

三〇九、二七四

二、〇九一、八七九

五二

二九五

一、〇二七、八五二

一、〇三三、〇六四

三四四、三五三

二、四〇五、二六九

五三

二九五

一、二三八、六〇八

一、一三八、七九三

三七九、五九五

二、七五六、九九六

五四

二九一

一、四五三、四七九

一、一六一、九八四

三八七、三二四

三、〇〇二、七八七

五五

二八七

一、四九三、五四八

一、二一七、四〇三

四〇五、七九九

三、一一六、七五〇

五六

二八七

一、〇四四、〇二五

一、三一六、〇七〇

四三八、六八三

二、七九八、七七八

五七

二三九

一、五二七、六九〇

一、一六五、七一六

三八八、四三〇

三、〇八一、八三六

二、四〇四

九、五〇四、〇五二

八、八九一、八九六

二、九五七、七六八

二一、三五五、七一七

被控訴人 田辺重実

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四四

二七

六五、八二三

二五、六八五

五、六六九

九七、一七七

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四四年

一九七八円

〃五一年

四九〇〇円

〃五七年

七八五二円

四五

五一

四八、二三一

六〇、七九五

二〇、二六二

一二九、二八八

四六

五二

五一、二二〇

六六、五二七

二二、一七三

一三九、九二〇

四七

五三

三九、七三二

八七、三六六

二九、一一九

一五六、二一七

四八

五七

八一、二二二

一〇八、八九九

三六、二九九

二二六、四二〇

四九

一一三

一四五、三四〇

二八四、二一三

九四、七三七

五二四、二九〇

五〇

二七一

五二七、一六八

七五二、〇二五

二五〇、六七五

一、五二九、八六八

五一

二九四

七四六、四六〇

八六〇、五六五

二八六、八五五

一、八九三、八八〇

五二

二九六

八〇九、三七二

九四九、七五〇

三一六、五八二

二、〇七五、七〇四

五三

二九六

九五八、二〇四

一、一一〇、二四二

三七〇、〇七七

二、四三八、五二三

五四

二九八

九七六、六五二

一、一四九、九八八

三八三、三二九

二、五〇九、九六九

五五

二九二

九六〇、一五二

一、一九六、四三五

三九八、八〇九

二、五五五、三九六

五六

二九三

九二九、〇四四

一、二九四、六四九

四三一、五五二

二、六五五、二四五

五七

二九三

九一二、三三六

一、三七三、三五五

四五七、六九六

二、七四三、二八七

二、六八六

七、二五〇、八五六

九、三二〇、四九四

三、一〇三、八三四

一九、六七五、一八四

被控訴人 岩崎松吉

年度

治療日数

療療補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四四

一七、一〇四

八三二

二七七

一八、二一三

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四五年

一、六七〇円

〃 五一年

四、五六五円

〃 五七年

六、八九〇円

四五

一五

五〇、九五七

六、二六四

二、〇八七

五九、三〇八

四六

六六

一二七、〇九五

七一、四七三

二三、八二三

二二二、三九一

四七

五五

九三、四〇〇

七八、四三七

二六、一四二

一九七、九七九

四八

五六

一五四、二〇二

九四、九九五

三一、六六五

二八〇、八六二

四九

四三

一九九、一七二

九九、六〇七

三三、一九九

三三一、九七八

五〇

二二三

五六五、六六〇

五七四、〇〇二

一九一、三三四

一、三三〇、九九六

五一

二九四

九〇一、〇四八

八〇〇、九七六

二六六、九九二

一、九六九、〇一六

五二

二九二

一、〇〇八、八九二

八七八、一二三

二九二、七〇六

二、一七九、七二一

五三

二九三

一、二〇四、四六八

一、〇一五、〇九六

三三八、三六六

二、五五七、九三〇

五四

二九一

一、一九七、〇三二

一、〇三〇、五一二

三四三、五〇四

二、五七一、〇四八

五五

二八二

一、〇七四、八五六

一、〇四五、一五八

三四八、三八三

二、四六八、三九七

五六

三五五

一、九一七、九六三

一、三九四、四一四

四六四、五八六

三、七七六、九六三

五七

三六五

一、九八六〇八八

一、五〇二、九二七

五〇〇、九五五

三、九八九、九七〇

二、六三四

一〇、四九七、九三七

八、五九二、八一六

二、八六四、〇一九

二一、九五四、七七二

被控訴人 山中鹿之助

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四二

三二

三五、五八〇

一七、七四三

二、〇〇六

五五、三二九

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四四年

一、二五一円

〃 五一年

四、九一三円

〃 五七年

七、七六二円

四三

四四

八四

九一、三四二

五六、二二七

九、三七一

一五六、九四〇

四五

四六

四七

四八

二一、九四〇

五、〇五六

一、六八五

二八、六八一

四九

四二

五二、九四八

七二、九〇一

二四、二九七

一五〇、一四六

五〇

一七五

九六、六六〇

二三一、〇一五

七七、〇〇四

四〇四、六七九

五一

二二四

一五六、一六〇

三二八、七〇三

一〇九、五六四

五九四、四二七

五二

二一四

二四六、二一六

二九三、七三九

九七、九一〇

六三七、八六五

五三

一九四

一八八、四九八

三一八、八一六

一〇六、二六八、

六一三、五八二

五四

三一九

二、〇二六、三四四

一、〇三五、五三六

三四五、一七六

三、四〇七、〇五六

五五

三六五

三、六九四、八七六

一、四八八、一一九

四九六、〇三九

五、六七九、〇三四

五六

三六五

四、一七二、〇七八

一、五六七、八二一

五二二、六〇七

六、二六二、五〇六

五七

三六五

四、六六九、一三六

一、六八九、一七二

五六二、九四六

六、九二一、二五四

二、三八二

一五、四五一、七七八

七、一〇四、八四八

二、三五四、八七三

二四、九一一、四九九

被控訴人 下元一作

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四一

五三

一五一、三四八

七、一六九

一五八、五一七

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四一年

九一一円

〃 五一年

五、〇〇七円

〃 五七年

六、九三三円

四二

三四

五五、一六三

六、五三五

一、七三九

六三、四三七

四三

三一

六六、一六八

七、四九〇

一、二四五

七四、九〇三

四四

一九

六七、六四九

一一、九九〇

一、八七六

八一、五一五

四五

一六八

九〇、二一四

九八、五一〇

五、九六二

一九四、六八六

四六

二〇

九八、一六一

二三、五二八

七、八三八

一二九、五二七

四七

二五

一一〇、五七六

三二、〇〇六

一〇、六六五

一五三、二四七

四八

二四

一一六、七四二

四〇、二二九

一三、四〇八

一七〇、三七九

四九

二三

九四、六七六

五三、〇九一

一七、六九三

一六五、四六〇

五〇

三五

一四三、七一二

九四、四〇四

三一、四六六

二六九、五八二

五一

三四

一七七、四九六

一〇一、五六四

三三、八五一

三一二、九一一

五二

二一二

一、五六七、七四〇

七〇〇、二三〇

二三三、四〇八

二、五〇一、三七八

五三

三六五

一、八八〇、八三六

一、二五八、五四五

四一九、五一三

三、五五八、八九四

五四

三六六

二、五四八、三〇〇

一、三〇四、三四四

四三四、七八〇

四、二八七、四二四

五五

三六五

二、六一七、〇一六

一、三六〇、〇六二

四五三、三三四

四、四三〇、四一二

五六

三六五

四、五八三、四七二

一、四三六、九一〇

四七八、八三八

六、四九九、二二〇

五七

三六五

三、六一〇、〇〇八

一、五一一、七一一

五〇三、七八二

五、六二五、五〇一

二、五〇四

一七、九七九、二七七

八、〇四八、三一八

二、六四九、三九八

二八、六七六、九九三

被控訴人 安井計佐治

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四二

一五、一五九

一五、一五九

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四三年

九一八円

〃 四八年

二、六三四円

四三

一二

一六八、九〇四

六、六〇五

一、〇九六

一七六、六〇五

四四

二三

一七、〇三〇

一九、〇三八

三、九六六

四〇、〇三四

四五

一五、三四五

四、七六一

一、五八六

二一、六九二

四六

一四、八八四

五、九九四

二、〇〇三

二二、八八一

四七

四六、五七一

追給 二九三

追給 九二

四六、九五六

四八

三三

六三、六五五

五二、一五一

一七、三八三

一三三、一八九

四九

四五、九一七

四五、九一七

五〇

五一、八〇四

五一、八〇四

五一

三五、三九五

三五、三九五

八〇

四七四、六六四

八八、八四二

二六、一二六

五八九、六三二

被控訴人 岡本吉五郎

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四一

二〇、一四一

二、五九五

四三二

二三、一六八

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四一年

八二四円

〃 五〇年

四、〇四九円

四二

五三

一四九、五八三

一九、六五〇

三、二七三

一七二、五〇六

四三

五二

一六三、六四四

一九、二八〇

三、二一二

一八六、一三六

四四

六二

二〇七、四八〇

三六、〇一九

六、八九九

二五〇、三九八

四五

五三

二三八、六三六

四七、七二五

一五、九〇六

三〇二、二六七

四六

七二

二三八、〇九八

七六、二五七

二五、四一七

三三九、七七二

四七

八八

二六〇、八四八

一〇六、七一三

三五、五七一

四〇三、一三二

四八

八九

二七〇、三五〇

一三四、〇七二

四四、六八九

四四九、一一一

四九

七六

一九八、一六四

一五五、三八五

五一、七九三

四〇五、三四二

五〇

八〇

一一三、三〇〇

一九一、四八〇

六三、八二三

三六八、六〇三

六三二

一、八六〇、二四四

七八九、一七六

二五一、〇一五

二、九〇〇、四三五

被控訴人 加納勲

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四五

四七

一二三、五二二

二九、三二八

退職後、再雇用の臨時作業員のため援護金の適用を除外される。

一五二、八五〇

(平均給与額) (一日当たり)

昭和四五年 一、〇四〇円

〃 五一年 五、一二四円

〃 五七年 七、一六一円

四六

三六

六二、五三三

六五、四九九

一二八、〇三二

四七

五二

九〇、七七六

七九、一〇九

一六九、八八五

四八

五五

一〇六、〇五〇

九六、九六一

二〇三、〇一一

四九

一三〇

四一二、一五〇

三二〇、五五八

一四、〇〇四

七四六、七一二

五〇

一三〇

五二五、〇六四

三六五、〇〇三

一二一、六六七

一、〇一一、七三四

五一

一一七

五八〇、四九二

三五一、八五一

一一七、二八二

一、〇四九、六二五

五二

八八

五六八、三一〇

二九六、二二六

九八、七三八

九六三、二七四

五三

一三八

八四一、四二四

五三三、四一一

一七七、八一三

一、五五二、六四八

五四

二九三

一、九九八、〇九六

一、一六七、九七七

三八九、三二三

三、五五五、三九六

五五

三六五

一、八三一、五八四

一、五四一、三五四

五一三、七八〇

三、八八六、七一八

五六

三六五

二、八一五、九八八

一、五六〇、四一六

五二〇、一一八

四、八九六、五二二

五七

三六五

三、〇〇二、四八四

一、五六七、四八二

五二二、四九四

五、〇九二、四六〇

二、一八一

一二、九五八、四七三

七、九七五、一七五

二、四七五、二一九

二三、四〇八、八六七

被控訴人 三笠寅蔵

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四三

一三、

二三、七三九

八、五八六

一、四三一

三三、七五六

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四三年

一、〇六〇円

〃 五一年

五、〇七九円

〃 五七年

八、〇五三円

四四

二八

一三、二五六

三五、四六三

六、六二二

五五、三四一

四五

二五

一二、九三五

二六、九三四

八、九七五

四八、八四四

四六

二三

一八、三一〇

二九、五二三

九、八三八

五七、六七一

四七

二六

二九、二六〇

三九、三七二

一三、一二一

八一、七五三

四八

三五

五二、八九八

六二、五四三

二〇、八四四

一三六、二八五

四九

二七

四五、七五〇

六四、六五〇

二一、五四六

一三一、九四六

五〇

三六

五八、三〇〇

九九、七六八

三三、二五二

一九一、三二〇

五一

八八

一一七、八九八

二六七、六七五

八九、二二三

四七四、七九六

五二

一八七

一八三、五一〇

六二四、三五七

二〇八、一一七

一、〇一五、九八四

五三

二〇八

二八三、九四八

七九五、三〇四

二六五、〇九七

一、三四四、三四九

五四

三三〇

二、八三一、八九六

一、三〇二、一五七

四三四、〇二〇

四、五六八、〇七三

五五

三六四

四、二九九、三八四

一、五二四、六〇一

五〇八、一八九

六、三三二、一七四

五六

三三四

四、四七七、八六〇

一、五〇八、二五一

五〇二、五三八

六、四八八、六四九

五七

三五一

三、三七八、二六八

一、六七八、〇七三

五五九、二二〇

五、六一五、五六一

二〇七五、

一五、八二七、二一二

八、〇六七、二五七

二、六八二、〇三三

二六、五七六、五〇二

被控訴人 下村博

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四三

一四、九一七

三、四五八

五七六

一八、九五一

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四五年

一、六一三円

〃 五一年

五、二七六円

〃 五七年

七、三九八円

四四

四七

一四六、五八一

三九、〇八三

八、一七五

一九三、八三九

四五

五一

一二七、九九七

四九、三五六

一六、四五〇

一九三、八〇三

四六

五二

一二一、一〇九

六五、九三七

二一、九七九

二〇九、〇二五

四七

五二

一一七、二七六

七七、四六八

二五、八二一

二二〇、五六五

四八

五二

一三四、二九四

九三、五三五

三一、一七六

二五九、〇〇五

四九

五一

一三七、五二〇

一二五、五一六

四一、八三七

三〇四、八七三

五〇

五二

一一四、八六〇

一四八、六三四

四九、五四四

三四三、〇三八

五一

四四

一六一、四八八

一三九、二八二

四六、四二二

三四七、一九二

五二

三一

九二、七一六

一〇七、四五四

三五、八一七

二三五、九八七

五三

五〇

一九二、一六四

一八〇、四七五

六〇、一五八

四三二、七九七

五四

五一

二四〇、二六四

一九〇、七四七

六三、五七七

四九四、五八八

五五

六九

二六七、七〇九

二七一、七七二

九〇、五八三

六三〇、〇六四

五六

一四五

四六六、九七五

六〇八、〇九〇

二〇二、六九〇

一、二七七、七五五

五七

一六四

五二四、二一二

七二四、八九四

二四一、五八一

一、四九〇、六八七

九一六

二、八九〇、〇八二

二、八二五、七〇一

九三六、三八六

六、六五二、一六九

被控訴人 浜崎恒見

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四〇

四二

一九九、七七一

一九九、七七一

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四八年

二、八一八円

〃 五一年

五、一一五円

〃 五七年

七、八九六円

四三

一一七、九四八

一一七、九四八

四四

一二一、七六九

一二一、七六九

四五

一六五、八六〇

一六五、八六〇

四六

一一六、二二九

一一六、二二九

四七

一二〇、九六〇

一二〇、九六〇

四八

二一四、九一〇

三、三八二

一、一二七

二一九、四一九

四九

一一三、三五二

一一三、三五二

五〇

二一、九八九

二、七四九

九一六

二五、六五四

五一

四五

一六〇、九〇五

一三八、〇〇四

四六、〇〇一

三四四、九一〇

五二

六五

一六七、八〇八

二一九、八四一

七三、二八〇

四六〇、九二九

五三

八五

三五五、五一五

三二一、九〇八

一〇七、三〇一

七八四、七二四

五四

一四八

五九五、六四二

五八〇、九二六

一九三、三〇九

一、三七〇、二〇七

五五

一〇九

五一七、四九七

四五一、九一四

一五〇、六三八

一、一二〇、〇三一

五六

一〇五

四五一、六一一

四六八、五一〇

一五六、一三五

一、〇七六、二五六

五七

一〇六

五三〇、二五六

五〇二、一二二

一六七、三七四

一、一九九、七五二

六六六

三、九七二、〇〇四

二、六八九、三五六

八九六、四一一

七、五五七、七七

被控訴人 大崎憲太郎

年度

治療日数

療養補償(円)

休業補償(円)

休業援護金(円)

計(円)

備考

四四

一、八一〇

一、八一〇

(平均給与額)

(一日当たり)

昭和四五年

一、四五六円

〃 五一年

四、六三三円

〃 五四年

五、九三六円

四五

二三、四七〇

四、一九六

一、三九六

二九、〇六二

四六

一二〇

一二〇

四七

四八

一〇

四一、三八二

一五、九四六

三、一八九

六〇、五一七

四九

四一

一二五、九八四

八八、八四四

三一、七三七

二四六、五六五

五〇

三七

一〇九、三五六

九三、九〇四

三一、二九七

二三四、五五七

五一

三〇

一一四、五二八

八三、四二二

二七、八〇五

二二五、七五五

五二

四二

一七九、四七二

一二九、九八六

四三、三二四

三五二、七八二

五三

四四

三〇四、七六〇

一五二、三八六

五〇、七九二

五〇七、九三八

五四

五〇

二六八、五九六

一七七、六一四

五九、二〇一

五〇五、四一一

二六一

一、一六九、四七八

七四六二九八

二四八、七四一

二、一六四、五一七

(三) したがつて、本件事案における被控訴人らの損害の算定に当たつては、治療費を考慮する必要はない。

(四) 次に、被控訴人らの逸失利益については、被控訴人らは振動障害を理由に退職したのでなく、自己の都合や、高齢のために退職したものであり、既にその大部分が年齢的に就労困難であるという状況の中で前記のとおり休業補償及び休業援譲金の給付を受けてきているのであつて、いわば過剰補償といつてもよい程の災害補償を受けていること、被控訴人らの振動障害による障害の程度はいずれも軽度であつて、重大な労働能力の損失や社会生活上の不便をもたらすものではないことを考慮すると右災害補償金を上回る逸失利益はないというべきである。

(五) さらに災害補償に精神的損害は含まれないとしても、被控訴人らの障害の程度が軽症であること及びその発病の日から十分な補償が行われ、既に死亡した安井、岡本、大崎、三笠以外については将来も右補償が継続されること等を考慮すると、被控訴人らの精神的損害も既に慰謝されているというべきである。

第三証拠関係<省略>

理由

第一  (当事者間に争いのない事実と林野庁の労働組合について)

控訴人が全国に国有林を有し林野庁、営林局、営林署という組織体系のもとに労働者を雇用して造林伐採等の林業経営事業を営んでいること、被控訴人松本勇、同田辺重実、同岩崎松吉、同山中鹿之助、同下元一作、亡安井計佐治、亡岡本吉五郎、被控訴人加納勲、亡三笠寅蔵、被控訴人下村博、同浜崎恒見、亡大崎憲太郎が別紙第一の被控訴人らの経歴目録記載のとおり控訴人の高知営林局内の営林署に造材手等として勤務し、その間に亡大崎憲太郎がブッシュクリーナーをその余の被控訴人らがチェンソーを操作していたこと、右松本、田辺、岩崎、山中、下村、浜崎、大崎が右営林局退職前に、右下元、安井、岡本、加納、三笠が退職後に、人事院規則一六―〇、一〇条別表第一、番号44所定の職業病である同目録の各該当欄のとおりの疾病の罹患者であるとの認定を受けたこと、右安井、岡本、三笠、大崎が被控訴人ら主張の日にそれぞれ死亡し、右各死亡に伴なう相続による各権利義務の承継関係が被控訴人ら主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

被控訴人下元については別紙第一の目録記載の職業病(レイノー現象)のほか、<証拠>によると、同被控訴人は昭和四四年三月七日、人事院から前記チェンソー使用に基因する公務上の疾病として多発性神経炎があり、その発症日はレイノー現象の発症日である昭和四〇年四月五日であるとの認定を受けたことが認められる。

<証拠>によれば、全林野は、国有林で働く労働者により昭和二八年に組織され、組合員数は約五万人、林野庁本庁と各営林局(合計一五)に地方本部を置く組合であること、なお、林野庁職員で組織する労働組合としては全林野のほかに、昭和三四年に日本国有林労働組合、さらに昭和三七年ころ日本国有林作業員労働組合が各設立されたが、昭和四四年、日本国有林労働組合に日本国有林作業員労働組合が合併し、爾来、全林野労働組合と日本国有林労働組合とが分立併存していることが認められる。

第二  (振動障害の実体)

<証拠>、当審における甲乙各鑑定の結果によると次のとおり認められ、前記書証、証言、鑑定結果中この認定に反する部分は採用できない。

振動障害とは振動工具による振動がその工具を把持する手指、掌、腕に刺激を与えるためそれを継続すると刺激が手指、掌、前腕の内部に及び、血管や神経に影響を与え血管や血管壁を肥厚させそこへ流れてくる血流の循環を悪化させしびれ、痛みの原因となりそういう障害を生じさせた手指等の皮膚表面を蒼白化させたり肘や上腕骨の一部分等に落痛、運動制限、変形性関節炎を来たすもので、その蒼白化が白蝋のように見えるので俗にこれを白ろう病と呼んでいる。この蒼白化現象をレイノー現象と呼び、本来のレイノー病と現象面で似ているが、振動障害は振動工具類を相当期間使用して後発症するものでレイノー病とは異なること、振動工具が与える各個の振動障害は微小なものであるから短時間の振動工具の使用によつて振動障害が発症するものではなく、相当長期間使用して後発症するもので、イギリスではその発症までの期間を振動障害の潜伏期間といい、二年ないし五年とみている。甲鑑定の結果による被控訴人らの場合もチェンソー等を使用し始めて後約三年を経過して振動障害の発生が見られたこと、この振動障害が主症であるから気候の寒いことがその発症を促すことがあり、学者によつては山の急斜面で伐木造材が行われるときの振動工具を支える作業者の姿勢も発症の原因をなすというが、その分だけ振動工具を強く握るため振動が多く伝えられるためと解される。また振動工具を使用しても発症しない人もあるので使用者の体質、既往症、年齢によつても発症するまでの年限や発症の程度を異にし重い既往症があつたり、高令である程身体各部の障害が増えるため発症率が高く、五十歳以上の人の発症は早くて多く、バージャー氏病の素因をもつている人は血管の閉塞が早く進み振動障害が発生し易いといわれている。振動障害の症状は多様で他の疾患や加齢現象との区別を難しくしている。

振動障害を極めて広くみる見解の甲鑑定は、日本産業衛生学会振動委員会の報告等を参考に振動障害とは末梢循環障害、末梢神経障害、頸部や上肢などの骨、関節、筋肉、腱等運動器系の障害、自律神経、内分泌系の異常などの中枢性の機能障害、前庭機能異常、騒音性難聴、頸肩腕障害、腰痛を含むとしているが、乙鑑定がいうごとくチェンソー等の振動エネルギーはそれを握つている手で殆んど吸収され全身に伝達されることは少なく、この手に吸収されたエネルギーが手の組織をこわし、そこに発生する有害な物質が全身に伝播して種々の全身症状を招くとは考えられないし、被控訴人らの訴えの多くは不定愁訴でありその症状の大部分は永い間労働に従事したことによる一般的な職業性疾患、私傷病、加齢によるものを含んでいるとみざるを得ないのでチェンソー等による振動障害とはチェンソー等を長期に使用したために生じた末梢循環障害、末梢神経障害、運動機能障害とみるのが相当である。

振動障害の症度分類についてはその予防治療指針とするため幾つかの分類が発表され、アンドレーア・ガラニナのもの、これを基にした林業労働災害防止協会によるもの、甲鑑定人の一人である高松と的場のものや甲鑑定等は振動障害を全身的障害とみて重症とみがちであるが、後に判断するごとく当裁判所はこれを全身的障害とはみず、かつ本訴は損害賠償責任を問うものであるから乙鑑定の結果にあるように、その日常生活の機能を失い、甚しい肉体的精神的苦痛のあるものを重度、日常生活の機能に著しい障害のあるものを中等度、中等度までには至らないが日常生活の機能に何らかの障害のあるものを軽度の(a)、日常生活の機能に格別の障害はないが、振動障害により継続或いは継続した不快感等を有するものを軽度の(b)に分類する区分によれば足ると解する。この分類による乙鑑定の結果によると被控訴人らの症状は被控訴人田辺が軽度の(a)であるのを除き他はすべて軽度の(b)に相当し、被控訴人浜崎、亡安井、亡大崎の場合は振動障害によるものはほとんどないものとみられる。

甲鑑定は被控訴人らの症状のうち私傷病や老化現象から振動障害を原因とする症状のみを抽出することは不可能であるとし、被控訴人らのうち山中が中等ないし高度、同下村、浜崎が中等度、亡大崎は軽度ないし中等度としている外は全部今なお高度の振動障害があるとしているが、その鑑定は労働者一般が長年の労働から職業病に罹患する点の説明として理解できるが本件はチェンソー等による振動障害の有無が問題なのであつて被控訴人らの職業病一般を問題としているのではないから採用できない。

第三  (わが国におけるチェンソー等の導入実用化とこれによる振動障害の発生)

一控訴人の国有林における伐木、造材、造林等の作業は従前は手工具だけで行われていたが、林野庁は昭和二八年に国有林野事業機械化促進要綱をきめたのを初めとして、国有林野労働の伐木、造材、造林等の分野にも機械の導入実用化を積極的に促進し、チェンソー(伐木、造材作業に使用)を昭和二九年にブッシュクリーナー(造林等の作業に使用)を昭和三六年に各導入実用化し、昭和四四年当時の国有林野事業における使用台数はチェンソーが五三五二台、ブッシュクリーナーが一万二九六〇台であつたことは当事者間に争いがない。

二右一の事実と<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)(控訴人が国有林野事業にチェンソー等を導入実用化した社会的背景)

1 わが国の森林面積は国土全体の約七割を占めているが、控訴人の国有林野事業はその森林面積の約三分の一を対象とし、木材の供給、国土の保全、水質源の涵養、保健休業場の提供、地域振興への寄与、林業技術の開発普及等を果たすことを目標とし、森林に対する施業技術の向上並びに伐木造材、集運材等作業技術の開発、向上に努めつつ積極的な林業生産活動を展開することによつて、多くの社会的、経済的要請に応えることを業務遂行の目的としている。この林業事業の現場作業は伐木造材(玉切り)部門、集運材部門、植林部門に大別できるが、そのうちでチェンソーが導入実用化されたのは伐木造材部門であり、ブッシュクリーナーが導入実用化されたのは植林部門である。なお植林部門の作業の機械化として他にオーガー(穴掘機)もブッシュクリーナーと同じころ実用化された。

2 従前の林野事業の現場作業は国有林民有林とも主として人力・天然力を中心としたものであつた。

そのうち、伐木造材作業は杣人夫が斧、鋸、腰鉈、くさび等を用い、全身の力を長時間使つて木材を伐倒し、枝払い及び玉切りする極めて重労働でその技量を修得して一人前の杣人夫となるためには八年程度の経験が要るという困難なものであり、その作業工程を細分化し、規格化して効率を高める工夫を施すことは至難なものであつた。

なお、造材作業は人夫が地ごしらえには鎌、鉈、鍬等を、下刈りには鎌を、値付には鍬を使用して行い、集運材部門は昔は河川による流送、木馬(丸太を人力によるそりで運搬する作業)、玉曳(丸太を牛馬で運搬する作業)等人力、天然力を中心とした作業であつたが、国有林野事業のこの部門は比較的早期に機械化が実現し、昭和二〇年ころまでに高知営林局管内でも森林鉄道があつたし、さらには林道網の発達整備に伴いトラック運材へと切り換えられ、また集材方式の開発、改良により作業工程が縮減されたことなどから、作業能率の著しい向上をもたらすとともに、この分野でも従来は職人的な技能の色彩が強かつた作業を一定の定型化された技術へと単純化、標準化し、それによつて作業の能率向上と安全を促進できる情況になつていた。

3 先般の大戦後、逼塞状態にあつたわが国の経済が昭和二五年六月の朝鮮動乱を契機に復興を始め、政府は昭和三〇年一二月、経済自立五か年計画を決定し、産業基盤の強化、貿易の振興、国土の保全と開発の促進、科学技術の振興等の方策を示し、その一部局である林野庁は昭和三一年一二月から経営合理化計画の策定に取り組み、同三三年度から実施期間三〇年の国有林生産力増強計画を立案し、実施することとなつた。この生産力増強計画は、森林生産力を今後四〇年間で二倍に増強することを目標に、林道網を拡充し、成長量の低い広葉樹林と成長の止まつた老齢林等の未開発林を開発することによつて、成長量の旺盛な、活力のある人工林の拡大を図り、長期的視点に立つた組織の整備、労働生産性の向上及び雇用の安定を主な内容とするものであつた。

昭和三五年ころから第一次石油ショックが起こつた昭和四八年一〇月ころまでは、日本経済の高度成長期であり、この期間は国内の主要産業において広範な設備改善拡大が行われたが、昭和三五年一〇月、農林漁業基本問題調査会は、林業の基本問題と基本対策に関する答申を内閣総理大臣に行い、わが国の林業が木材の経済的供給という国民経済的要請に十分応えていないこと、そのため木材生産の増大と生産性の向上が必要であることを強調し、林野庁は右の需要に対応する必要があつた。

わが国における木材の総需要量は、昭和三〇年に約四五三〇万立方メートルであつたが、同三五年には約五六五〇万立方メートル、同四〇年には約七〇五〇万立方メートルと増加し、この木材需要の内容は、主として建築用材に用いられる製材用材や合板用材のほかに紙の需要に対応したパルプ用材であつた。この木材需要量の中には一部外材も含まれているが、当時の外貨保有事情の下では、外材の輸入は今日程容易でなく、国産材が主たる供給源(四〇年の国産材供給比率七一パーセント)であつた。そのうち、国有林からの年間木材供給量は、昭和三〇年代の前半までは約一四〇〇ないし一五〇〇万立方メートルであつたが、同三〇年代の後半には一九〇〇万ないし二一〇〇万立方メートルとなり、昭和三九年度には、国有林の伐採量がこれまでの最高を示し、用材の国内供給量のうち約三四パーセントを供給した。

4 経済の高度成長開始ころからわが国の農業分野にといても主要農作業の機械化省力化が始まつた。そのころ重化学工業等の規模拡大が進展したのと相まち、わが国の農山村から労働力とりわけ若年労働力の第二次、第三次産業への流出が激増した。わが国における農林業の就業人口は、昭和三〇年に約一六〇〇万人であつたが、同三五年に一三九〇万人、同四〇年には一一六〇万人、同四五年には八四〇万人と減少した。国有林野事業においても、その現場作業労働力の量的な不足問題のみならず、老齢化、女性化という質的な問題にも対処する必要があつた。

5 右のとおり、わが国における林野事業の現場作業分野で昭和三〇年代に行われた機械化はチェンソー等の実用を含めて、わが国経済全体の趨勢に適応するもので、その伐木造材、植林作業工程を従前の人力を主体とする作業にとどめておこうとしても要員不足等のため事業の円滑な運営が阻害される結果を招くことが明らかであつた。

(二)(実用化段階におけるチェンソー等の性能とその導入実用化にあたり林野庁が行つた施策など)

1 チェンソーは明治三〇年代の後半にアメリカで原始的な機械の試作が行われ、昭和一〇年代までは二人で操作を行うツーマンソーで、その実用は限られた分野だけにみられたが、昭和二〇年ころ動力転換伝達方式が従来のギヤ・ドライブ型からダイレクト・ドライブ型に改良され、エンジンの作動による振動が大幅に軽減されたワンマンソーが初めて製作され、これが同二三年ころから市販されるようになり、同二五年ころにはアメリカで広く一般に使用され始めた。

その主たる構造は単気筒二サイクル空冷ガソリンエンジンを原動力とし、その原動力をクラッチで一定方向の動力に転換し、自動鋸(ソー)を作動させるものである。その後、昭和二九年ころには主要な林業国一五か国において一五〇機種余のチェンソーが生産され、同三一年ころには、アメリカのマッカラー社とホームライト社等において一社の年間生産数が一〇万台に達した。

ブッシュクリーナーの外国における製作もチェンソーのそれとほぼ同じ時期であり、その主たる作動機構の原理はチェンソーと同じである。

わが国では、チェンソーは終戦直後に米軍によつて導入され、昭和二三年には富士産業が国産化を始め、また同二六年には商社がアメリカから輸入したチェンソーが民有林に導入された。林野庁でも昭和二八年ころから逐次国有林への試用導入を始め、同三二年ころから本格的に実用導入を図つた。ブッシュクリーナーは昭和三二年からわが国の民有林に実用導入されていたが、国有林でも同三五年ころから使用を開始し、翌三六年から本格的に導入を開始した。

2 わが国の国有林野事業で実用化されたチェンソーの大半はアメリカ製のマッカラー型とホームライト型と呼ばれるもので、昭和三五年ころにおけるその重量(乾燥重量で、給油して作業に使う際には、その最大給油分の重さ約一キログラムが加わる。)はホームライト型(ホームライト七―一九型、排気量八〇立方センチメートル)で約8.7キログラム、マッカラー型(マッカラー一―七〇四型、排気量八七立方センチメートル)で約8.7キログラム、ガソリンと灯油混合用のエンジンの原動力三ないし四馬力毎時、振動の強さは約一〇グラム重毎秒重力加速度(以下、この単位をGで表示する。)、騒音は約一一〇ホン前後であり、他のマッカラー型やホームライトとも鋸の長短と排気量の大小により、その重量と原動力、振動の強さ、騒音に幾らかの差異があつたが、前記数値と大差ないものであつた。

ブッシュクリーナーは日本国産品が多く実用に使われ、その重量は約七キログラム(排気量二〇立方センチメートルクラスのもの)から約一三キログラム(排気量五〇立方センチメートルクラスのもの)で、その振動(振動加速度)と騒音(ホン)はチェンソーのそれらより幾分低いものであつた。

昭和三一年、東京大学の藤林誠教授らは、伐倒及び玉切り工程における単位当たりのエネルギー消費量がチェンソー使用の場合、人力だけによる作業と比較して、約半分に軽減されることを実験結果で測定し、チェンソーの使用により従来の人力のみによる労働強度が大きく軽減されることを日本林学会に報告した。

3 林野庁はチェンソー等の実用化に踏み切るまでに、これに関して次のような施策を行つた。

(1) 昭和二七年、動力鋸作業試験委員会(委員長東京大学森林利用学教室教授藤井誠)を設置し、機種性能の検討、作業実験の実施とその結果資料の作成、所見の報告を求め、同委員会は昭和二九年四月、その作業試験報告書を提出した。この作業実験には東京営林局天城営林署の作業現場での伐木造材にチェンソーを使用した実験も含まれた。

(2) 林野庁は昭和三二年に前橋営林局沼田営林署を国有林野事業の現場作業の機械化作業実験営林署に指定し、チェンソー等を含む機械作業の指導者養成を行い、高知営林局からも職員が派遣され、右指導者養成訓練を受けた。

林野庁は農林省の付属研究機関である林業試験場にチェンソー等の作業方法ないし作業の標準工程策定に関する調査、実験研究を委託し、同試験場はその結果を昭和三四年ころ林野庁へ報告した。

(3) 林野庁は右(1)(2)の調査、実験、研究の結果にもとづき、国有林機械管理規定(昭和二九年四月一日施行)、伐木造材作業基準(昭和三五年四月一日施行)、チェンソー取扱要領(前同日施行)、チェンソー等の造材作業点検要領(昭和三四年八月)を制定施行した。これらの労務作業規程で、チェンソー等の運転中は、耳栓などを必ず使用することと定めた。耳栓をチェンソー等の使用者が着用することによつて、チェンソー等作動中の騒音が許容最高基準一〇〇ホンより低い八〇ホン程度に抑えられることが、林業試験場等の前記調査で確められたからである。

4 その間の昭和二九年、台風のため北海道の国有林で、当時の北海道における約三年半分の伐採量相当の風倒木が一時に生ずる事態が発生し、その処理のために旭川営林局等で急拠チェンソーを導入使用したところ、その作業能率は手作業の約二倍であつたが、そのチェンソー使用を指揮監理した同局の技術者は、そのころ林野庁に対し、右チェンソー実用の所見として、機械の価格が高いこと、導入したチェンソーが外国製品であつたため部品の入手が困難であること、整備について熟練期間を要すること等の欠点が補えるならば、事業者の得るメリットもさることながら、作業にとつては重筋労働からの解放の効果が極めて高いことを報告した。

昭和三一年林野庁はチェンソーの本格的導入に当たり林業機械の専門家である三品忠男を三か月アメリカ、カナダに派遣しチェンソーの現場での仕事を視察させた。当時アメリカでは既にチェンソーが年間一〇数万台生産され使用されていたが、チェンソー使用のため従前の重筋労働が軽減されたのと筋力の弱い者も伐倒のできることを自慢にしていた。しかし振動障害とかレイノー現象については何の訴えもなかつた。三品はさく岩機等による振動障害のことを知つていたがさく岩機などとチェンソーでは振動の性質と振動の程度が違うと認識し、これを使用させることで振動障害が生ずるとは全然思い及ばずチェンソー導入を推進させた。

5 高知営林局では昭和二九年に五台、同三〇年に一七台のチェンソーを導入したところ全林野の反対で使用を中止させられたことがあり、それから約五年後の昭和三四年一月全林野四国地方本部との間にチェンソー実用化に関する合意文書を取り交わしたうえ、同年度に一三五台のチェンソーを導入し実用化した。その主要な機種はマッカラー一―七〇型、同四四―A型とホームライト七―一九型で、排気量八〇ないし九〇立方センチメートル、重量約九ないし一〇キログラム、振動の強さ約一〇G、騒音約一一〇ホソのものであつた。当初導入した一三五台は当時、同局管内の造材手が伐木造材を行うのに必要な台数の約三分の一程度であつたので、高知営林局はその作業員の希望と適性、年齢等を考慮して、チェンソー使用者を選定し、林野庁制定の前記作業基準、作業要領に従つて作業させ、耳栓や防塵眼鏡を供与した。全林野はチェンソー導入による機械化に反対することはなく、機械化による就労者の減少を恐れたのであつた。高知営林局はチェンソーの使用を強制したことはない。

その後、高知営林局管内におけるチェンソー保有台数は昭和三五年二一八台、同三六年度二七一台、同三八年度二五四台、同四〇年度三〇四台、同四二年度三八六台、同四四年度四二六台となり、このころ同局管内の造材手全員がチェンソを使用するようになつた。

高知営林局がブッシュクリーナーを導入し実用化したのは昭和三六年で、その実用に際しても全林野高知地方本部との間に覚え書きを取り交わし、同局でこれを使用する作業員の心得規程とその取扱要領を制定し、同年六月一日から施行した。

なお、造林作業のうち植付用穴掘りのため、オーガー(自動穴掘機)もそのころ導入された。

(三)  (国有林野事業におけるチェンソー等の導入の推移と実績)

わが国の国有林野事業におけるチェンソー等の導入実用台数の推移は左記のとおりである。このうち昭和四四年までの分については当事者間に争いがない。

機種

チエンソー

(台)

ブツシユクリーナー

(台)

年度

昭和29年

106

0

30年

301

0

31年

566

0

32年

847

0

33年

1358

0

34年

1901

0

35年

2951

0

36年

4194

2611

37年

5111

6589

38年

4820

9231

39年

4998

11248

40年

4988

12535

41年

5080

12990

42年

4969

12699

43年

5075

12194

44年

5352

12960

45年

5914

12336

46年

5980

10402

47年

5990

9083

48年

6120

8294

49年

6151

7765

その過程で、国有林野事業における作業員一人当たりの素材生産実績は、昭和三五年における作業員一人当たりの素材生産量を一〇〇とすれば、同四〇年度のそれは一九〇と二倍近くまで増加し、このような増加傾向は同四〇年代の後半まで続いた。右の労働生産性の向上は、製品生産事業部門におけるチェンソー等の導入普及のみでなく、集材機とトラクターの普及、全幹集材方式等の開発、作業仕組の改善等の各種の技術開発の総合的な結果としてもたらされたものではあるが、そのうちチェンソー等使用により伐木造材作業における単位時間当たりの作業量が大幅に増加するとともに、生産工程の流れが円滑になつたことによる寄与役割は相当に大きかつた。

以上のとおり認められる。<証拠>中の、チェンソー等の重量や振動・騒音の程度に関する部分は、<証拠>の右の点に関する記載や証言と比較して採用できず、他に以上の認定を動かすべき正確な証拠はない。

三(わが国において、圧縮空気を原動力とする振動工具<以下、空気振動工具という。さく岩機、鋲打機など。>、電気モーターを原動力とする振動工具<以下、電気振動工具という。グライソダー、タイタソバーなど。>、ガソリンエンジン等を原動力とする振動工具<以下、エンジン振動工具という。チェンソー、ブッシュクリーナーなど。>使用による振動障害が職業病と認定されるまでの経緯)

右一、二の事実と、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  世界で初めて振動工具が作られたのはほば嘉永二年(一八四九年)で、当時米国のフィラデルフィヤで、空気振動工具のさく岩機が製作され、間もなく実用化された。わが国ではそれから三八年後の明治二〇年に、佐渡の鉱山が外国製のさく岩機を導入したのが最初で、数年後には他の鉱山にも使用されるようになり、その後、昭和二二年ころまでにさく岩機ほか、鋲打機、ジャックハンマー、グラインダー等が使用されるようになつていた。

2  わが国で右振動工具使用者にその使用による人身障害がみられることを最初に発表したのは、別表第二の(1)のとおり、昭和一三年に村越久男が鋲打工の一臨床例を報告したことであり、その後昭和二二年までに同表(2)ないし(4)のとおり、労働衛生学の専門家三名が、当時、使用の増大していた空気振動工具と電気振動工具のうち打撃振動工具使用により、使用者の手指に蒼白発作が生ずることや肘の関節等に障害が生ずることに注目したが、いずれも若干の臨床例に関する研究結果を報告するにとどまつた。

右の各文献によると、右各振動工具使用による人身の障害はすべて局所かつ軽症(筋肉神経系の障害として手首、肘等の関節炎等、循環系の障害として手指の蒼白発作)で、それらは特別の治療を行わなくてもさして危険な性質の疾病でなく、その従事する作業に支障があるのは極めて稀で、殆んど全部の罹症者が猟や魚釣り等の戸外レクリエーションを寒冷時に行う場合に、やや手間どるなどの不便があるという程度で、振動工具使用の作業者らは障害を見聞しても、それを危険視せず、わが国の医学専門家で治療を要するほどの障害があるとの所見を発表した者は見当たらなかつた。

昭和三〇年代まで、わが国では右振動工具使用による人身障害発生の報告は、毎年主として鉱業、建設業から数例ずつの一〇件程度があるにとどまつた。昭和二二年労働基準法が制定されるまで、わが国では振動工具使用による人身障害が職業病に法定されたことはなかつた。

なお、国際労働機構(アイ・エル・オー)の第一八回総会は、昭和九年、労働者職業病補償に関する条約(条約第四二号)を採択したが、その条約で就労による疾病として使用者が疾病にもとんく被災労働者の損失を補償すべきものとする職業病に振動障害は含まれず、昭和三九年(一九六四年)右条約は第一二一号条約として改正されたが、その条約でも振動障害は業務上の疾病とされず、さらにその後、昭和五五年(一九八〇年)に、右条約第一二一号の職業病の一覧表を改正し、その職業病に振動による疾病等を追加したが、この改正された条約で職業病とされた振動障害は「振動による疾病(筋肉、腱、骨、関節、末梢血管又は末梢神経の障害)」であると規定している。わが国は右の第一二一号条約を昭和四九年六月に批准し、さらに右改正後の同号条約を、昭和五六年六月に国会の議決を経て受諾した。

3  昭和二二年(一九四七年)までに外国で発表された振動障害についての文献には別表第二の(201)ないし(208)、(301)がある。これはすべて空気や電気による振動工具使用者の身体障害を調査研究したもので、(201)ないし(208)の各所見は、すべて右障害を局所疾患と説明し、そのうちには軽症なものが大半であるとの所見(202)、(206)、この種振動工具使用者に散見される筋力の低下、腕のだるさ、各種の胃腸症状、不眠、頭痛、不安感などのいわゆる不定愁訴は、肉体労働の疲労によつて生じたもので、振動障害特有の症状でないとの所見(201)、振動による白指発作と健常者が異常低温に全身曝露した場合等に発症するレイノー現象(205)や他の疾病によつて発症する白指発作との鑑別診断の必要と重要性を説く所見(201)、(205)、振動障害の重症者には、右振動によりその使用労働者の手指先端等に壊死をおこし労働能力を相当に失うものがあるとの記述(202)がある。

(301)で、ソ連のアンドレーア・ガラニナ(以下、ガラニナという。)は、振動による人身障害を振動病と呼び、この疾患の症状には手指の血管運動神経の障害、感覚障害、栄養障害など局所的な症状が多いが、よく調べると、右症状のほかに全身性の変化がみられるので、局所的な疾患といえず、長期にわたり振動作用が身体の一部局所に加わることにより身体の中枢神経系に影響をおよぼし、その結果として、上肢等の運動器官に血管障害や栄養障害が発症し、場合によつては消化器官や平衡器官の機能障害を招来すると説明した。この所見を昭和三六年に日本の松藤元が別表第二の(10)で紹介し、ガラニナの前記書籍は良書であるが、わが国では恐らく入手不能であり、日本語への訳出が望まれると述べているに止まつた。

4  昭和二二年(一九四七年)ころまでに、ソ連を含む共産主義国以外の諸外国のうち、振動工具使用による疾病を職業病として雇用者の災害補償責任を法定していたのは、ドイツ共和国が昭和四年(一九二九年)までに、そのドイツ労働者補償法で、空気式振動工具使用による労働者の筋肉、骨、関節の疾病を補償対象疾患損傷の一つに法定していただけであつた。ソ連等共産諸国における補償制度が実施された時期は判然しない。

5  わが国の労働行政は今次大戦後、連合国の対日管理政策に沿つて改められ、昭和二二年九月一日、その労働安全衛生労働災害補償に関する政府機関として労働省が設置され、その基幹法規として労働基準法(以下、労基法という。)、労働者災害補償保険法が施行され、雇用労働者の業務上の疾病のうち、法規に定める疾病による被害損失は右保険制度により使用者の職業病災害補償責任が明定されるに至り、労基法施行規則(昭和二二年八月二〇日、厚生省令第二三号)三五条で、右業務上の疾病として一号から三八号まで具体的に規定され、そのうち振動工具による疾病として、その一一号で「さく岩機、鋲打機等の使用により身体に著しい振動を与える業務による神経炎その他の疾病」と規定し、その労働時間の制限については同規則一八条で、労基法三六条但書の規定による労働時間の延長が二時間を超えてはならない業務中に「さく岩機、鋲打機等の使用によつて、身体に著るしい振動を与える業務」を規定した(六号)。

労働省は昭和二三年八月、労働基準局長通達(基発第一一七八号)をもつて、労基法施行規則一八条六号の有害業務につき、労働者が使用する機械の範囲を、衝程七〇ミリメートル以下及び重量二キログラム以下の鋲打機を右機械に含めず、それ以外のさく岩機、鋲打機等を使用する業務はすべて右規則の条号に該当すると定めた。

労基法は、昭和二三年一二月三日の国家公務員法改正以降、一般職に属する国家公務員には適用されないものであつたが、同二七年八月一日に公共企業体等労働関係法が改正されて以降は、林野庁の国有林野事業を含む五現業に従事する国家公務員について、同二八年一月一日から労基法が全面的に適用されることとなり、その公務上の労働災害補償手続等については国家公務員災害補償法(昭和二六年法律一九一号)及び人事院規則一六―〇(職員の災害補償、昭和二六年初制定)が適用されることとなつた。

林野庁は昭和二九年以降、その国有林野事業の伐木造材作業にチェンソーを、植林作業にブッシュクリーナーやオーガーを実用化したが、労働省がそれから約一二年後の昭和四〇年五月二八日付労働基準局長通達(基発第五九五号)をもつてはじめて「チェンソーは、さく岩機、鋲打機と同様振動工具であり、しかもその使用によつて身体に著しい振動を与え振動障害をもたらす場合があるものと思料される。従つて、チェンソーは、労基法施行規則三五条に規定するさく岩機、鋲打機等に含まれるものであるから、その疾病の取扱いについては遺憾のないよう留意されたい。」と示達するまでは、右規則条号のさく岩機、鋲打機等とある「等」とは専ら圧縮空気を動力原とする振動工具、電気モーターを動力原とする振動工具中の打撃振動工具を指称するものと解釈され、この「等」の中にチェンソー等のエンジンを動力原とする回転振動工具が含まれるとする行政解釈が公示されたことはなかつた。また人事院規則一六―〇、別表第一が昭和四一年七月の改定でチェンソー等を振動工具に掲記するまでは、その別表第一、番号四四に、疾病として手指神経症、関節炎又は筋炎と、公務として「さく岩機又は鋲打機を使用する公務」と規定され、労基法施行規則三五条一一号の「さく岩機、鋲打機等」という「等」の文言がなかつたし、チェンソー等のエンジンを動力原とする回転振動工具をさく岩機又は鋲打機と同視してよいとする解釈が示されたこともなかつた。

6  昭和二三年から同三四年までの間におけるわが国の振動障害に関する医学的知見についての文献として、別表第二の(5)ないし(8)があるが、それらは(6)の所知雄らの所見を含め、すべて空気振動工具と電気振動工具中の打撃振動工具と回転振動工具による振動障害の知見であり、チェンソー等のエンジンを原動力とする回転振動工具による振動障害に言及したものはなかつた。なお同表の(8)で、三浦豊彦は昭和三三年から二年間の労働省委託の労働衛生試験研究の一環として、振動の分析と障害との関連で、仮の振動許容基準を提案し(甲六八号証、一五〇頁)、その中で、作業現場における圧縮空気を原動力とする振動工具と電気モーターを原動力とする振動工具を打撃工具、手持回転工具、スタンド回転工具に分類して、その振動数と振幅を観察したところ、回転工具は振動数が比較的大で、打撃工具は振動数が比較的小さく、振幅が大きく、スタンド回転工具は振幅が小さいことが判明したこと、現場の作業者にアンケート調査を行い、蒼白発作等のレイノー現象が明確に認められた者のほか、しびれや痛み等の自覚症状を含めた障害と振動の強さ(振動数と振幅)との相関関係をグラフ化し、作業者の障害の訴えが全くみられない振動の強さの最大限界を右グラフで求め、それを仮の振動許容水準と設定し、現場で作業に使用する振動工具の振動の強さが、右許容水準以上の場合は、作業工具に厚手の手袋等を着用させるなどして、その振動物体と人体との間に振動緩和減衰装置をおくなどの対策が必要であるとの所見を発表した。

昭和三三、三四年の両年、労働省に振動障害研究班(班長三浦豊彦)が設置され、この研究班が労働衛生の試験研究として「振動の身体の局所におよぼす影響」に関する研究を行つたが、その研究結果は公表されなかつた。

7  昭和二三年から同三四年までの間における外国の振動障害に関する知見として、別表第二(210)のとおり昭和二九年、イギリス政府から昭和二五年に振動障害を職業病に指定すべきか否かにつき諮問を受けていた同国の労働災害諮問委員会は、同委員会独自の調査研究その他の諸資料を検討して、職業病に指定すべきでないとの答申を行つた。その理由はレイノー現象を職業病に指定すれば、不十分な証拠に基づいて審査しなければならないケースや、同様のケースでも審査機関によつて異なる判断が下される可能性があることなど、職業範囲の定義や個々の請求審査の面で種々現実的な問題が出てくることが明らかであり、また最終的に支払われる補償総額が比較的少額であること等が多数派委員の見解として支持されたためであるが、同時に少数派意見として、レイノー現象によつて大きな障害が生ずる事例が僅少とはいえある以上、レイノー現象を職業病に指定すべきであるとの見解も提出された。

8  昭和三四年、農林省林業試験場経営部作業研究室は職員米田幸武と辻隆道に、わが国の林業労働のうち伐木造材作業が従来の人力を主とする作業からチェンソーを使用する機械作業へ換わろうとする時期であつたことから、この新しい機械作業の合理的な作業方法を検討するうえでの必要な基礎的研究の一つとして、チェンソーを操作する者がチェンソー使用による肉体的負担のほかに、神経感覚的負荷の影響を受けるであろうことを予見し、チェンソー作業についての作業方法、作業工程、技術習得状況等についての実態把握及び、その作業におけるチェンソーの振動・騒音による疲労症候群の実態把握を目的として、チェンソー三台以上を現実に使用している国有林野の伐木造材事業所の作業員、指導員、事業所主任、営林署の事業課長、機械係を調査の対象として、チェンソー作業のアンケート調査を実施させた。その調査の第二表は六〇項目に及ぶ作業後の疲労症候調べであり、第三表が振動と騒音による自覚症状調査で、振動による自覚症状項目は「しびれ」、「蒼白」、「しびれと蒼白」、「関節痛」、「筋肉痛」の五症状が掲記されており、この振動による自覚症の調査項目は右調査員が別表第二(8)の三浦豊彦(労働科学研究所、労働衛生学第二研究室)の知見等を参考に設定したものであつた。この調査の回答者数等の状況、振動による自覚症についての回答数その他の内訳は別表第三の一、二の(1)ないし(5)のとおりである。この調査につき高知営林局管内から全く調査回答がなかつたのは、同営林局ではこの昭和三四年一月にチェンソーの導入実用化が開始されたばかりであつたため、右調査に回答するのを見送つたものとみられ、長野営林局管内から回答がなされなかつた経緯理由は判然しないが、昭和三四年に伊勢湾台風に襲われ、大量の風倒木が生じ、その処理に忙殺されたためではないかと想像される。

米田幸武と辻隆道は、翌昭和三五年二月に、右調査結果を取りまとめた。これが甲六号証であるが、林業試験場作業研究室では、右調査内容につき更に研究を重ねる必要があるとの認識で、この調査結果を作業研究資料にとどめ、林野庁等に連絡通知することも、部外へ公表することもなかつた。但し辻隆道は右調査内容の一部を、昭和三四年五月、六月、九月に、林業機械化情報(林業機械化協会発行の雑誌、民間の林業関係企業等に林業の機械化に伴う諸情報を速報すること等を目的としている。)に掲載して発表した(甲一三八ないし一四〇号証)。

辻隆道は、甲一三九号証の右雑誌で、チェンソー使用作業員の振動による障害で顕著なのは局所的な振動の負荷で、このため、一過性の疲労症状として、上肢の血管・神経に対して血行障害がおこつて蒼白となり、しびれ感および疼痛感が起こり、これが筋萎縮をおこし、関節にも同様に慢性の関節炎がおこるとみられること、振動の発生物体である機械本体の改良は勿論必要であるが、それ以前に騒音、振動の作業員の身体におよぼす影響、障害のあらわれ方、進行程度を確実に調査してから作業方式、作業者の交替制等の対策をたてる必要があろうこと、このアンケート調査の回答の頻数と訴えの方面とによつて、作業条件、環境条件等と症候との関係を検討し、疲労対策や職業病の早期発見の一助としようとするものであることを記述し、甲一四〇号証で別表第三の各数値内訳をグラフで示し、回答者がしびれ、蒼白の発症を訴える部位等につき説明した。

また、米田幸武は昭和三七年一一月出版の林業機械概論(甲一四一号証)で、辻隆道と同じく、チェンソー等を含む振動工具の操作による振動障害につき、その振動により使用作業員の人体に振動感、しびれをおこすのみでなく、その振動が強くなるとその体内の心臓、肺臓、胃、腸、眼球、脳などが障害されるに至ることを記述している。

しかし、辻隆道および米田幸武の右所見につき、労働衛生医学界を含む医学界からも、また林野庁、全林野、民間の林業者等、チェンソー利用関係者からも昭和四一年までは関心がもたれた形跡がなく、辻らが前記文献でチェンソー等の使用によつて生ずる疲労症状であると指摘した手指の蒼白やしびれ、上肢の関節痛、筋肉痛について、昭和四〇年五月、名古屋大学医学部衛生学教室助教授山田信也らが日本産業衛生学会、チェンソー使用作業員の手指にレイノー現象が発症し、その末梢循環系に異常所見があり治療を必要とすると報告するまで、わが国において、チェンソー使用によつて振動病が発症することを指摘した知見やこれを予見した知見も発表されることはなかつた。

9  労働科学研究所の三浦豊彦らがチェンソー等使用者のレイノー現象等に関する調査を行つたのは昭和四〇年一〇月に人事院からの委託にもとづき長野営林局の坂下など三営林署管内で実施したのが最初であり、辻隆道の前記文献に初めて医学界で言及したのは、三浦豊彦が昭和四一年一〇月に発表した「局所振動障害としての職業性レイノー症候群」と題する論説(乙三〇二号証、別表第二の昭和四一年欄)であつた。

10  昭和三五年と三六年の二年間に、別表第二の右両年欄に記載の文献や学会その他で、振動障害に関する医学的知見が相当多数発表されたがそのうち(302)を除き、チェンソー等による障害に言及したものはなく、チェンソー等の使用によつて人身障害が生ずることを予見したものもなかつた。

昭和三六年に、別表第二の(302)(303)でソ連のガラニナらとドロギチナらは、ソ連のガソリンエンジンを原動力とするチェンソー使用伐木夫に振動病が発症していること、そのチェンソーを含む振動工具全般の使用で発症する振動障害の臨床的特性や症状分類、疾病の進行段階に関する所見を発表した。しかし、(302)(303)につき昭和四七年に出版された渡部真也、山田信也共著の文献等に引用されているガラニナの振動病進行段階所見の記述(乙二九九号証)等の中には正確でない点があつたし、昭和四一年に、別表第二の(304)が松藤元の翻訳で紹介されるまでは、ソ連において、チェンソー使用伐木夫等にその使用による振動障害が生じていることを記述した文献も報告もなかつた。この翻訳で、ソ連ではその保健省が昭和四一年五月、振動障害防止規則を制定して、振動工具の振動の強さの最高限度を制限したこと、振動工具使用の労働時間を一日の労働時間の三分の二以下に制限し、超過勤務を禁止したことが明らかにされた。

別表第二の(10)で、松藤元は「局所振動工具使用者の振動による疾患は振動が身体の局所に加わつて発生するものと考えられ、従つて欧米各国では一般に局所的疾患であつて、全身に影響が及んでその結果として症状が身体の一部に特にはつきりと現われる全身疾患とは考えられない。ところがソビエトの学者の中には本疾患は局所的な疾患というよりも、むしろ全身性の疾患であるとしている人がいる。……この考え方はソビエト特有のもので、われわれにはこれを批判する材料のもち合せがない。身体の局部振動による影響は既して軽度と言われ、少なくとも現在までに日本で行なわれた調査では重症の者はほとんど見出されず、そのため治療を必要としたり、職場転換をやむを得ず行なうような例はあまりないらしい。」と記述している。

11  昭和三六年一一月、全林野長野地方本部から長野営林局に対し、機械化によつて作業員に眼、耳、心臓の病気や神経痛、関節痛等の影響が現れているのでこれを調査し、措置することの要求があつたので、長野営林局は作業員の健康管理のため、林野庁及び林業試験場と調査方法等について協議したうえ、同三七年一二月「林業機械化に伴う職業病的傾向に対する調査」を実施した結果、チェンソー使用作業員の中に昭和三五、三六年ころ手指の白ろう化や無感覚になる症状を経験したと訴えた者が一五名いたが、その症状は日常の作業等には支障がない程度のものであり、また調査時点において右のような症状が発現していると訴えた者は皆無であつた。なお、訴えた者三人が所属していた坂下営林署では、右の調査の前後にわたつて、同営林署の管理医の意見を聞いたところ、「職業病であるかどうかわからないが、この原因は本人の身体の状態や心臓の弱い人、栄養不足等によつて、血液の循環が鈍る結果であり、手の先が変色するもので、この対策としては栄養を多くとり心臓を丈夫にするとともに、朝夕の出退勤時には手をマッサージすること。心配はいらない。」との指導を受け、更に、坂下病院の指導を求めたところ、蒼白現象はチェンソーによるものではなく、むしろ本人の健康、体質、栄養状態などが原因と考えられ、チェンソーによる職業病と認められるものではない旨の回答を受けた。そこで坂下営林署としては管理医と意思疎通を図りつつ作業員の健康管理に努め、管理医の指示によりマッサージの励行や栄養の改善等を指導していた。

12  昭和三七、三八の両年における振動障害の医学的知見に関する文献と学会報告は別表等二の右両年欄掲記のとおりであり、チェンソーの使用による振動障害に言及したものはなかつた。

13  昭和三八年一〇月、長野営林局坂下営林署は、前記調査で手指の蒼白現象が発現したことがあると訴えた同営林署のチェンソー使用作業員三名に坂下病院長窪田鋭郎の診断を受けさせた結果、同医師から「一過性の血管運動神経症によるもので、末梢神経障碍等による永続的な運動障碍又は知覚その他の感覚異常はなく、寒冷時の気温、湿度その他の気象的、地形的な因子並びに本人の血圧、血液循環器系あるいは栄養状態その他の因子に原因するところが大きく、作業自身による影響は職業病と認められる程度のものではない。」との所見が得られ、その際の問診において、右作業員三名は、いずれもただ手が白くなり感覚が鈍るだけで、痛くもかゆくもない旨答え、同医師も何らの治療の必要性を指摘しなかつた。

長野営林局は、前記訴えた作業員の実情を的確に把握するため、昭和三八年ころまでに「機械又は除草剤等の使用により異常を訴えた者の調査」を実施したが、坂下営林署は、当時訴えのあつた作業員の症状等について、早朝などにオートバイ又は軽三輸自動車を運転した際にレイノー現象が現われること、一五分ないし三〇分間その状態が続くが痛みはないこと、発症前の健康状態には特に異常がないこと、また通常の作業に何ら支障のないことを挙げ、手指の蒼白の原因はチェンソーではなく、通勤のためのオートバイ運転によるものと考えられる旨を長野営林局へ報告した。

14  林野庁は昭和三八年、その国有林野事業における機械化が本格的に進められて以来約一〇年経過したこの時期に、チェンソー等を含む林業機械の使用が災害や健康面に与える影響の実態調査を行うこととし、当時農林省診療所長兼林野庁の管理医であつた済生会病院の堀内渉、東大医学部第一外料の石川浩一、労働科学研究所の三浦豊彦らと相談して右実態調査を準備し、まず作業員の訴えについてのアンケート調査を行うこととして、同年九月ころに秋田営林局管内において前記堀内渉による予備調査を実施したうえで、調査項目についての林野庁案を作成し、直ちに労働科学研究所に対し、調査票の設計、調査後の集計・分析を委嘱した。

右のアンケート調査は、同年一一月、チェンソー等使用者のみならず各種林業機械作業従事者全員を対象として全国の国有林野事業所一斉に行われ、実施後直ちに労働科学研究所で調査票の集計と分析がなされ、約一万一〇〇〇名に及ぶ大規模な調査結果の全ぼうは、同三九年三月から夏ころまでに明らかになつた。

右アソケート調査の結果によると、チェンソー等の使用作業員中にレイノー現象(チェンソー使用作業員の5.7パーセントにあたる一六八名、ブッシュクリーナーの使用作業員の1.0パーセントにあたる五一名)や指のしびれ(同12.3パーセント)等の自覚症状を訴えた者のあること及び集材機、トラクターの使用者からも同様の訴えがあつたこと、蒼白発作の訴え者率はチェンソー使用者が最高であることが判明した。しかし、これらの訴えの内容は一般的な訴えや局所的な訴えなど極めて多岐にわたり、これらの原因が果たしてチェンソー等や集材機等の使用に起因するのか明確でなかつた。またこの調査報告書は、同アンケート調査の結果は、問題点の提起には役立つても、客観性に乏しいことはいうまでもないとし、訴え率の高い局をえらんで実際訴えている人達(ことに蒼白発作)について調査を行う必要があろうと指摘した。

右調査報告書中チェンソー等その他の集材機等の使用作業員の指のしびれと蒼白発作の訴え者数等の内訳は別表第四掲記のとおりである。同調査報告書は長野営林局内の局所振動の影響に関する蒼白発作の訴え率が15.1パーセントで全国のそれと比べ有意に大きいと記述している。

右アンケート調査結果中、高知営林局(別表第四中、西部地域に含まれる。)の蒼白発作経験訴え者数は二七名で、そのうち四名が各二日ずつ医療を受けたと回答した。二七人のうち二六人がチェンソー使用作業員、一名がブッシュクリーナー使用作業員である。被控訴人ら一二名のうち、被控訴人松本勇(マッカラー一の七二型のチェンソーを使用)が右二七名の一人に含まれており、被控訴人松本は冬、通勤途中に右手の第二、三、四指が三〇分蒼白になりしびれがおこつたこと、医療を受けたことはないことを回答した。高知営林局には同局管内に関する右調査結果の資料が昭和三九年三月ころ送付された。

右アンケート調査結果は、林野庁から全林野本部へ昭和三九年七月一五日に文書で概要を説明した。

15  別表第二の(212)で、昭和三九年にオーストラリアのグラウンズがスタマニアでチェンソー使用の伐木手二二名を調査したところ、その九一パーセント(二〇名)の手指にレイノー現象(白指)の発症がみられたこと、しかしその発症者に作業をやめさせる必要があるとは何人も考えていないことを発表したが、この文献がわが国に紹介されたのは昭和四〇年以降であつた。

なお、昭和四七年にソ連で開催された日ソゼミナールに出席した日本の渡部真也らに、ソ連林業機械化研究所(ツメイニ)の労働安全部長はソ連におけるチェンソーの使用開始は昭和三一年(一九五六年)であるが、当時、その使用による振動病の発生は予測できなかつた旨話した。

16  昭和三九年一二月、全林野は独自に名古屋大学衛生学教室の山田信也に依頼して、振動機械による障害の調査を開始し、翌四〇年一月までに延べ三回の現地(長野営林局付知営林署管内の事業所)調査を行つた結果、山田らは昭和四〇年五月、日本産業衛生学会で「チェンソーを使用する伐木造材手三〇名のうち一七名に蒼白現象が発現しており、又痛み、しびれ等も訴えている。これらの各症状や発生の経過は、すでに明らかにされているさく岩機等の使用による振動障害の症状と類似しており、このような集団的異常はいわゆる白ろう病がチェンソーの振動によるものであることを疑わせるに充分である」と発表した。

山田らの右学会発表に先立ち日本放送協会(NHK)は同年三月二六日、テレビの全国番組「現代の映像」で「白ろうの指」と題して、チェンソー使用の伐木造材手にその使用に基因するとみられる手指の蒼白発作が発症していることを放映した。

山田らの前記所見は、右テレビ放送と結びついて一挙にわが国の社会的注目を集め、以後昭和四二年ころまでに別表第二の該当年欄記載のとおり、チェンソー使用による振動障害に関する研究所見が学会や文献で多数発表された。

17  右のとおり昭和四〇年三月チェンソー使用による振動障害が白ろう病の名で一挙に社会の注目を浴びるに至つたことにより、林野庁は、同年三月二日付(林野厚第一〇一号)で、各事業所のチェンソー使用作業員を対象に臨時健康診断を早急に実施することとし、その診断で、作業員に蒼白発作の経験を訴える者を営林局やその下の営林署で委託している管理医に診察を受けさせ、蒼白発作が発現しているのを現認した場合には写真にして、林野庁へ報告させることとし、この健康診断は高知営林局管内の作業員約八〇名を含めて、同年五月末ころまでにほぼ全作業員に実施された(第一回臨時健康診断の実施)。高知営林局管内での右健康診断の結果、一〇名足らずの作業員にレイノー現象等の発症が確認された。

18  林野庁はさらに昭和四〇年四月二一日付(簡易文書二九六号)で、レイノー現象誘発検査方法をより精密に指示してチェンソー使用作業員に臨時健康診断を受けさせることとした(第二回臨時健康診断)。この健康診断は高知営林局管内の作業員約一〇〇名を含め、同年五月末ころまでに実施された。高知営林局管内では右健康診断の結果、作業員一〇名余にレイノー現象の発症が確認された。

林野庁は昭和四〇年四月一六日までに人事院との間に、国有林野業務でチェンソー使用作業員のレイノー現象発症者につき林野庁から人事院に個別的に連絡協議し、人事院の公務上疾患の認定を受けることができる協定をした。この協定にもとづき、別表第五(一)(二)のとおり高知営林局が林野庁を通じて、人事院へ二四人の認定申請をして協議が行われ、そのうち人事院から公務上の疾患として一五名が認定を受けた。右申請者のうちに被控訴人下元一作(但し、昭和四四年三月に認定された多発性神経炎を除く。)、同浜崎恒見、同山中鹿之助が含まれていたが、右被控訴人ら三名のうち被控訴人下元が昭和四一年五月一三日付で認定を受け、他の被控訴人二名は人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一が昭和四一年七月に改定された後、その改定された規則により公務上疾患の認定を受けた。

19  労働省は、昭和四〇年前橋営林局沼田営林署管内の伐木造材事業所で造材手の白指発作を調査し、同年五月二八日付労働基準局長通達(基発第五九五号)により、チェンソーが労基法施行規則三五条に規定するさく岩機、鋲打機等に含まれること、レイノー現象等を業務上の疾病として取扱うことを示達した。

20  林野庁は昭和四〇年、人事院等と共催で労働科学研究所にチェンソー等の使用によるレイノー現象発症等の実態調査を委託し、労働科学研究所はそれにもとづき同年一〇月長野営林局の坂下、三肥、妻籠の三営林署管内の伐木造材手(チェンソー使用)造林手(ブッシュクリーナー、オーガー使用)につき右調査研究を実施し、その結果を翌四一年三月ころまでに林野庁へ報告した。

21  人事院は、昭和四〇年、同四一年の二か年にわたり、科学技術庁及び林野庁と共催で、林野庁作業環境、作業意欲等に関する実態調査を東京大学の労働衛生研究室等と東京都立大学研究室に委嘱し、右両大学の研究室等による調査が笠間、平、富岡、浪江の各営林署で昭和四一年三月までに実施され、その中間報告書がそのころ人事院へ提出された。

人事院は昭和四〇年八月に、中央労災防止協会内労働衛生サービスセンターに沼田営林署管内におけるレイノー現象の発症等に関する実地検診を委嘱し、翌四一年二月に右労働衛生サービスと労働科学研究所に委託して熊本・高知両営林局管内の九営林署(高知営林局は松山・川崎・安芸・奈半利・魚梁瀬の五営林署、但し労働衛生サービスセンターの実地検診実施。)管内の前同様の実地検診を委託した。右の委嘱を受けた両者は昭和四一年三月までにその実地検診を行ない、そのころその結果を人事院へ報告した。

右実地検診において、高知営林局管内の被検者はチェンソー使用作業員八七人であつた。

人事院は昭和四二年三月、右各委嘱にかかる調査結果報告書を林野庁へ伝達した。

22  昭和四〇年、日本産業衛生協会内に局所振動障害研究会(委員長三浦豊彦、委員は山田信也、渡部信也、岡田晃、松藤元、根岸龍雄、細川汀、高松誠その他ら。他にオブザーバーとして林野庁職員らが随所参加)が設置され、その第一回研究会(同年一一月二四日)で、人事院にチェンソー等の使用によるレイノー症候を公務疾患と認定するよう要望することとなり、同年一一月二五日、委員長三浦らが人事院に右要望を上申した。

人事院は昭和四〇年、振動障害補償研究会を設置し、同年一一月、同研究会に「チェンソー・ブッシュクリーナー・穴堀機といつた国有林で使用している著しい振動を伴う機械によるいわゆるレイノー現象に対する補償基準について意見」を諮問し、各専門委員の意見を求めた。専門委員は学識者、科学技術庁、労働省、林野庁、人事院関係者で構成したもので、学識者は、東京労災病院牛尾、労働科学研究所小山内、三浦、東京大学勝沼、根岸、熊本大学高松、名古屋大学山田、東京都立大学石川、中央労働災害防止協会久保田等であり、各専門委員の意見を集約して、同研究会は翌四一年一月までに次のように答申した。

① いわゆる白ろう病については、職業病に指定するよう人事院規則の別表を改正すること

② 療養補償、休業補償については

ア 診断基準は、医師の総合判定により認定することとし、内容は、今後検討すること。

イ 治療を伴わないもの、研究目的としての治療は補償の対象としないこと。

ウ 治療方法は、臨床医に諮問すること。

エ 局所振動障害の分類を、次のとおり三区分にすること。

(ア) 自然又は誘発テストで確認できるもの及び医師の総合判定により本症と診断されたもの。

(イ) 筋電図、X線等により関節、骨等に他覚的所見の認められるもの。

(ウ) レイノー現象以外の症状で、しびれ、冷感、痛み等の感覚異常が神経学的に証明できるもの。

23  右の答申を受けた人事院は昭和四一年七月一日付で人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一を次のように改めた。

24  林野庁は、昭和四〇年七月、レイノー現象対策研究会を設置し、その意見を聴いて、同年八月、チェンソー等使用作業員に毎年定期的に健康診断を実施することとし、高知営林局管内も含めて、同年分はその一一月ころまでに実施された。

林野庁は前記23の人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一の改定に伴ない、チェンソーを使用したことにより公務上の疾病として認定および補償する場合の取扱い要領規程を制定し、昭和四一年一〇月二八日付四一林野厚八二九号をもつてその通達を発し、チェンソーを使用する公務に従事したことにより発症したレイノー現象等の疾病による損害補償の取扱い処理を当分の間、右要領にしたがつて実施することとし、同年一一月一四日付林野厚第八二八号通達により、右疾病を公務上の災害として認定する作業は原則として被災者所属の営林局段階で処理することにした。

ブッシュクリーナーの使用によるレイノー現象等振動障害については当面発生を現認した所轄営林局がその都度、林野庁と協議して処理する取扱いを行つていたが、昭和四三年九月二七日付四三林野厚第六六五号通達により、以後、チェンソーによる疾病認定及び損害補償の場合と同様に営林局で取扱い処理することとした。

被控訴人ら一二名は右人事院規則改定後に、林野庁の右要領規程通達にしたがい(但し被控訴人下元一作のレイノー現象の認定を除く。)、いずれも高知営林局にその疾病認定申請手続を行い、別表第一ないし12にある被控訴人らの経歴目録の国家公務員災害補償法八条による通知日欄の各期日付をもつて、その認定を受けた(この各疾病認定期日については当事者間に争いがない)。

四  (昭和四一年七月一日の人事院の規則改正は振動障害を全身障害としたものではないことについて)

被控訴人らは前記三の23の昭和四一年七月一日の人事院の規則改正は振動障害を全身障害であることを否定するものでないというが、昭和四一年七月一日改定の人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一、番号44の疾病欄には「レイノー現象又は神経、骨、関節、筋肉、けんしよう若しくは粘液のうの疾患」と規定されていること、労基法施行規則三五条一一号で振動工具の業務上使用により発症の職業疾病であるとして規定されていた「神経炎その他の疾病」は昭和四〇年五月二八日付労働基準局長通達(基発第五九五号)の前後において変更がないこと、昭和四一年七月ころまでにおける国の内外の局所振動工具使用による人身障害についての医学的知見に関する文献と学会報告の主要なものは別表第二に掲記のものとみられるところ、そのうち右振動障害には全身的疾患も含まれるとする(301)ないし(303)の所見は昭和四一年七月ころまでにわが国に正確には紹介されていなかつたし、そのうち(301)の所見を昭和三六年に日本へ紹介した松藤元は右所見をソ連医学特有のもので、われわれにはこれを批判する材料のもち合わせがないと述べるにとどまつたのと、わが国で山田信也らが昭和四〇年に別表第二の(101)で、チェンソーの振動による使用作業員の生体変更が、たとえ眼にみえて大きく発展せずとも、長年月にわたつてくりかえされていく場合には、その生体機能全体の負担増として、当該作業員の余命に何らかの悪影響を与えるであろうことは推測に難くないとの所見を記述し、別表二(213)の学会で、高松誠が昭和四一年にレイノー現象とその生体の中枢神経及びホルモン機構との関連性を考慮に入れるべきであるとして、振動障害が全身的疾患とみられることを示唆したほかは、わが国内外における主な医学的所見は、チェンソー等の使用によるものを含め局所振動障害を振動工具を把持する手と腕ないし肩関節までの局所的な循環系及び運動系器管の疾患であるとみていたことが認められるので、人事院規則一六―〇、一〇条、別表第一、番号44に規定の疾病は身体のうち右の範囲の局所障害を公務上災害として指定したものと解するのが相当で被控訴人らの右労基法施行規則と人事院規則の各規定する疾病に関する主張のうち、当裁判所の解釈と牴触するところは採用できない。

番号

44

疾病

レイノー現象又は神経、骨、関節、筋肉、けんしよう、若しくは粘液のうの疾患

公務

さく岩機、びよう打機、チェンソー等の身体に局部的振動を与える機械を使用する公務

第四  (控訴人の責任(一))

控訴人国は、その雇用している被控訴人ら一二名を含む公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理または公務員が上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負担しているものと解すべきであり、右の安全配慮義務の具体的内容は当該公務員の職種、地位及び安全配慮が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものである(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁)から、本件の場合、林野庁がその雇用する伐木造材手、植林手にチェンソー等を初めて使用させるにあたり、その機械使用に基因して、労働に支障を生ずる程度以上の人身障害が発症することが予見できた場合には、その実用化を差し控え、右人身障害を抑止しうる方法が研究開発されるのを待つて、実用化に着手して、その危険を回避すべき義務があるが、チェンソー使用業務につき右程度の危険を通達予想し得ない場合には、その危険回避措置をとる必要はないと解すべきであり、またチェンソー等の使用によつて、右程度の危険が現実に発生した場合には、国は当然にその危険を回避する措置をとらなければならず、その措置の履行に関して不完全なものがある場合には、国に帰責事由がないと認められる特段の事情のある場合を除き、債務不履行の責任を免れないものと解するのが相当である。

被控訴人らは、林野庁がその伐木造材、植林業務にチェンソー等を導入実用化するにあたり、これらの機械の振動によりその使用作業員に人身障害が発生することを予見できたのに、その危険回避措置をとらなかつたのは債務不履行であり、更にチェンソー等の使用により、その使用作業員に右障害が発生していることが判明してから、人事院規則でその障害が公務災害と指定されるまでに期間的間隔があつたことにも、安全保持義務懈怠の債務不履行があつたと主張するので判断する。

前記第三の三の(5)(6)(8)で認定したようにわが国でも昭和二二年以来労基法で「さく岩機、鋲打機等により身体に著しい振動を与える業務による神経炎その他の疾病」を職業病とされていたこと、昭和三四年、三浦豊彦が仮にとはいえ振動の許容基準その他とともに振動工具による身体障害を発表し、農林省林業試験場の米田幸武と辻隆道がチェンソー使用によるしびれ、蒼白、関節痛、筋肉痛、その他の身体障害を調査して同三五年にその調査結果をまとめ、その一部を同三五年辻隆道が「林業機械化情報」に、同三七年米田幸武が「林業機械化概論」に各発表したこと、同三六年には松藤元が文献でガラニナの説を紹介し振動障害を説明していること、さく岩機、鋲打機などによる振動とチェンソーによる振動とはその質と量に差があるとはいえ振動が身体に伝わる点では同じであることに徴すると、林野庁がチェンソー等の実用を開始し、順次これを増加させた昭和三〇年ないし同三六年ころ、チェンソー等を導入するとそれを使用する者の身体に何らかの障害が生ずることのある可能性を全く予見できなかつたと認めることはできない。

しかしながら当審における検証の結果により認められるチェンソー、ブッシュクリーナー使用により身体に伝わる振動の強さは、それまで一般社会で使用されてきた空気や電気による振動工具就中打撃工具のさく岩機、鋲打機の振動と比較して感覚上弱いとみられること、前記第三の三の5で認定したとおり昭和二二年以降さく岩機や鋲打機による振動障害は労基法で職業病に認定されていたとはいえ、それらによる労働災害として補償が行われた事例は毎年少なく、多くても一〇件前後に過ぎなかつたこと、昭和四〇年ころまでわが国の医学界で、チェンソー使用により補償を必要とする程の身体障害の発生を予測言及した見解はなく、アメリカは勿論イギリス等の外国の医学界のほとんどの見解もわが国の右の所見と同様で、僅かに別表第二の(302)と(303)で、ソ連のガラニナ、ドロギチナらがチェンソーの使用による疾病の発生を発表しているが、これらの文献がわが国では入手困難であつたことは別表第二(10)で松藤元が指摘しているところであり、また別表第二の(212)で、オーストラリアのグラウンズが昭和三九年にソ連以外で、チェンソー使用によるレイノー現象が発生していることを発表したが、この文献も当時、わが国に紹介された形跡がないし、昭和四〇年以前におけるわが国の医学界のさく岩機や鋲打機等による振動障害についての関心は低く、労働衛生医学の専門家の見解にも、振動により重い障害が生ずると警告した例がほとんどなく、労働能力の減少例や転職の事例報告も稀少であつたこと、また前記第三の二(一)で認定したように当時の社会的背景からみて林野庁が伐木造材の作業員を重筋労働から解放し、効率のよいチェンソー等を導入したことに非難すべき点はなく、それに供されたチェンソー等は有用な工具でそれに接触したらすぐ身体に障害を発生さすような危険な兇器ではなく、その使用を許さぬという根拠はないこと、前記第二で認定したように振動障害はその使用開始から発症までには相当な年数を要するのが普通でありその使用者全員に発症するものでないこと、各学者の症度分類によつても振動障害による症状と同じ症状は加令その他の疾病によつても発生するものが多くその区別が難しいこと、全林野をはじめ、チェンソーを使用した被控訴人らを含む作業員にチェンソー等の使用開始時に振動障害を予見したものはなかつたとみられること、その他当時の知見によると控訴人がチェンソーの導入によつて発生することのある振動障害の性質、程度、どういう人に発症し易いか等まで予見できたと認めることはできないので、林野庁がチェンソー等の導入に当り振動障害の発生を心配して特別の配慮措置をしなかつたことあるいはその後において使用中止しなかつたことをもつて、控訴人に作業員に対する安全配慮、安全保持義務の不履行があつたと認めることはできず、それについて予じめ又はその後使用中止の措置をとらなかつた点になすべき注意を怠つた過失があつたと認めるのは相当でない。

前述のように林野庁は振動障害の発生の可能性を全く予見できなかつたとはいえないがその当時の知見、経験からみて身体に振動障害が発生することはないと思つてチェンソー等を導入し、使用させたものであるから、振動障害が発生したとしても控訴人に国家公務員災害補償法による補償義務以上に債務不履行の責任を負わさねばならぬ程の非難を加うべき違法性があると判断することはできない。

後になつて考えると控訴人はその導入に当り五十才以上の人や重い既往症のある人にはチェンソー等を使用させないとか、前記第三の三1113で認定したように昭和三六年一一月同三八年一〇月に全林野が長野営林局に振動障害とみられる訴えを行つたとき林野庁が速やかに使用時間の規制その他の対応策を講じておけば被控訴人らから責められることも少なく年々多額に上る労働災害補償もすることがなかつたといえるのであるがこうしたことはその後の経験で判明したことであり、その使用時間規制の基準も多くの経験例を積重ねねば判定できないことで今日においてもどの程度の時間規制が一番よいかという標準は必ずしも明らかでないのであるから林野庁にこうした配慮や使用時間の規制に欠けることがあつたとしても当時の知見をもつてしては控訴人に債務不履行があると認めるのは相当でないと判断する。

産業革命以来この世の中には高速度の交通機関をはじめとして各種の機械が次々と生れそれが人間の労働を軽減し生活を便利にし生活水準の向上に役立つてきたことは紛れもない事実である反面、永年タイプライターやレジスターを打つていると頸肩腕症候群を発症させることがあるように、高松誠らが甲鑑定の中で紹介している各種の職業病が発生することも事実であるが、こうした機械を数年にわたつて使用した後に発生した重症でない職業病について直ちに企業者に債務不履行の責任があるとしたら、長期的にみれば機械文明の発達による人間生活の便利さの向上を阻み特にわが国のように各種の機械による産業の発展で生活せねばならぬ国においては国民生活の維持向上を逆行させるもので合理的であるとはいえない。それ故にこそ一般労働者をはじめ国家、地方の各公務員に至るまで職業病に対する損害補填のため無過失責任による労働者災害補償保険法、公務員災害補償法等による労働災害補償調度が整えられ、それによつて労働者が被つた損害を補填しているとみられるからである。

<証拠>によると、昭和四四年一一月農林省林業試験場の機械化部長梅田三樹男がその場報で「現在問題となつているチェンソー等の使用による振動障害等は、一〇年前の昭和三四年にすでに同試験場の作業研究室で、実験測定を行ない、この種、振動工具の使用によりその作業員にレイノー現象が発症することを報告するとともに当時林野庁において折角の右研究報告が精読されていなかつたと思われる。」旨記述していることが認められ、試験研究の成果が行政に生かされないという指摘は正しいものを含んでおり、また右の昭和三四年の実験研究とは前記第三、三、8の米田幸武、辻隆道が行つた研究を指すものとみられるが、その一人である当審証人辻隆道は、右研究結果は林業試験場の内部研究として林野庁等には報告していない旨証言しているし、その研究結果にもとづき右辻、米田両名が雑誌や単行本として出版した振動障害についての所見に関して昭和四一年ころまで労働衛生医学の専門家を含め、関係各界に関心を寄せた者がほとんどなかつたことにかんがみ、林野庁や労働省当局において林業試験場の右研究結果に注目しなかつたとしても、安全保持義務の懈怠があつたとは認めるのは相当でない。

さらに、別表第二(101)で、山田信也らが昭和四〇年二月、林野庁雇用の伐木造材手中にチェンソーの使用により、発症したレイノー現象等罹患の振動障害者が相当数にのぼつていることを発表してから、人事院規則を改定して、その疾患を公務上災害と指定するまでに一年四か月の期間が経過したが、昭和四〇年二月当時までにおけるわが国の右振動障害に関する医学的知見及び行政上この障害を職務上災害と認定するための諸規定を改定整備するために労働省、人事院、林野庁が前記第三の三の16ないし24のとおり講じた各措置にかんがみると、人事院規則の右改定までの控訴人の処置に安全確保上の債務不履行があつたと認めるのは相当でない。

<反証排斥略>、被控訴人らのこの点に関する主張は採用できない。

第五  (控訴人の責任(二))

被控訴人らは、控訴人においてチェンソー等使用による蒼白発作などの身体障害が確認された後もその障害の増悪化するのを放置したことは債務不履行である。被控訴人らのチェンソー等による振動障害は局部的な障害にとどまらず、その初期的な症病段階で振動工具の使用をやめ、適切な治療を行わなかつたため中枢神経の障害等を惹起し、労働能力を完全に喪失させた全身的疾患であると主張するので、別表第二の(302)(303)を含め、昭和四〇年から被控訴人ら一二名のうち亡大崎憲太郎が林野庁を退職した昭和四六年一二月ころまでを主眼にその後の主要な医学所見をも斟酌加味して、チェンソー等による振動病疾患が局部的なものにとどまるのか、それとも全身的疾患にまで進行悪化するものであるのかという点を中心に医学的知見を検討する。

前記第三、三で認定した昭和四一年までの振動障害に関する医学的知見及び<証拠>を総合すると次の事実が認められ、別表第二掲記の医学的所見のほか、振動工具による振動障害に関する医学的知見に関する主要な文献学会等報告として別表第六掲記のものがあることが認められる。

一  (レイノー現象について)

レイノー現象は既に第二で説明したように手指等の末梢循環系(血管)のけいれん発作によりその部位の末梢血管中の血液の流れが減少する結果、その表面皮膚が蒼白化する症状である。この蒼白化は通常、その発作部位をマッサージしたり、火気で暖めることにより数分ないし数十分後には終息し、その部位の血液流・皮膚の色とも蒼白発作発生前の状態に回復する。この蒼白化現象が発症している間、その部位にしびれ、冷感、蟻走感、疼痛があり、その手指の運動機能が鈍化する。しかし皮膚が一時的に蒼白化するのは、振動障害だけの症状でなく、稀ではあるが健康な人でも全身が急に寒冷空気に暴露された際に発生する場合があるほか、レイノー氏病(先天性白指)、慢性の関節リウマチ、皮膚筋炎、胸郭出口症候群、膠原病、パージャ氏病、痛風、結核性などの特異的慢性関節炎、頸椎損傷、筋神経系の疾患によつても発症する場合があり、これらの発症原因と振動障害としての蒼白化現象とを鑑別することは医学的に可能であるが、容易でない場合も少なくない。

この蒼白化現象の正確な発症機序や末梢循環系のけいれん発作と中枢神経(自律神経)がどのような機序で関連しているのかについては依然として解明されていない分野がある。

二  (全身障害説と局所障害説)

人身の振動障害は全身振動による場合とそうでない局所振動による場合とがある。

(一)前者の全身振動による振動障害は、例えば船酔い、あるいはコンクリートパネルを作る工程で激しく振動する枠上で就業している作業員らが振動によつて被むる障害であり、この障害には間脳症候群など全身的疾患であることが稀でない。

(二)後者の局所振動による人身障害が、その振動の当該人体に伝播する人体局所ないしその付近の局所的な障害に限られる(局所的疾患)か、あるいは中枢神経系の障害等を含む全身的疾患(全身的疾患)までに悪化する場合があるかに関して、医学的知見は一致していない。その原因の一つは疫学上の有意性を判定できる正確な医学的統計学的調査資料が不足しているためである。

1 全身的疾患説をとる主要な医学的知見は別表第二の(302)(303)、別表第六の(102)ないし(305)の各所見で、例えば右(303)(305)ドロギチナ・メートリナ分類によると、自律神経性多発神経炎症候群は「低周波振動で起こつた局所振動工具によるものを含む振動病の初期と中期、および全身振動による振動病の初期にみられ」、また神経根炎症候群は「強い反衝と、工具をささえるために起こる微小外傷とを伴う低周波振動で起こつた疾病が重症な型をとる時にあらわれる」とし、間脳症候群は「高周波振動(局所、全身)による重い症状で、かなり進んだ時期に起こりうる」とし、また前庭症候群は「おもに全身振動で起こり、きわめてまれに局所振動でも起る。」としている。

わが国では山田信也らが別表第二の(101)(但し推測所見)、別表第六の(104)(106)(107)(108)で、鎌田正俊が別表六の(102)で、高松誠らが別表第六の(103)(105)(109)(但し(109)では仮記所見として)で、的場恒孝が別表第六の(110)で、各記述しているのが全身的疾病説の主要なものであるほか、原審証人細川汀、当審鑑定人斉藤一、原審当審証人五島正規も全身的疾病説をとつている。しかしわが国における労働衛生医学分野の専門家である山田信也ら以下諸学者ないし医師の各所見は、チェンソー等の高周波振動工具の振動による全身的疾病の種類簡囲が外国における全身的疾病説である別表第二の(302)(303)(304)、別表第六の(305)の各所見と比較して顕著に広く、また疾病の軽重度合を数段階に区分する場合、レイノー現象発症段階を相当に重病であるとし、かつレイノー現象の発症を含めて治癒不能の症状(症状の不可逆段階)が顕著に広い点で、ソ連その他東欧諸国の全身的疾患説と比較しても特別なものである。

昭和四〇年、鎌田正俊は別表第六の(102)で、電気ドリルや電気カンナ使用の大工につき頸椎のレントゲン検査の結果、四、五頸椎骨に軟骨症の所見がみとめられたことを記述し、昭和四九年、東京大学医学部神経内科の東儀英夫らは、チェンソー使用作業員一六八人とそうでない同年齢層の事務員一五名を対象に、頸椎のレントゲン検査を行つたところ、チェンソー使用者の方に頸椎変化がみられる症例が多く、特にレイノー現象等の認定者に高い頻度を示したことを報告し(甲二〇二号証)、昭和五一年、奈良県立医科大学第二脳神経外科の人羅俊雄らは、手指のレイノー現象有症者に中枢神経系の機能異常があることを示す脳波所見があると報告し(甲一九五号証)、昭和五二年、東京労災病院耳鼻咽喉科の坂田英治らはレイノー現象認定を受けているチェンソー使用作業員九人を検査したところ、小脳ないし脳幹の障害を示す所見が高率にあつたことを報告し(甲一九七号証)、昭和五四年、的場恒孝は別表第六の(110)で、振動病患者一〇六人(症度二期一八人、同三期八八人)の入院時における検診結果で、交感神経機能の異常がそのうちの約七五パーセントの患者にみとめられたと記述し、同五四年、奈良県立医科大学脳神経外科の三上吉則らは、レイノー現象有症のチェンソー使用者三八人の睡眠紡錘波を検査した結果によると、レイノー現象は末梢生体の障害だけでなく、中枢性の障害であることを強く指示するものがあることを報告し(甲二〇〇号証)、同年、山陰労災病院の田草清治らは、振動障害認定者五人(平均年齢55.8歳)と健康人五人(平均年齢35.4歳)の睡眠を調査したところ、認定者の方に不眠の傾向がみられたこと、レイノー現象の著しい有症者ほど睡眠中の皮膚温度の変動幅が大きい傾向がみられることを報告し(甲一九九号証)、当審証人山田信也は、昭和四五年ころ高知営林局の本山、魚梁瀬両営林署管内の振動病罹患作業員三名を各古屋大学医学部で精密検程をした結果、そのうちの二名につい三半規管より少し中枢に近い部位に障害があることが推定された旨を供述している。

しかし、右の検査所見は、いずれもその検査方法がどの程度正確であつたか疑問があるし、被検対象数が限られ統計学上の有意性の有無が判然しないほか、林野庁の委託により、昭和四五年から数年間にわたりチェンソー使用にともなう生体神経系への影響等を調査研究した東京大学医学部神経内科教室豊倉康夫らの結果報告書(乙二三、二五、二七、二八号証の各二)と比較し、また第四六、第四九回日本産業衛生学会における斎藤和雄、石田一夫の各発言(乙二四四、二四五号証)、さらには、別表第六の(19)(21)での斎藤幾久次郎、岡田晃らの各所見に徴すると、振動障害患者に特有の異常脳波所見等がみられるとする前記検査結果の見解は未だわが国の医学界においてコンセンサスを得ているものでなく、臨床医療に応用できる程の知見とはなつていないとみられる。

2 右1の所見以外の医学的知見は、局所振動工具による人身障害をいずれも局所的疾患とするもので、そのうち手持振動工具による障害については手指等の末梢循環系及び神経系の機能障害、上肢の運動系・神経系の機能障害が生ずるとする点では軌を同じくするが、右生体組織に器質的変化、障害を生ずることの有無と、その点での積極見解でもその発症範囲については広狭各様の所見がある。

三  (振動工具の振動数による振動障害の差異)

局所振動工具の使用による振動障害は、その工具の振動数(単位ヘルツ)の高低により発症する疾病の形態に差異がある。

チェンソー等を含む手持振動工具で説明すると、空気振動工具と打撃振動工具であるさく岩機等の振動数は低周波域である三〇ないし七〇ヘルツくらいで、その波域での振動が最大の強さをもつところ、この種の振動はこれを把握する手指、手掌に伝わるほか、上肢の肘、肩辺にまで伝播し、その振動障害は手指等のレイノー現象のほか、上肢の骨・関節の運動系に障害があるのが特徴である。これに対して、チェンソー等の振動数は五〇ないし三〇〇ヘルツで、そのピークは一三〇ないし一五〇ヘルツであり、このピーク波域の振動及びそれより交周波域の振動及びそれより高周波域の振動はその殆んどが手の部分で吸収されて減衰消滅し、五〇ヘルツ程度以下の波域の振動だけが手首を超えて腕部へ伝わるので、この種の高周波域に最大の強さがある振動による障害は工具を把持している手指と手掌部を中心とする末梢循環系(末梢血管)と末梢神経系に障害があるのが特徴である。

四  (振動障害の発生機序とその治療方法)

チェンソー等の使用による振動障害の発生機序については、未解明の分野があり、確定した医学的知見は少ないが、主として検試や臨床医学の視点からその病像、進行段階、治療方法に関する知見を分類すると概略、次のとおりである。

(一)病像とその進行段階

1 山田信也、高松誠、渡部真也、的場恒孝、斉藤一、五島正規らが全身的疾病説を提唱し、これらの所見がチェンソー使用による振動病の大半を重病としている点で特別であることは前記二(二)1で説示したとおりである。右所見では、不眠、多汗、インポテンツ等の不定愁訴も振動病の一症状となし、レイノー現象発症が確認される段階を、その振動病が相当に重症の域に進行しているとし、レイノー現象発症の初期に振動工具の使用をやめ早期治療を施す場合には振動病は治療可能であるが、レイノー現象発症後も振動工具の使用を続けた場合には、治療しても対症療法しかなく、治癒不能であり、労働能力を完全に喪失する場合が多いとする。この所見では振動が生体の変化と何らかの関与があると想定できるときは、その生体変化が私傷病や加齢の影響と競合しているとみられるような場合でも、振動の関与関係が否定されない限り、振動病の一疾患であるとする。

なお当審証人山田信也はチェンソー使用による振動障害は労働能力の大半ないし全部を喪失する重症が多く、それらは昭和四四年ないし同四六年以降現出していると証言し、東京医科歯科大学第二講座の三嶋好雄も昭和五七年に開かれた第十六回振動障害研究会でレイノー病のレイノー現象の発現機序とチェンソーによるレイノー症候群の発現機序は違つていること、チェンソーによるものは一般のレイノー病、膠原病によるものと比べて一度蒼白発作が起こると強くて治りにくいという感じを深めていると述べている(甲二一二号証)。

2 右1以外のわが国の主要な医学的知見は、この病像を手指や掌など振動が直接あたる局部のレイノー現象が主症で上肢の運動系、神経系の障害を伴なうか、又はレイノー現象の発症を伴なわない右局所的な運動系と神経系の障害であるとし、運動系に器質的変化を生じている障害の場合でレイノー現象を併発しているときには、そのレイノー現象の疾患を含めて、容易に治癒せず、さらに加齢による生体の変化が競合しているようなときには完治が困難な場合が多く、対症療法に限られる場合もあるが、このような重度の振動病であつても、その罹患者がそれによつて労働能力を完全に喪失するのではなく、最も重度の罹患者でも手と上肢の運動が著しく制限される程度の労働能力減退にとどまること、それ以外のチェンソー等による振動障害は全般的に軽症で、医療を施すことにより、治癒する場合が多いとする。

3 わが国におけるチェンソー等の使用による振動病の診断治療面での医学的知見に関して、昭和四〇年から同四五年七月ころまでの間は、レイノー現象有症を訴える作業員の診断にあたり、そのレイノー現象が診断時に発症していない際に、いかにして罹患の有無を判断するかという診察の手段方法に医学界の重点がおかれ、レイノー現象の確認手段として、手の冷水浸漬、上肢の緊縛、寒冷空気に全身を急に暴露する方法等が考案設定された。山田信也らが右の診断方法設定のための調査研究に業績を挙げた。

4 右振動障害の治療方法として、昭和四四年ころまでは血管拡張剤投与等の薬物療法が主体で、頑固な上肢の神経痛等には稀に斜角筋ないし胸部等の交感神経切除の外科療法等が行われていたが、昭和四五年以降、逐次、温泉療法(リハビリテイション等の運動療法を併用する方法が多い。)や理学療法、心理療法等に関する検試結果が報告され、右治療方法が有効であることが判明したので、昭和四九年以降実行されるようになつた。

五  (振動障害に関する法規の改定)

わが国における振動障害に関する法規の改定として、昭和五三年三月三〇日付で、労基法施行規則第三五条別表第一の二、三の3「さく岩機、鋲打ち機、チェンソー等の機械器具の使用により身体に振動を与える業務による手指、前腕等の末梢循環障害、末梢神経障害又は運動器障害」と、同年一〇月五日付で、人事院規則一六―〇(職員の災害補償)第二条、別表第一、三の3「チェンソー、ブッシュクリーナー、さく岩機等の身体に振動を与える機械器具を使用する業務に従事したため生じた手指、前腕等の末梢循環障害、末梢神経障害又は運動器障害」と各定められ、現在に至つている。

六  (外国における振動障害と職業病)

昭和五五年、国際労働機構の第六六回国際労働会議で、労働障害補償協約(条約第一二一号)の職業病一覧表を改定し、振動病を加えた当時、振動病を国内法で公的な補償の対象と定めている国が日本を含め四二か国あり、イギリスを除く先進諸国はすべてこの四二か国に含まれていた。イギリスは昭和五六年(一九八一年)末になつて振動座を職業病とする旨国内法を改めた。右諸外国の国内法で定めた職業病としての振動病にチェンソー等による振動病が除外されている例はないが、別表第二、第六掲記の外国における医学的知見にかんがみると、右の諸外国ではいずれもチェンソー等による振動障害の殆んどを軽い疾病とみている。

以上のとおり認められ、本件当事者に被控訴人らの、チェンソー等による振動障害に関する医学的知見、その病像、進行段階、治癒の可否についての各主張のうち、以上の認定と牴触するところは採用できない。

七  (結び)

以上の設定事実によると、いかなる疾病でも苦痛を感じ、有機的存在である人体は僅かな局所の障害でも全身的苦痛として感ずることがあるのは当然であり、局所的障害でもそれの対策を講ぜず永年経つと全身的障害となる可能性はあるが、中枢神経が苦痛を感ずるのはその機能によるものであり、乙鑑定がいうようにチェンソー等の振動が中枢神経を障害し脳、脊髄、心臓、下肢に病変を与えると考えることはできないこと、外部からの負荷刺激に対する人体の反応が顕在化したものが振動障害であり、この負荷刺激を除去したり治療を施すことにより振動障害が治癒軽快することはあつても、それが経年だけにより進行増悪したり年を経て新しく顕在化することは臨床医学上説明できないことであり、それらは私傷病や加齢によるものとみるより外ないので中枢神経の障害をはじめとする全身障害説をとることはできず、この判断に反する被控訴人らの主張やこれに副う見解を採用することはできない。

<証拠>によると、高松誠と山田信也が昭和四八年に開催された日ソゼミナールで、日本におけるチェンソー等の使用による全身的疾病発生の事例として、数名の認定者の症状等を挙示して、ソ連の医学者と討議を行い、ソ連の医学者らも右疾病がチェンソー等の使用によるものであることを肯認する所見を述べたことが認められるが、その事例数がわが国における認定者総数と比較して極端に少ないこと、しかもその中には者齢者が数人含まれていて、加齢の影響との関連、鑑別が不明であるからこれにより、全身的疾患説の正当性を裏付けるものとは認められない。

<証拠>を総合すると、高知営林局の曽てのチェンソー等の使用作業員で、振動障害認定患者であつた亡宮本政秋(昭和五二年九月死亡、当時六一歳、死因脳軟化症、気管支肺炎併発)と同営林局奈半利営林署常用作業員でもとチェンソーを使用したことのある亡竹邑正一(昭和五一年八月二一日急死、当時四八歳)の両名の死亡にチェンソー等の使用による振動障害が寄与したとみる余地がある(宮本政秋の場合)こと及びその障害が死亡原因の一半であるとの認定を受けた(竹邑正一の場合)ことが認められるが、これらの事例があるからといつて、直ちに、全身的疾病説が正当であることないし局部的疾病説が誤りであることの裏付証拠とみることは、前者の事例は単なる可能性があるというにとどまるし、後者の事例は極めて稀有な特殊事例であることにかんがみ、賛同できない。

なおさきに認定した振動病に関する医学的知見にかんがみると、昭和五三年改定後の労基法及び人事院規則でも、振動工具使用による振動病を局部障害とみて職業病に指定している点で従前と差異がないものと認められこれに反する被控訴人らの主張は採用できない。

第六  (昭和四一年七月以降林野庁が振動障害に対してとつた施策)

林野庁が昭和四一年七月一日付人事院規則一六―〇、一〇発、別表第一、番号44の改定以降、チェンソー等使用による振動障害に関して行つた施策を被控訴人ら一二名のうち最後の退職者亡大崎憲太郎が退職した昭和四六年末ころまでを中心に検討する。

前記第三の三及び第五のうち、振動障害についての医学的知見に関する事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一  (チェンソー使用実働時間の短縮規制)

1  従前の林野庁の現業作業員のうち伐木造材手の勤務時間は、午前八時三〇分に現場事業所へ出頭し、作業主任の点呼を受けたうえ、作業現場へ赴き午前一二時まで作業に従事し、午後零時から一時まで集材置場付近等にある休憩小屋で昼食と休憩を行い、午後一時から四時ころまで作業に従事し、午後五時ころ事業所へ戻り点呼を受けて帰宅していた。その現場におけるチェンソー使用の伐木造材作業はその作業現場が広く、作業主任が担当現場を巡回して各作業員の作業状況を点検できるのは一日、一回程度であるため、いわゆる自律作業の度合が強く、したがつて、チェンソー使用の実働時間を正確には把握できないが、ワンマンソー(一人の作業員が一日中、一台のチェンソーを使用する)の場合で平均四時間余、ツーマンソー(二人の作業員が一組となり一日に一台のチェンソーを交替で使用する)場合で平均約二時間三〇分であつた。

2  人事院によつてチェンソー等による振動障害が公務災害と認定される以前である昭和四〇年一一月九日、全林野は次のような要求書を林野庁に提出した。

(イ) 機械の使用を一日二時間半、連続使用時間は三〇分限度に規制すること

(ロ) 機械一台を七人が交替制で使用すること(ツーマンソー)

(ハ) 雇用を減少しないこと

(ニ) 安全が確保できないときは、その機械の使用を中止すること

全林野で、右実働時間の最高限度を認定し、それ以下に規制するよう要求したのは、科学的な根拠や資料にもとづくものでなく、チェンソーが実用化された当初ころ、ツーマンソーの作業方式であつた際には、レイノー現象の発症がなかつたので、この作業方式の実働時間に制限すれば、レイノー現象の発症を抑止できるのではないかとの推測にもとづくものであつた。

これに対して林野庁は同月二九日、次のような回答を行つた。

(イ) (イ)については林業の作業態様等からして、時間規制をする考えはない。

(ロ) (ロ)については一台一人が適当である

(ハ) (ハ)については配置換職種換等の措置をとる

(ニ) (ニ)については機械使用を中止しない

その後も右の全林野の要求をめぐり、昭和四〇年一二月二四日から翌年の七月一七日まで交渉が継続されたが、進展しなかつた。

3  その後の昭和四四年四月四日、全林野は林野庁に対し、振動病の予防対策として振動機械の使用は一日二時間以内一か月四〇時間以内とし、ツーマンソーとすること、諸施設の完備、健康診断、臨時検診の実施、罹病者の機械使用中止と療養専念ができる施策の実行を要求した。

これに対し、林野庁は同月一〇日に、「操作時間をどの程度にすべきかについては医学的にも明らかでなく、究明する必要があるがなお検討する。隔月毎のチェンソー使用も考える。ツーマンソーは採用しない。諸施設は改善する。健康診断については、いままで以上には行わないが、訴え者の臨時健康診断は行う。罹病者も従来どおり、業務に従事しながら療養させる。機械の使用は続ける。」と回答した。

4  右の要求と回答等をめぐり、団体交渉が行われた結果、昭和四四年四月二六日、次のようなメモ確認(いわゆる四・二六確認)がなされた。

(イ) 振動機械の使用時間及び改良に関するメモ確認

原則として、一人一日二時間に規制し、関連する事項は早急に中央段階で協議する。機械の改良については軽量のものに切り換えるとともに、更に開発、改良について積極的に努力する。

(ロ) 職業病認定者の職種替えに伴なう賃金の取り扱いに関するメモ確認

職種替えにより賃金低下をきたす場合は、一時金を支給する考えてあるが、支給額、支給回数については更に検討する。

(ハ) レイノー現象等の入院及び設定等に関するメモ確認

(a) 入院治療については、人事院より基準を示されるので、医師の診断に基づき、すみやかに入院の要否を決定する。

(b) 振動機械使用期間二年未満者の取り扱いは、営林局に認定権限を移すとともに、上肢以外の疾病処理を実施機関(林野庁)においてできるよう人事院と協議する。

(c) 休業補償は、医療機関で診療を受けるために必要な時間のみについて補償してきたが、今後は療養のため勤務することができない場合、事例毎に充分検討して補償する。

休業補償及び休業援護金の額の改善に努めていきたいが、これは他省庁の所管にかかる法律に規制されているので関係方面とも協議をすすめる。

(d) 総合的な調査研究を行う。

5  その後、右四・二六確認中のチェンソー操作時間の解釈をめぐつて、労使間で紛争が生じ、全林野は、昭和四四年一二月五日、全山ストライキをも辞さない姿勢で団体方渉を重ねた結果、同月六日、林野庁との間で「振動障害に関する協定」が締結された。

その要旨は次のとおりである。

(イ) 振動機械の操作時間は一人一日二時間以内、月四〇時間を限度とし、連続操作日数は三日を超えないこと。一連続操作時間は、チェンソー一〇分、ブッシュクリーナー三〇分を基準とし、具体的には下部で協議すること。操作時間とは、原則として身体に振動の伝わる時間をいい、始業又は終業時の点検、一連続の中で行われる枝払いの移動、簡易な目立、給油のための短時間の作業停止を含むものとする。従つて作業前後又は作業の区切りの間に行われる目立、給油等の作業に要する時間で独立の作業とみなされるものに要する時間は除くものとする。

(ロ) 治療については、症状に応じ職種換、機械の使用制限等を行い実施する。

(ハ) 職業病療養施設の新設については、当局で研究を行い、その結果により検討する。

(ニ) 新たに機械を使用する者については、必要な知識、機能を習得させるための研修を行う。

(ホ) 職種替えした場合の賃金補償は別に協定する。

これによつて、全林野と林野庁との間で、チェンソー、ブッシュクリーナーの使用時間規制についての合意が成立した。

6  高知営林局管内でも、右4、5の確認と合意にしたがい、チェンソー等の使用時間制限が実行された。

7  昭和四〇年から同四四年ころまでにおけるわが国の主要な労働衛生専門医学者の振動病とその振動工具使用とに関する所見は、振動病罹患者が振動工具の使用を止めて転職するのが治療上最も望ましいが、転職すると当該作業員の賃金が相当に低下するなど経済的に不利となるため、転職が容易に期待できない実情なので、その振動工具の使用時間の短縮が望ましいといえるというにとどまり、振動障害の発生抑止との関係からみて、振動工具の連続作業時間、一日の作業時間、一か月の作業時間等の最長許容限度をどの線に設けるのが合理的であるかについては、具体的な提案ができるような調査資料等がないので、提案するに至らないこと及びこのような状況下で、振動病予防対策として実行すべき重要なものとして、振動工具の振動を減少させるための機械装置の開発改良が期待されるというものであつた。

8  外国におけるチェンソー使用時間の制限事例をみると、ソ連で昭和五〇年当時に、チェンソー使用の最長許容時間が作業種ごとに定められ、最も規制の厳しい枝払い作業の場合が一日四時間で、他の作業ではすべて一日四時間以上の使用を許していた。ブルガリアで昭和四五年当時、一時間を四五分の機械使用作業と一五分の休みに分け一日の使用時間は四時間以内とすることと定められ、東ドイツで昭和四四年当時、一連続操作時間を一時間以内とし、一日の使用時間については規制せず、定期的な交替制を義務づけていた。フィンランドでは昭和四四年当時、機械使用作業五、休憩一の割合を維持すべきであるとの規制があつた。その他の諸外国ではチェンソー等の使用で先進国のアメリカ、イギリス、フランス等を含めて、チェンソー等使用時間の規制措置はとられていない。

二  (チェンソー等の防振装置、防振チェンソー等の開発と実用化)

1  林野庁は、昭和四〇年四月、林業機械化協会の中に振動問題を検討するための委員会を設置して振動機械の改良、防振チェンソー等の開発を検討し

(イ) そのころ防振手袋(ゴム製)を試作させたが、振動の減衰には余り効果がなかつたし、これを着用するとチェンソー等の操作が難渋することもあつて実用には供されなかつた。

(ロ) チェンソーのハンドル取付部に防振ゴムバッキンを取付けた改良ハンドルを開発し、人体に伝わる振動を従来の一〇G以上から、約三分の一程度に減衰させることに成功したので、昭和四一年から実用化した。

(ハ) 改良ハンドルの検討結果をふまえて、チェンソーメーカー(国内)及び輸入代理店に対して、チェンソー本件内に防振装置を取り付けるという改良を依頼した。右の防振機構内蔵型のチェンソーはその振動が約三Gで昭和四四年、実用に供された。

2  高知営林局は、独自に防振ハンドルを開発し、昭和四〇年末頃までに実用化し、またチェンソーの重量の軽減をはかるため、中・小型機の導入をはかり、同四五年三月ころまでに、従来のチェンソーから防振型チェンソー(振動約三G)に全部切り替えた。

なお、昭和四四年六月、高知営林局に振動機械対策専門部会を設置し、振動機械の改良とその使用の適正確保に努めた。

3  ブッシュクリーナーの防振改良の点では、亡大崎憲太郎の勤務した高知営林局川崎営林署においてみると、昭和四四年に防振型で軽量のブッシュクリーナーが従前のホームライト型と切り替えられた。

4  林野庁の右防振チェンソー等の開発実用化は、ソ連、イギリス、アメリカ、カナダ、西ドイツ等で行われた事例と較べ、相当に進んだものであつた。

三  (振動障害の調査研究)

1  林野庁は昭和三八年一一月実施したアンケート調査を基礎に昭和四〇年三月、手指の蒼白現象を訴える者を対象として、臨時健康診断を実施し、公務上の疾病として認定しうるか否かの検討を始めた。

2  昭和四〇年七月六日「レイノー現象対策研究会」を設置し、主に医療関係について研究を行うことにした(この研究会は、昭和四二年「林業労働障害対策研究」と改称)、この研究会の意見により、同年八月「局所振動機械作業従事職員に対する健康診断の実施要領」(特殊健康診断要領)を制定実施した。

これは一般定期健康診断実施の時、加えて振動障害の診断として実施された。

さらに林野庁は昭和四四年五月、振動障害の予防、治療及び補償等についての総合的な調査研究を行い、もつて諸対策をたてるための「振動障害対策委員会」を設置した。右委員会は林野庁が昭和四〇年以来振動障害に関して実施して来た諸々の調査、研究の成果とその活用状況について検討を加え、今後の調査研究に当たつての調整を図つて総合的な振動障害対策を進めるため、具体的に調査研究すべき事項を定めた。

3 前記第三の三、21のとおり林野庁は人事院とともに昭和四〇年から同四一年にかけ、専門医に委嘱して、振動障害の調査を行つた。

高知営林局は昭和四〇年一〇月から四一年一月までに徳島大学医学部衛生学教室教授(管理医)鈴木幸夫に委嘱して魚梁瀬、安芸、奈半利の三営林署管内のチェンソー等使用作業員一七五名に対する精密検診を実施し、その結果報告書を昭和四一年八月までに受取つた。

4  林野庁はその後の昭和四一年から四八年までに、振動障害の診断方法、予防、治療等の基礎資料を得るために左記の表のとおり各種専門機関に調査研究を委託し、その結果報告書を逐次受取つた。

年度

調査研究テーマ

委託先

報告年月

四一

林業機械の振動障害対策に関する試験研究

東京大学医学部公衆衛生学教室

勝沼晴雄ら

四一・五

四一

四二

レイノー症候群の治療とリハビリテーションに関する研究

東京大学第一外科

石川浩一ら

四三・六

四一

林業機械の振動の人体への影響ならびに騒音からの聴覚保護

に関する研究

労働科学研究所

四二・五

四三

レイノー現象等の病理及び治療に関する調査研究

東京大学医学部第一外科、

石川浩一、三島好雄

四四・二

四四

レイノー現象等の診断及び治療に関する調査研究

同右

四五・三

四五

レイノー現象等の診断及び治療に関する調査研究(血管系)

同右

四六・三

同右(神経系)

同医学部神経内科

豊倉康夫ら

同右

同右(骨・関節系)

関東労災病院

鈴木勝己ら

同右

同右(温泉療法)

福島労災病院

黒河内一郎ら

同右

レイノー現象等の事後措置に関する調査研究

東京労災病院

近藤院長ら

同右

四六

レイノー現象等の診断及び治療に関する調査研究(血管系)

東京大学医学部第一外科、

石川浩一、三島好雄

四七・三

同右(神経系)

同医学部脳研、神経内科

豊倉康夫ら

同右

振動障害殊に骨関節の変化を求めて

関東労災病院

鈴木勝己ら

同右

レイノー現象等の事後措置に関する調査研究

東京労災病院

近藤院長ら

同右

局所振動機械使用者に対する排気ガス障害に関する調査研究

東京大学医学部公衆衛生学教室

勝沼晴雄

四七・二

四七

レイノー現象に関する調査研究(血管系)

東京大学医学部第一外科

石川浩一ら

四八・三

同右(神経系)

同医学部神経内科

豊倉康夫ら

同右

同右(骨・関節系)

関東労災病院

鈴木勝己ら

同右

同右(事後措置)

東京労災病院

近藤院長ら

同右

同右(排気ガス関係)

東京大学医学部公衆衛生学教室

勝沼晴雄

同右

四八

振動障害に関する調査報告(血管系)

東京大学医学部第一外科

石川浩一ら

四九・三

同右(神経系)

同医学部脳研、神経内科

豊倉康夫ら

同右

同右(骨・関節系)

関東労災病院

鈴木勝己

同右

同右(事後措置)

東京労災病院

近藤院長ら

同右

同右(温泉療法)

労働衛生サービスセンター

久保田重孝

同右

腰痛に関する調査報告

東京大学医学部公衆衛生学教室

勝沼晴雄

同右

四  (作業衛生管理、健康診断、振動障害検診医師に関する施策)

1  昭和四九年一一月以降毎年林野庁及び営林局で管理医会議を開催し、振動障害に関する予防、治療について協議を行つて現在における労働衛生の指導管理に利用できるようにした。

2  昭和四一年三月、林野庁長官通達をもつて

① 営林局管理医が、新たに発生した職業性疾患等に対処でき、かつ、営林署管理医を指導できるよう大学病院、公的病院等と連携を密にさせるとともに権威者又は専門医を非常勤職員として増員配置すること

② 営林署管理医に医師である衛生管理者としての職務を遂行させるため、営林署管理医の定数は一名を原則することなど体制を強化すること

③ 林野庁の実施する営林局管理医会議の成果の現地浸透、産業医としての意識の昂揚、健康管理の標準化等をはかるため、営林局管理医会議と並行して営林署管理医会議を実施すること

を各営林局長に指示し、管理医体制の充実強化に努め、救済されるべき振動障害患者の認定について遅滞遺漏なきを期するよう指示した。

林野庁は昭和四一年七月の人事院規則の改正によりチェンソー等による振動障害が職業病に指定されたことに伴ない、災害補償の取扱いについて林野庁長官通達をもつて各営林局長に指示したが、この通達において「チェンソーを使用する公務に起因し、又は公務との相当因果関係があり、医師がレイノー現象、神経炎、月状骨壊死、関節災、筋萎縮、腱鞘炎、粘液のう炎等と診断した疾病で治療の必要を認めたものを公務上の疾病と認定する」とし、右にいう医師とは「(1)レイノー現象については蒼白を諸検査により確認した医師、(2)蒼白確認しないが、総合判断により診断したレイノー現象およびその他の疾病については、管理医もしくは実施権者が検査を委嘱した医師又は公的医療機関の病院、総合病院および大学の医師ならびに振動に伴なう疾病についての研究機関の医師」と定めた。

3  営林署の衛生管理者(衛生管理者の資格を取得した事業所主任等)の現場巡視を強化するとともに、各事業所に現場巡視要領を作成し、レイノー現象訴え者経過表を備付けて作業員の健康管理につとめるべく、昭和四一年三月及び六月に各営林局長を指導した。

4 昭和四二年一〇月、前記三2の特殊健康診断要領を改定し、問診表の作成、運動系器の検査、神経系の検査及び精密検査等を検査項目に追加した。

林野庁は労使協議のうえ、昭和四二年八月以降、年二回の特殊健康診断によつても疾病が確認されないもののうち希望者については当局が委嘱する医療機関において診断を受けさせることとした。

その後の昭和四六年六月、さらに特殊健康診断要領を改定した。その改定の主な内容は、検査を一次検査、二次検査に区分し、一次検査では新たに末梢循環機能の検査(皮膚温、爪圧迫)と聴力検査が加えられ、従来行つてきた誘発検査が除外された。また、二次検査は、一次検査の結果医師が必要と認めた場合に精密検査を行うことである。

5  振動障害の検査機能向上のため、昭和四六年度中に、検診用オージオメーター、皮膚温計、指尖脈波計、自動血圧計を各営林局に設置した。

6  高知営林局は、林野庁の指示にしたがい、高知営林局あるいは管内の各営林署の管理医に対し、昭和四〇年以降毎年一回、振動障害について指導協議を行つたほか、チェンソー等使用作業員を含む作業員の労働衛生確保に関して、昭和四四年一月次のとおり各営林署長に指示した。

(イ) 定期健康診断の充実

(ロ) 衛生管理者による現場巡視の重視

(ハ) 傷病整理カードの作成(振動障害のためだけでなく、作業者の一般的な健康管理のため)

(ニ) 健康手帳の交付(健康上の異常者の早期発見のため)

五  (作業管理の強化と作業環境の整備)

林野庁は

1  昭和四一年頃から、振動障害対策として作業基準の改善を行つてきた。特にチェンソーの目立の良否がチェンソーの振動に大きな影響があるという研究結果から、昭和四一年度「目立の正しい行い方」の技能修得再研修を計画、これを実行に移し、又目立機の備付けも各営林局に指示し、

2  昭和四一年五月、新たに小型造林機取扱要領及び造林作業基準を定め、さらに同四三年二月には同三五年に制定した伐木造材作業基準及びチェンソー取扱要領を改定し、チェンソー等の使用作業員に対する防振のための技能習得に役立たせ、

3  昭和四四年三月、チェンソー等の使用作業員の寒冷期における身体への寒冷感の防止又は局所振動の軽減のため、休憩施設の整備、保温用具の備付け、耳栓の着用、体操、マッサージの励行等を各営林局に指示し、

4  昭和四四年五月の振動障害対策委員会で、防寒防振対策の一環として通勤方法の検討を行つた結果、同年度から林野庁は振動障害防止を主目的に積極的に通勤バスの導入

を行つた。

5  高知営林局が実行した防寒、保温措置と通勤バスの導入状況は別表第七記載のとおりである。

6  右当時における諸外国の同種対策の実施状況をみると、イギリス・スエーデン、ソビエト、フィンランド等では手袋、防寒衣の着用あるいは採暖小屋の設置等の対策がとられているが、東ドイツ、カナダ等においては、振動障害対策としての防寒保温措置は格別行われていなかつた。

六  (治療に関する施策)

1  昭和四〇年から四四年ころまでは、わが国の医学上の知見では、振動病の治療方法あるいは転職ないし入院治療等の必要性の判断基準が皆無に等しい状況であつたが、林野庁は前記三の委託による調査研究の中間報告等を管理医会議に提出して検討を求め、レイノー現象作業員に対する治療を専ら管理医に行わせ、その転職休職等の要否判断に際しては管理医の診断所見を重視した。

2  昭和四四年六月二〇日以降、副腎皮質ホルモンの投与、交感神経節切断手術が実施機関である営林局、営林署の判断で行われるようになつた。

3  さらに温泉療法が有効であることが研究の結果判明したので林野庁は人事院と協議のうえ、昭和四八年六月以降、医師が必要と認めた期間、医師の直接指導管理下に行われる場合は、国公災法一一条に規定する「療養上相当」と認められる範囲に含まれることとなり、高血圧症など医師が適当でないと認めた者を除き、原則として認定者全員に温泉療法による治療が実施されるに至つた。

当審証人斉藤幾久次郎(内科、物理療法科、温泉医学専門、林業労働障害対策研究会座長、北海道営林局と函館営林支局の管理医)は、振動障害についての温泉療法の検試と多年にわたる延約三〇〇人の治療結果を総合して、この温泉療法につき、その療養適正期間は一回約四週間で、それを超える期間は治療しても効果が薄いこと、重度の振動病罹患者(拡動工具使用作業以外の労務に転職中の患者)については、一回目の右治療で症状は軽快するが、その後、一年程度経過すると、治療前の症状にまで悪化しているものがあるが、その場合でも一回目に約四週間の温泉療法を行うと、再び一回目の治療後の程度にまで症状が回復するので、このような重症患者には毎年一回、温泉療法を行うのが効果的であると証言している。

七  (振動障害認定者の職種替)

1  林野庁は、昭和四〇年三月に全林野から出された「治療の必要ありと認められた者は職種替を行うこと」という要求に対し、同年四月「罹愚者は医師の診断に基づき原則として職種転換する。ただし、軽症と診断され、振動工具の使用を認められた者については、医師の意見を徴し、振動工具を使用しない他の職種との併用も考慮して、本人の健康管理に注意したい。」との方針を明らかにした。同年一二月、全林野は、職業病認定者の再雇用、配置替、職種替に関し、医学的な観点よりむしろ賃金の低下などに着目して「配置替、職種替がある場合でも本人の組合に協議し一方的に実施しないこと」を要求してきたので、林野庁は、これは労働条件に関する事項であることから「配置替、職種替が必要と認められる者については、本人の意向も十分参酌した上で実施するよう下部を指導する」ことを明らかにした。

その後の昭和四一年七月にチェンソー等による振動障害が職業病として指定されたことに伴なう災害補償の取扱いに関連して、林野庁は各営林局長に対し「チェンソーを使用する公務に起因する疾病が反復発症し、その療養補償を行なう場合、チェンソーを継続使用させることは、療養補償管理上好ましくない。」旨を通達した。

2  しかし、障害認定作業員の大半は、そのレイノー現象等の発症中は局部にしびれや疼痛があつても、それが消減後はこれらの自覚症も消減し、チェンソー等の操作やその使用作業に支障がなかつたし、また医師も通常の勤務を可とする診断を行つたこと、さらに職種替に伴う賃金低下が予測されること等から職種替に対して認定者自身消極的でこれを望まぬ者が多かつたため、林野庁としては、このような職種替についての実情等を勘案し、昭和四四年以降、後に述べるように、職種替に伴う補償制度を逐次改善し、認定者の健康回復を図るとの観点から職種替を進めるよう営林局、営林署に対して指導を行い、その後、同四八年には振動障害認定者に原則として振動機械を使用させないこととした。

右処置により、高知営林局管内で、振動障害認定者でそれまではチェンソー等を使用していた作業員約三二〇人が昭和四八年に職種替を行つた。

八  (振動障害認定者に対する補償)

1  公務災害補償制度関係

昭和四〇年当時、林野庁は認定者に対し、国公災法第一二条(休業補償)の規定により、療養に要した日については、平均給与額の一〇〇分の六〇に相当する金額を支給した。その後、昭和四一年八月二六日付けの人事院事務総長通達により休業援護金制度が新設され、同四一年七月以降、平均給与額の一〇〇分の一〇に相当する額が休業補償に合せて支給されることとなり、合計一〇〇分の七〇に相当する補償がされるようになつた。

その後の昭和四四年一二月に右人事院事務総長通達が改正されたのに伴い、林野庁は、人事院と協議のうえ同四五年一月以降チェーンソー等の使用による公務上の災害に対し休業援護金の額を一〇〇分の一〇から一〇〇分の二〇に増額し支給することとした。

さらに昭和四八年に労使協議のうえ休業特別給制度を新たに設け、認定者がその療養のため勤務することができない日の賃金を一〇〇パーセント補償することによつて療養に専念できるようにした。この制度により在職者については、従来行われていた国公災法に基づく休業援護金で尽されない賃金不足分も補てんされることとなつた。

2  職種替による差額賃金の補償

株野庁は、障害認定者の健康管理上の観点から、昭和四〇年以降認定者の職種替を図る方針で対処してきたが、チェンソー等の振動機械を使用しない仕事に職種替された場合、従来の職種に比較して賃金が低下することから認定者側においてこの措置には消極的であつたこともあり、このため必ずしも職種替が進展しなかつた。

そこで林野庁は職種替の円滑化を図るため、昭和四四年一二月に労使協議のうえ職種替前一か年間における平均格付賃金と職種替後一か年間における平均格付賃金との差額、若しくは、職種替前の一か年間における平均一日当たり基準内賃金に一〇〇分の八五を乗じて得られる額と、職種替後一か年間における平均一日当たり基準内賃金との差額の何れか高い方の額を補償することとした。

その後、右に述べた基準内賃金の一〇〇分の八五にかかわる部分について、昭和四七年四月には一〇〇分の九五に、さらに同四八年六月には一〇〇パーセントに改善し、職種替以前の賃金が全額補償されることとなつた。

また職種替賃金補償が実施された昭和四五年一月一日以前に既に振動障害によつて職種替されていたものについては一時金を支給することとして、職種替による賃金の低下に対する救済措置を講じた。

なお、昭和五三年一月以降は基幹作業職員(常勤職員)制度発足に伴い、前述のような職種替賃金補償及び休業特別給の制度は廃止されたが、右制度の発足により締結された賃金協約によつて実質的には前記同様趣旨の措置が講じられている。

九  (結び)

以上の一ないし八の認定事実によると、林野庁は振動障害について無為無策であつたのでなく、それ相応の施策を講じてきたとみるのが相当である。当審証人山田信也は、チェンソーの振動を従来の一〇Gを超えるものから、三G程度に軽減、改良することは、昭和四〇年代の当初ころにも容易であつたのに、四〇年代の終りごろになつて漸く、三Gを超えてはならないとの法規通達が行われたのは控訴人の怠慢である旨を供述しているが、林野庁がほぼそのチェンソー全部を三G以下の防振改良型に切り替えた昭和四五年三月当時でも、民間林業の作業現場ではなお従前の非防振チェンソーを使用しているところが多かつたことは成立に争いがない甲一号証により窺知できるし、特に本件被控訴人ら一二名が就労していた高知営林局管内では、チェンソーに関しては他の営林局より一足先に防振ハンドルを考案実用化し昭和四一年ころには振動の強さが三G程度に軽減された防振ハンドルつきのものを相当多く使用するに至つており、ブッシュクリーナーについては昭和四三年ころ防振装置つきで軽量のものに切替えられたのであるから、山田信也の右の意見を採用することはできない。

次に原審証人谷添嘉瑞、同町田健夫、同細川汀、当審証人阿部保吉、同山田信也、原審当審証人五島正規は、控訴人の講じた前記処置について、チェンソー等の使用による振動障害が全身的疾病であるのに、林野庁が昭和四〇年代の前半を通じて、この障害罹患者をレイノー現象発症者に限る傾向があつたのは違法不当で、このため被控訴人ら一二名の公務災害認定が遅延したと供述しているが、当時でも、振動障害が全身的疾病であるとの医学的所見は一部専門家に限られた特別のものであつたのみでなく、当時は振動障害に関する診断方法が確立されておらず、またレイノー現象がチェンソー使用による振動障害の最も特徴的な症状とみられていたため、その認定にあたり、レイノー現象の誘発検査の結果所見が重視されていてそれもやむを得なかつたのであるから、右各意見は採用できない。

また原審証人町田健夫、同谷添嘉瑞、同五島正規は、林野庁がレイノー現象の確認を営林局、営林署の管理医に限定して行わせたのは違法であり、これが被控訴人らの公務災害認定が遅延した理由の一半であると供述しているが、昭和四〇年当時は、わが国の医学界で振動障害の罹患判定に関する医学上の知見には未解明な点が多く、このような情勢の下では、一般の開業医師等にチェンソーの使用による振動障害の罹患の有無の診断を求めても、適正な診断を得ることが期待できないと判断したのは理由のあることであるから、林野庁が既存の管理医体制を充実、強化したうえ、チェンソー使用による振動障害の検診に際し、管理医の所見を重視したのは正当であり、しかも、人事院規則で振動障害が公務災害と指定された昭和四一年七月の長官通達が出た後は、その振動障害の検診医師を管理医に限らず、振動障害関係の専門医であれば良いこととしたのであるから、この点に関する右証人の各意見は採用できない。

<証拠>によると、昭和四二年三月に行われた高知営林局と全林野四国地方本部との団体交渉の席で、高知営林局が「レイノー現象は、発現している時には作業上、安全上支障はあろうが、発現していないときは、専門家によるいろいろな検査の結果も、正常者との差は認められないとのことであるので、仕事をしながら治療を行つていくというように考えている。」と発言したことが認められ、原審証人町田健夫は高知営林局の右の発言はチェンソー使用による振動障害罹患の作業員に対し、休業治療やチェンソーを離れての治療を否定する従来の方針を変えないことを表明したものと解されると供述しているが、右団体交渉の議事録を通読すると、一連の交渉過程の中で「休業して治療を行わなければならないということになれば、その期間の休業補償を完全に実施してもらいたい」との組合側の発言に対し、営林局が当時の医師の所見によれば、通院治療(この間も休業である。)で十分であり、それ以外の時間に休業してまで加療を必要とするものではない旨を説明したものにすぎず、もちろんチェンソー等の作業をせよというものではなく、他の仕事に従事できるというものであり、また、高知営林局の振動障害の治療に関する方針を述べたものでもないし、当局は同じ交渉の場において、医師が必要と認める場合は休業加療を認めると表明していることが看取できるので、高知営林局の前記発言を非難するのは相当でない。他に、高知営林局が林野庁の指示に違反し、振動障害が反復発症して療養補償を行つている作業員に対し、休業療養を行うことを許さない旨を表明したことを肯認できる証拠はない。

第七  (林野庁が昭和四〇年五月以降もチェンソーの使用を中止せず同四四年一二月まで時間規制を行わなかつたことについて)

被控訴人らは、昭和四〇年五月、労基法施行規則に関する労働基準局長通達により、チェンソー等の使用による振動障害が職業病と認められて以降も、控訴人がチェンソー等の使用を中止しなかつたのは、その機械使用作業員に対する安全確保債務の不履行であり、また右機械使用時間の短縮規制実施を昭和四四年一二月まで行わず、チェンソー等使用による振動障害を増悪させたことも債務の不履行であると主張しているのでこの点につき判断する。

一当審証人伊東邦雄の証言によると、林野庁の国有林野事業におけるチェンソー等使用作業員についての振動障害認定者数の昭和四〇年から同五三年六月までの年度別推移及びそのうち昭和五一年一〇月当時と同五三年六月当時と両期間の中間の一時期当時の三時期における認定者の症状区分は別表第八記載のとおりであることが認められるが既に説明したように、昭和四〇年当時におけるわが国の振動障害に関する医学的知見では、チェンソー等の使用を継続する作業員中に、レイノー現象を中心とする局部振動障害が発症するであろうことの予見が不可能であつたとみることはできないが、その症状の大多数は、労働能力に影響がないとみられる程度の軽症なものであることが予見されたにとどまり、労働能力を減退ないし喪失させるような症状が相当に高い割合で発症することの予見可能性がなかつたことは、前記第四及び第五で判断したとおりであること、別表第八の認定者数の年度別推移のとおり昭和四三年までの認定表数四八三名のチェンソー等使用作業員全体に占める割合は、前記昭和四八年一一月実施のアンケート調査時にチェンソー等を使用していた作業員総数約八〇〇〇人の約六パーセントで、その割合が一〇パーセントを超えたのは昭和四四年以降であるうえ、わが国の主要な医学的知見や諸外国における医学的知見では、チェンソー等使用による振動障害は局部的なもので、かつその症状は大半が軽症であるとの所見で軌を同じくし、さらに全身的疾患説の知見でも、チェンソー等による振動障害のうち重症例が多く現出するようになつたのは昭和四四ないし四六年ころ以降であるとみていること、加えて昭和四〇年から四六年ころの社会情勢からみて林野庁がチェンソー等導入開始前の人力を主体とする伐木造材、植林作がに切替えようとしても既に能率のよい機械を使つていたものに人力に戻らせることが容易でないという一般論からみても到底不可能であつたこと、林野庁はチェンソー等使用作業員に振動障害発症を認めて以降、その障害発生を抑止するため前記第六で認定したとおり各般の施策を実行してきたのであり、その施策は昭和四四年五月以降実施したチェンソー等使用の時間短縮制限処置を含めて、諸外国の施策と比較して、進んでいる点はあつても、遜色がないこと、チェンソー等使用の時間規制については、その使用による振動障害発生が認められても、昭和四三年まではその認定表数が高率であつたとはいえず、この機械実用開始後六年余を経過し既に定着傾向にあつた使用時間を短縮制限するためには、林野庁は国家機関であるから随時任意に行うことはできず、それなりの根拠や資料の収集を必要としたのは当然であることを総合すると、林野庁が昭和四〇年以降もチェンソー等の使用を中止しなかつたこと及び昭和四四年四月までのチェンソー等の使用時間を短縮制限しなかつたことは、作業員の公務上の安全確保義務との関係において債務不履行の責めを免れるに足る相当な理由があつたものと認められるので、この点に関する被控訴人らの主張は採用できない。

<証拠>によれば、高知営林局管内では、昭和四八年七月以降、その他の営林局管内でも昭和五〇年四月ころ以降に人工植林樹の伐採作業がチェンソー使用から手鋸使用に切替えられたこと、その後の昭和五五年まで高知営林局管内では天然林での一部伐木作業にチェンソーが使用されてきたほかは、その余の天然林の伐木作業と人工植林樹木の伐木作業にはすべてリモコンチェンソー(機械作動中の振動が作業員の身体に伝播しないチェンソー)が使用されていることが認められるが、右昭和四八年から数年間、人工植林樹木の伐採作業がチェンソー使用から手鋸使用に切替えられていたのは、戦後間もない時期に植林した樹木が昭和四八年ころ伐採適期に成育し、そうした植林樹木の伐採は天然林の伐倒と比較し労働強度が軽くてすみ伐倒技能の習得や災害防止面でも手鋸使用の方が容易で危険性が少なかつたからであり、それ以前には手鋸使用による伐倒に適する植林樹木がそんなに多く存在していなかつたのであるから、昭和四八年以降の数年間、人工植林樹木の伐倒作業に手鋸が使用されていたことは、前記判断に消長を及ぼすものではない。

原審証人谷添嘉瑞、同町田健夫、同細川汀、当審証人阿部保吉の各供述中、前記認定判断と牴触する部分は採用できない。

なお、被控訴人下元一作は、労働基準局長の昭和四〇年五月通達で、チェンソーによる振動障害が職業病であると認められる以前の昭和四〇年四月から退職した同四一年四月までの間、職種替(集材作業)によりチェンソーその他の振動工具を使用しなかつたことは、同被控訴入の自認するところであり、したがつて、同被控訴人のチェンソー使用中止不履行と使用時間規制実施遅滞の主張は、その前提を欠いて理由がなく、亡岡本吉五郎は昭和三八年一一月以降、退職した昭和四〇年六月までの間、被控訴人浜崎恒見は昭和四〇年六月以降、退職した昭和四二年七月までの間、いずれも職種替(手鋸使用の伐木造材作業)によりチエーンソーを使用しなかつたことは、亡岡本の訴訟承継者である被控訴人岡本由子、同岡本章男、同足達貞子及び被控訴人浜崎恒見の各自認するところであるから、同被控訴人らのチェンソー使用中止等に関する債務不履行の主張は前記被控訴人下元一作の場合と同じく理由がない。

したがつて、被控訴人らのこの点に関する主張はすべて理由がない。

次に被控訴人らは、被控訴人らが労基法施行規則や人事院の規則により認定を受けた振動障害以外にもチェンソー等の使用により多くの身体障害を受けていると主張しているので以下において被控訴人らの各症状と退職事情を検討する。振動障害として認定を受けたもの以外でもチェンソー等の使用と相当因果関係のある障害については控訴人の責任が生ずる余地があるからである。

第八  被控訴人松本勇関係

一別表第一、番号1の被控訴人松本に関する記載事項については当事者間に争いがなく、同被控訴人がレイノー現象の認定を受けるまでの経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると、前記理由第三の二、(二)、2、5、三、15、第六の一、二、1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。被控訴人松本勇は

1  大正一三年六月、一三歳で高知営林局大正営林署に保線手として採用され、途中、通算約四か年兵役に服した(その間戦地で右肩に貫通銃創を受け約六か月入院した。)ほかは昭和二九年三月まで製炭手の業務に、昭和二九年四月から同三四年五月まで製炭手と集材手の業務に従事し(昭和二九年四月以降、退職時まで常用作業員)、同三四年六月、同営林署佐川製品事業所の伐木造材手となり、同年一一月芳川製品事業所に配置替え、さらに同四〇年五月、芳川事業所終山に伴ない久保谷製品事業所へ配置替えされた。

2  昭和三四年六月、四八歳のとき、大正営林署佐川事業所にチェンソー導入と同時にチェンソーによる伐木造材作業を始め、同四四年九月三〇日退職時まで約一〇年六か月(但し、昭和四一年六月の頭蓋骨亀裂創等の負傷事故と同四二年一二月の左足背部打撲傷等の負傷事故で、合計八二日間休業した。)、右作業に従事した。一か月の稼働日数は平均一九日余で、チェンソー使用は二人一組で作業を行い、チェンソーを操作した時間は一日平均二時間三〇分程度であり、昭和四二年から四四年までの使用延日数は二〇二日であつた。

昭和四〇年五月から同四四年九月までの久保谷事業所の作業現場は標高が約六〇〇メートル、冬期の最低気温が零下約三度であつた。

使用したチェンソーの機種は昭和四三年六月から同三八年一一月ころまではマッカラー一の七二型で、給油した最大重量約10.5キログラム、振動約一〇Gであつたが、その後、退職時までの間に、マッカラー四四のA型、同一の七六型、同七四十型、同七九五型と機種が変わり、その重量はマッカラー一の七二型よりも幾分軽かつた。また昭和四〇年末ころ以降は、防振ハンドル装置がつき、振動の強さは約三Gとなつた。昭和四〇年五月から四四年九月まで、松原製品事業所の宿舎で居住し、その宿舎から作業現在の集合解散所まで約7.5キロメートルを自動二輪車で通勤した。

3  前記昭和三八年一一月に実施された林野庁のアンケート調査に対し、チェンソー使用開始から約三年目の冬、芳川事業所の作業現場へ通勤途中で右手の第二ないし第四指に約三〇分間、蒼白発作が起つたこと、その際しびれ感があつたが痛みはなかつた旨回答した。

4  昭和四〇年三月二二日と同年九月二二日の各健康診断時に、管理医窪田清に手指の蒼白発作の有症としびれ痛みを訴え、同医師は所定の誘発検査を行つたが蒼白発作の発症はなかつた。

その後の昭和四一年六月三日、翌四二年七月一九日の各健康診断時には訴えがなく、その間の同四一年一二月二〇日、管理医の現場巡視時に上腕の緊縛方法によるレイノー現象誘発検査を受けたが発痛がなく、昭和四三年六月二二日、大正営林署管理医山中正に自動二輪車で寒冷時に走行中などに手指に蒼白発作が起り、しびれ感、疼痛が強いことを訴えたが、チェンソーの操作による伐木造材作業には支障がなく、チェンソーの使用を忌避するものでないことを告げたので、同医師はチェンソー使用直接起因する症状か素因的なものであるか不明であり、全国的な診断基準に照らし極く軽微であるとみて、レイノー現象誘発検査を行わず、治療の必要やチェンソー作業を継続すると症状悪化のおそれがあるとはみなかつた。なお当時、大正営林署管内のチェンソー使用作業員中二名が多発神経痛で治療中であつた。

5  昭和四三年九月二八日の健康診断に伴なう精密検査に手首関節痛を訴え、両手の冷水浸漬検査を受けたところ、左手の小指に浸漬開始より四分後に蒼白発作が誘発された。しかし、その精密検診を行つた管理医山中正は、手指の触覚と痛覚に幾分鈍麻があるだけで、その握力は左手が五八、右手が五七から、指の関節を含めて異常がなかつたので、治療の必要やチェンソー使用作業からの忌避ないし軽減の必要があるとはみなかつた。

6  昭和四四年五月二〇日、入居している宿舎で洗濯中に、両手の拇指以外の各四指に蒼白発作が起つたので、近所に住む大正営林署久保谷事業所の主任山崎喜男に連絡して、同主任から右発症の現認を受け、同月三〇日、高知営林局管理医富岡豊年の精密検査を受け、冷水浸漬の誘発検査により右手中指、左環指に蒼白発作があり、その際、右肘部から手指までのしびれ感、左手の拇指以外の四指のしびれ感と疼痛を訴え、レントゲン透視検査では両手関節、手指に異常がなかつたので、同医師はチェンソー使用に起因するレイノー現象で治療を可と認めると診断し、なお防振防寒については留意を要するとの所見を示したが、チェンソー使用作業の忌避ないし軽減を要するとはみなかつた。この日の問診で同被控訴人は昭和三七年一一月頃から左手の手首から手指先までと右肘から右手指の先まで年中いたむことがよくあり、また同年一二月ころから左手の拇指以外の四指と右肘から右手指の先までが年中しびれることがよくあると訴えた。

7  富岡豊年医師の右診断にしたがい、昭和四四年七月一日を初回として昭和四九年三月までに年平均五二回程度(毎週一回程度)、檮原町松原診療所(前半)、大奈路診療所(後半)へ自転車等で通院し、管理医から投薬、パザフィン液浴等の治療を受けた。

8  前記6の診断を受けた前後を通じ、伐木造材手以外へ職種替えを希望したことも、また当局からその申込ないし勧告を受けたこともなく、従前どおり一か月平均一九日余り出勤し、二人一組でチェンソーを使い伐木造材作業に従事した。

林野庁は五五歳以上の常用作業員を対象として昭和四四年四月から九月までに退職した者には通常の退職金より相当割高の退職金を支給することを骨子とする高齢常用作業員の退職に伴なう特別措置を実施することとなり、高知営林局大正営林署久保谷事業所でも同年四月ころ掲示板にその実施要領書を掲示するとともに、事業所主任がその旨を被控訴人松本を含む対象者へ口頭で説明した。同被控訴人は右の説明を受けた当初ころは退職の気配をみせなかつたが、昭和四四年五月三〇日に富岡医師からレイノー現象の診断を受けた後の同年六月に、久保谷事業所の主任を通じて、退職金額の計算をして貰つたうえ、その特別措置の終期である同年九月末日で退職すると申出、特別措置により退職し、そのそろ退職金三一五万七五〇〇円を受領した。この金額は通常の退職金と比較すると、約二倍であつた。右退職当時ころの月給は約四万五〇〇〇円であつた。

9  右退職後間もなく大正町森林組合に約一か月雇われ、直径一〇センチメートル程度の雑木の手鋸による玉切り作業に従事し、翌四五年三月ころ、窪川営林署に約一か月間臨時雇用され、巻立作業(貯木場へ搬入された原木を樹種、大きさ等に仕分けして、指定の場所に、指定の石量を椪立てる作業で、原木の移動作業では玉掛けを行う。)に従事し、その後の昭和四六年一〇月ころから同五〇年一〇月ころまでの間、日本道路舗装と香長建設に雇われて、道路舗装に伴なうロードローラーでアスハァルトを地面に展圧した残余の地面を小直しする作業(火焔で焼いた鏝を両手で使いアスファルトを地面に展圧装着する作業)に従事した。その後は働きに出ることはなく、自宅の菜園を耕し、自家用野菜の栽培を行うくらいが肉体労働である。

同被控訴人のレイノー現象は昭和五〇年一〇月ころ、六四歳で香長建設を退職するまで時折発症していたが、その後は発症したことがない。同被控訴人が昭和五〇年一〇月ころまで、営林署の常用作業員として伐木造材作業に従事していたとすると、その五〇年一〇月当時の月給は約一五万円になつている筈であつた。

10  大正一三年に営林局へ勤務し始めてから、昭和五〇年一〇月香長建設を退職するまでの約五二年間に、私病として医療を受けたのは、戦傷による入院のほかは昭和四四年七月中に、腰痛症で大正町田野々の中平医院へ通院し二回投薬(六〇一円相当)による治療を受けたことであつた。

以上のとおり認められ<証拠>中、被控訴人松本が営林署に在職中、眩暈がしたりして久保谷製品事業所の集合場から作業場まで徒歩で登るのも辛らかつた。作業中に手がしびれてチェンソーの操作が困難であつた旨供述しているところは、爾余の前記証拠及び、営林署退職後、雑木とはいえ直経一〇センチメートルの玉切作業に約一か月間従事したのをはじめ、手や腕がしびれたり痛んでは就労できないと思われる道路舗装の手直し作業に約四年間従事していること等に徴して措信し難い。また同被控訴人が営林局の退職を決意したことについてはレイノー現象罹患の診断を受けたことが一つの要因であつたとはみられるが、五七歳という当時の年齢や当時職種替えを希望しなかつたことなどにかんがみると、その退職決意の主な原因は普通退職金の倍額の三〇〇万円余の当時としては相当の財産である特別措置による退職金を受領する方がそのまま在職するより有利であるとみたからであると推認できるので、この点に関する甲一八号証の記載及び同被控訴人の原審当審(当審分は一、二回)におけを前記各供述は採用できない。

二<証拠>を総合すると、被控訴人松本は、昭和四八年一一月二一日と翌四九年一二月四日、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センターの医師五島正規に振動病の診察を受け、自覚症状として、一回目の受診時に蒼白発作があるほか、両側肩、腕、手、指にしびれがあり、頭部、肩、腕、肘、手、指に疼痛があり、耳鳴眩暈発汗亢進、書字障害があり、寒冷時に性欲減退が著明であると訴え、二回目の受診時には、蒼白発作はこの一年間おこらず、性欲減退の点は訴えず、その余は一回目と同じ自覚症状があるほか、胸部絞扼感があると訴えたこと、他覚的所見として、一、二回とも末梢知覚神経鈍麻、末梢循環機能不良のほか、筋力検査による所見として、一回目では右手の握力が低下し、両手の握力に疲労が著明であるとされているが、二回目ではほぼ正常の所見であつたこと、さらに一回目の頸椎レントゲン写真による所見として、椎間狭少、生理的湾曲極少、全般に変形強度とされ、その総合判定として、一回目は振動病の進行段階基準が一番重い四期にあたり、障害は機質的に相当進行しており、完全な治癒は期待できず、このまま放置すると病状進行により完全な労働能力の損失に至るので、直ちに専門的治療が必要であるとし、二回目では、進行段階に変動はなく、障害は機質的に進行しており、老化の進行もあり、治癒は困難であると各診断されたこと、五島医師の右振動病進行段階基準は、同医師が別表第六(103)

の知見(ガラニナらの振動病進行段階として紹介されているもの)に依拠したものであること、被控訴人松本は当時平均一日二合の晩酌を欠かさなかつたほか一日平均三十本の喫煙をしていたと推定されるが、五島医師が同被控訴人の皮膚温度等の検査の際に、右飲酒や喫煙が考慮された形跡はないし、同医師が節酒禁煙の勧告をした形跡はないことが認められる。

被控訴人松本に対する五島医師の右所見は甲鑑定の結果と同旨で、それらは高松誠らと同じくチェンソー等の振動によるものを含め、振動障害を全身的疾患とみるものであり、五島医師の被控訴人松本に対する右診断所見はいわゆるガラニナらの当初の振動病分類を参考にしたものであること、別表第二(302)の文献(成立に争いがない乙二九八号証)と成立に争いがない乙二一八号証によつて認められる、ガラニナらの提唱している振動病進行段階はすべての振動工具による障害を対象にしたもので、ガラニナらは右進行段階の基準のほかに、特徴的な五種類の振動工具別にその工具使用による振動障害の特徴的症状を説明しているところによると、ガソリンエンジソの鋸(チェンソー)を使用する伐木作業員については、ガラニナ分類の第二期の症状として掲げられている手先のチアノーゼ及び同三期、第四期の重要な症状である中枢神経系の変化がいずれもないとしているほか、ガラニナが作成した分類では、症状の程度を四段階に区分し、さらにその四段階の区分の外に、経過が比較的良好で代償性が高いことが特徴とされ手指の血管攣縮を主徴とするいわゆる代償型(不全型)なるものを振動病の一つの型として区分していること、別表第六、(305)によるとガラニナ分類の共同研究者であるドロギチナらは、「われわれが以前に提案した疾病分類は、特徴的症候の重さにのみ基づくものであつた。たとえば手指血管攣縮の存在は、過程が重いことを示すものとして第三期に入れた。しかしわれわれが長いあいだに集めた資料から、毛細血管と前毛細血管の攣縮は比較的早期に出現しうるものであり、そのうえこのような病的現象は血行動態の代償性でおおわれるということが明らかになつた。この場合大多数の者は、攣縮は全身冷却で起こるだけで、作業時には全く起こらず、それ自体では労働能力に影響しない。振動因子はこの場合、強い静力学的緊張や微小外傷と無関係なので、疼痛現象はないかもしれない。知覚領域は全くおかされない」と述べ、当初レイノー現象の発現を第三期に分類したが、その後の資料により、レイノー現象は比較的早期に出現するが労働能力には影響がなく、更に知覚領域は全く冒されていないものであるとして当初の分類を訂正していること、これら局所振動障害全般については全身的疾患説を提唱しているソ連のガラニナやドロギチナらにおいても、チェンソー等による振動障害は局部的で軽度であり(ガラニナら)、一部全身的疾患の病態を伴なう(自律神経性筋膜炎症候群)ものが含まれるとみる知見でも、その症状はいずれも比較的軽度としている(ドロギチナら)ことにかんがみ、五島医師が被控訴人松本のチェンソー使用による振動障害であるとして指摘する症状及びその症状の度合、症病の進行段階に関する所見はガラニナが最初に発表した症度区分に則つているに過ぎないので採用できないこと、被控訴人松本が五島医師の一回目、二回目の診察を受けた後も手で鏝を握り腕力を使う道路舗装人夫として稼働し、<証拠>によつて認められるように昭和四八年四九年当時、同被控訴人が通院治療を受けた日には一日につき約二〇三四円の療養補償金、二一六八円程度の休業補償金及び約七一五円の休業援護金が支給され、道路舗装人夫の日当額と比較して遜色のない補償を得られるのを知りながら、従前と変りなく一週間に一回前記診療所に通院して投薬等の治療を受けたにとどまり、別の専門医療機関で治療を受けようとした形跡がないこと、及び乙鑑定の結果と比較して、五島医師の右各診断所見を採用することはできない。

三被控訴人松本の前記一10の香長建設退職(昭和五〇年一〇月)以降、現在までの病症とその治療関係をみると、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人松本は

1  昭和五〇年一〇月二三日、高知市本町の宮本病院で、レイノー現象で診療を受け、その際、蒼白発作はないが、朝の寒冷時に少ししびれ感があるほか、耳鳴りがして夜眠れず、頭痛、鼻出血があり、畑を耕したりした場合、上肢に疼痛はないが腰痛がある等を訴え、同日以降、昭和五四年四月末日まで、休祭日等で同病院の休診日以外は連日、汽車で同病院へ通つて投薬、牽引、電気療法等の治療を受け、昭和五四年五月以降、住所近くの田野々診療所へ転院して以降、後記4の四国勤労病院入院期間と田野々診療所の休診日以外は自転車で同診療所へ通院し、宮本病院と同じような治療を受けて現在に至つている。

2  昭和五六年二月ころの自覚症状として、手、指、腕のしびれが時々あり、指、手首、肘の関節が時々痛み、毎日のように頭痛があり、眩暈が時々すると診えた。

3  昭和五六年七月二日、四国勤労病院で五島正規医師の診断を受け、手、指全体にチアノーゼの繰り返しがあり、眩暈、たちくらみ、耳鳴り、不眠、後頭部痛、両上肢のしびれ感を訴え、同医師の検査結果では、両肘関節変形、尺骨神経の肥大と不全麻痺、末梢循環障害があるとされている。

4  昭和五七年五月三一日、眩暈で卒倒し、同日から同年七月三〇日まで四国勤労病院に入院して治療を受けた。その入院時に悪心、たちくらみ、耳鳴りがあること、手指にチアノーゼ出現があることを訴えた。右症状が軽快して退院した。

5  昭和五七年一二月六日、四国勤労病院で五島医師の診察を受けたが、手指のチアノーゼ、立ちくらみ、後頸痛、不眠、耳鳴りを訴え、同医師の検査結果による特徴は両肘関節と尺骨神経関係は前記五六年七月二日の診断と同じであるほか、両背側骨間萎縮があり、末梢循環障害は改善傾向にあるとの所見であつた。

6  左記一覧表記載のとおり昭和五一年五月六日から同五四年二月までの間に、急性気管支炎その他の病気にかかり、武田医院その他で治療を受けた。

被控訴人松本勇の私病とその治療一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

急性気管支炎

五一・五・六

窪川町武田医院

五一・五

継続

2

急性胃腸炎

五一・五・二二

五一・五

3

胃炎

五二・三・二六

大正町中平医院

五二・三

4

急性上気道炎

五二・七・八

番号1と同じ

五二・二

治癒

5

膝関節炎

五二・七・一九

五二・八

6

五二・九・六

五二・九

継続

7

急性気管支炎

五三・二・二六

五三・四

治癒

8

膝関節周囲炎

五三・八・一四

五三・八

9

感冒、上気道炎、急性扁桃炎

五三・一一・三〇

五四・二

10

急性胃炎

五三・一二・二三

五四・二

7  昭和五六年当時、頸椎症、難聴、手指循環障害、右胸郭出口症候群、第五腰椎分離辷り症(既存で現在症状はない。)、両肘部管症候群、両肩関節周囲炎、両肘関節症、両膝関節症、両手指関節症、末梢神経障害(手部)、高血圧症があつたが、それらの症状の程度はすべて軽度であり、他に病症疾患はなかつた。

右のとおり認められ、<証拠判断略>。

四右一ないし三で認定した被控訴人松本の健康状態、疾病とその治療に関する事実、稼働状況及び前記第五で判断したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見及び乙鑑定の結果を総合すると、被控訴人松本の振動障害は両手指の循環障害と末梢神経障害であること、このため両手指に発症していた蒼白発作の症状は昭和五〇年一一月ころまでに治癒したこと、右両手指の循環障害と末梢神経障害の症状の程度は発症以来軽度で、日常生活の機能には労働能力を含めて格別の支障はなく、右障害により時折、幾らかの不快感がある程度であることが認められるが、右障害以外の前記二及び同三の2、3、4、5、6、7で説示の病症はチェンソー使用を含めた被控訴人松本の営林署での就労に起因するものとは認め難い。当審証人五島正規は前記二及び同三の2、3、4、5説示の各病症がすべて振動病によるものであり、その病症の程度は対症的治療を施しているので多少は軽快しているが、軽くはないと供述し、また当審における甲鑑定の結果は右病症のほか前記三7の疾患中の大半及び前記三6の一覧表番号5、6、8の発疾患も、チェンソー使用を含む被控訴人松本の営林署での労働によるものとみるべきであるとしているが、前記二の病症をすべて振動病であるとし、それが重症であるとする五島正規医師の所見が肯認できないことは同項で説示したとおりであるほか、右五島正規証人及び甲鑑定の所見の基礎であるチェンソー使用による振動障害が全身的疾患を含むものであるとの知見が採用できないことは前記第五で判断したとおりであること、五島証人や甲鑑定が指摘している病症のうち、両手のレイノー現象(手指の循環障害、末梢神経障害、蒼白発作)以外の病症は最も早く診断されたものでも昭和四八年一一月二一日で、被控訴人松本が営林署を退職してから四か年余を経過後であり、その症状は軽微で、同被控訴人は右期日ころを含めて右退向直後から昭和四六年九月ころまでは断続的に、同年一〇月以降、昭和五〇年一〇月までの四年間は継続して、普通程度の労力を要する肉体労働に従事し、その間、一週間に一回の割合によるリイノー現象疾患の治療を受けたほか、他の疾患で治療を受けた形跡がないこと、昭和四八年一一月は同被控訴人の六二歳時で、老化現象として前記二の病症の大半が生じたとみても不合理でないこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して右五島正規証人の供述及び甲鑑定の結果は採用し難い。

五他に、以上の認定判断を覆えし、被控訴人松本指摘の病症が営林署に在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。

よつて、被控訴人松本指摘の諸疾患がチェンソー使用を含めた営林署在職中の労働に起因するものであるとの同被控訴人の主張を肯認できず、したがつて、右症病を前提として控訴人に債務不履行があるとの被控訴人松本勇の主張は理由がない。

第九  被控訴人田辺重実関係

一別表第一、番号2の被控訴人田辺に関する記載事項については当事者間に争いがなく、同被控訴人が関節炎の公務災害認定を受けるまでの経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると、前記理由第三の二、(二)、2、5、第六の一、二、1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人田辺重実は

1  昭和三年六月窪川営林署に伐木造材手として就職し、その後、前後五回通算二か月余兵役に服したほかは高知県下の各営林署で伐木造材作業に従事し(昭和二九年四月以降常用作業員)、昭和三四年一一月から同四四年九月まで九年一一か月、大正営林署松原製品事業所でチェンソー使用による伐木造材作業に従事した(但し、昭和三六年五月の右手背示指切創、同三九年一二月の右下腿骨骨折の負傷で通算七〇日間休業した。)。松原製品事業所の伐木造材手合計一〇人のうち、被控訴人田辺は作業技倆及び勤勉さが優れていた。その一か月の平均稼働日数は約二〇日で。チェンソーの使用は二人一組で作業を行い、チェンソーを操作した時間は一日平均約二時間三〇分であつた。その作業現場の大畑山と五郎畑山は標高約五〇〇メートル、冬期の最低気温零下三度で、山腹の傾斜が四五度くらいの処もあつた。

使用したチェンソーの機種は、使用開始時から昭和三九年秋までマッカラーA四四型で燃料満載時の重量が約一一キログラム、振動の強さ約一〇G、騒音約一一〇ホンであつたが、昭和三九年冬から同四四年九月までの間はマッカラー七四〇型、ホームライトXL―一〇三型と機種が変わり、重量が幾分軽くなり、昭和四〇年末以降は、防振ハンドルつきで振動の強さが約三Gのものであつた。チェンソー使用開始前の昭和三二年から退職した昭和四四年九月まで松原製品事業所の宿舎に居住し、そこから作業場の集合解散所まで自動二輪車で通勤した(所要時間約三〇分)。

2  昭和四一年一二月一九日、松原製品事業所の公文久富主任に両手の薬指、小指に蒼白発作が発症したと訴え、同日、管理医師山中正から上腕緊縛による誘発検査を受けたが、レイノー現象はおこらなかつた。しかし昭和四二年一月二五日、自動二輪車で出勤時(気温六度の寒い朝)に、両手の薬指と小指に蒼白発作が発症しているのを前記公文主任に現認された。

3  昭和四三年六月二二日の定期健康診断の際、山中正管理医に、自動二輪車で出勤途中などに両手に神経痛があるが軽度であること、チェンソーの使用に支障がなく、その使用をやめる考えはない旨を訴えた。同管理医は右神経痛がチェンソーの使用に直接起因するものか、他の原因によるものか不明であり、全国的な診断基準に照らすと極く軽微であるとみて、精密検査を行わず、チェンソー使用継続により症状が悪化するともみなかつた。

同年九月一七日と二五日の定期健康診断で山中管理医は同被控訴人に上腕緊縛によるレイノー現象誘発検査を行つたが、発症がなく、握力は左三七、右四七で、指の関節運動に異常はないが、両手の神経系の検査では幾分の鈍麻があるとの所見であつた。

4  昭和四三年一一月の某日朝、雨中を自動二輪車に乗つて松原製品事業所へ出勤した際、渡辺忠男主任に上肢のしびれと痛みがあることを訴えた。

5  昭和四四年五月二五日、高知営林局管理医富岡豊年の精密検査を受け、左肩節及び両肘関節の疼痛、両前腕のしびれを訴え、レントゲン写真では両側変形性肘関節症が相当高度で特に右に強く、左肘関節及び肩関節の屈伸痛、左肩関節挙上障害、右肘関節屈伸障害があり、触痛覚とも右手外側及び小環指に鈍麻があるとの所見で、局所振動障害(関節炎)と診断され、治療を可とし、関節の状況から振動工具の使用を避けるのが可であるとの所見であつた。

6  右5の診断時より約二か月前に、松原製品事業所の掲示板に、高齢常用作業員の退職に伴なう特別措置を実施する旨の通達が公示され、そのころ事業所主任から被控訴人田辺を含む対象者へ口頭の説明が行われたので前記5の診断を受ける前の同年五月中旬ころ、同主任に右特別措置により同年九月末で退職したいと上申し、その理由として身体の調子が悪いと告げた。

7  昭和四四年六月、大正営林署より前記5の管理医の振動工具の使用を避けたがよいとの指導にもとづき集材手に職種替えするよう勧告されたが、前記6のとおり同年九月末日で退職するので、従来の伐木造材手にとどまり、その職種で退職したいと希望した。そこで同営林署は希望を容れ、そのころから同年九月末日までの間は、従前の作業配置中、チェンソー使用の振動が強い伐倒作業を外して、盤台での玉切り及びトラックへの積込作業だけを同被控訴人に割当てた。

8  同年九月末日で退職し、そのころ退職金三一〇万六二六二円を受取つた。この金額は通常退職する場合のそれと比較すると、約二倍であつた。

右退職当時ころの月給は約五万円であつた。

9  営林署を退職直後の昭和四四年一〇月から一年間、江川縫製工場の工場長として雇われ、殆んど毎日通勤し、工場の見廻わり監督と製品検査、ミシソの故障修理、保守点検等を行つた。工場長に就職の際、ミシンの修理技術を習得した。

右工場長の月給は約六万円であつたが、多忙で体がきつかつたので一年で退職し、その後、間もなく普通自動車の運転免許を取得し、軽四輪乗用車を購入して、遠出の買物等に運転するようになつた。昭和四五年一二月から昭和四七年八月までの間時々窪川営林署の臨時椪積手に雇われ通算二七日、窪川貯木場で巻立作業(前記理由第八、一、10説示の巻立作業と同じ)に従事したほか、昭和四六年四月ころから同四九年七月までに江川縫製工場に雇われ裁断作業に従事した。そのころ体重が約五キロ減り、その作業場に夏期のクーラーが入つたことの影響もあり、右手にしびれが出るようになつたので、振動障害が増悪するのではないかと心配して昭和四九年七月退職した。その後は働きに出たことはない。

10  前記5の診断にもとづき昭和四四年七月、局部振動障害(両肩と肘の関節炎)の認定を受けてから同四五年一月までの間は松原診療所(管理医三木一雄)、昭和四五年二月以降は窪川町の武田医院へ通院して投薬、パラフィン浴、電気療法等の治療を受け、現在に至つた。その通院回数は昭和四四年七月から同四九年八月までの五年一か月間は一週間に一回程度ずつ(営林署や縫製工場で稼働中は、その出勤時間前に通院)で、昭和四九年九月から翌五〇年一月までの間が一週間に二回の割合、五〇年二月以降は、武田医院の休診日以外の日は殊んど毎日通院している。煙草はかつては一日二十本位のんでいたがその後も一日十五本をのんでいる。右振動障害で通院して治療を受けると、昭和四八年と四九年当時、一日につき休業補償金約一九〇〇円、医療補償金(交通費を含む)約一五〇〇円、休業援護金約六〇〇円の合計四〇〇〇円を受領していた。

11  右の本件局部振動障害及び前記1の二回の負傷と、昭和一二年九月の戦傷による入院、同二九年三月中左足蹠割創による一六日の休業治療のほか、左記一覧表記載のとおり昭和四三年一二月から同五三年一一月までに腰痛症その他の病症等で通院による治療を受けた。

被控訴人田辺重実の私病とその治療一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

腰痛症

四三・一二・

松原診療所

四三・一二

中止

2

心冠不全不整脈

四四・八・一四

四五・一

継続

3

慢性副鼻腔炎

四四・九・二四

4

胃炎

四五・一・七

5

滑液襄炎(右肘頭部)

五二・七・五

武田医院

五二・一一

6

急性湿疹(頭部)

五三・一一・一〇

五三・一二

12  昭和五二年三月まで営林署で伐木造材作業に従事していたものとすると、その期日ころの月給は約一五万円になつている筈であつた。

以上のとおり認められる。被控訴人田辺は甲七九号証及び原審当審における本人尋問で、同被控訴人が営林署退職を決意したのは、チェンソーの使用を続けていると命をとられるのではないかと心配するようになつたからであり、手、腕、肩、足がしびれたり痛むほか耳鳴りもあつたと供述しているが、同被控訴人が営林署当局に退職を申出たのは、局所障害の診断を受けるより以前の時期であること、右診断後、チェンソー使用以外の職種に替わるよう当局から勧告があつたのにこれを承諾せず、希望してチェンソーの使用を伴なう伐木造材手の仕事を続けたこと、営林署退職後の一年間、多忙な縫製工場の工場長を勤め、さらにその工場長をやめた後、普通自動車の運転免許を取得し、乗用車を運転するようになつたし、昭和四九年七月まで継続的に縫製工場の裁断作業に従事したことなどにかんがみると、右供述は措信できず、高令常用作業者に対し特別措置として高額な退職金が支給される機会があつたので退職したものと推認される。

二<証拠>を総合すると、被控訴人田辺は昭和四八年一一月二一日と翌四九年一二月四日の二回にわたり、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センターの医師五島正規に振動病の診察を受けたが、同被控訴人は自覚症状として、一回目の受診時には、蒼白発作が冬期には昭和三七年一一月から毎年発症し、夏期には同四八年に発症があつたこと、両前腕・手指にしびれがあり、両側肘部に疼痛があり、発汗亢進・書字障害・胸部絞扼感があり、昭和四二年ころより性欲減退があると訴え、二回目の受診時には、蒼白発作は同四九年の夏期にはなかつたが、正月すぎと秋の初めに合計一〇回程度発症した、右腕と右足にしびれが持続し、両手と左肘関節部に疼痛があり、昭和四二年以降性交不能と告げたほか一回目と同様の自覚症状を訴えたこと、他覚的所見として、両手の末梢神経鈍麻と末梢循環機能の不良(一、二回とも)のほか、筋力検査結果は一、二回の受診時とも低下との所見であり、レントゲン写真所見は、一回目の愛診時分は両肘関節腱付着部石灰化、第五頸椎変形があり、二回目の受診分は第五・六・七椎間狭少、両側肘関節の骨増強性変化と骨棘形成変化があるとされ、総会所見として、一回目の受診時には振動病の進行段階基準四期にあたり、障害は全身的に及んでおり、器質的変化が進行し治癒は困難であるが、進行阻止を中心に治療が必要であるとし、二回目の受診時には一回目の病状と比較し改善が全くないというものであつたことが認められ、甲鑑定は右五島正規医師の所見に副うものであるところ、前記理由第八、二で説示のとおりこれらほ所見鑑定におけるチェンソー使用による振動障害の軽重・進行段階の判定基準は正確でなく、その所見が依拠するガラニナらの特徴的症状とも齟齬するものであること、被控訴人田辺は五島医師から右一、二回の診断を受けた後の昭和五〇年一月まで、振動病で通院治療を受けた日には、前記一、10末尾で説示のとおり昭和四八、四九年当時、一日につき補償金等合計四〇〇〇円の給付を受け、縫製品裁断所の日当額と比較して遡色がない金額の補償が得られるのを知りながら、一週間に一回(昭和四九年八月まで)が二回(昭和四九年九月から同五〇年一月)の割合で武田医院へ通院治療を受けたにとどまり、別の専門医療機関で治療を受けようとした形跡がないこと、同被控訴人は営林署退職後一年間にわたり多忙な縫製工場の工場長を勤め、その後、普通自動車の運転免許を取得し、昭和四九年七月まで縫製工場で裁断作業に従事したほか、退職後、五島医師による第二回目の振動病診断の前後を通じ昭和五五年ころまでは乗用自動車の運転を行つていたことにかんがみ、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、<書証>に各記載の総合判定所見、原審当審証人五島正規の供述及び甲鑑定の結果はいずれも採用できない。

三<証拠>を総合すると、被控訴人田辺は昭和四八年一一月ころ前腕両側に筋萎縮が生じ、同四九年一二月ころ、右拇指・小指の骨間筋群等にも筋萎縮が生じ、五島正規医師は右筋萎縮も振動病によるものであると診断したこと、また昭和五〇年一〇月以降、武田医院で右筋萎縮を局所振動障害(神経炎)によるものとみて、以降、休診日以外の殆んど毎日、変形機械矯正術の治療を行つていること、昭和五六年当時における被控訴人田辺の病症とその程度は、手の末梢循環障害が軽度、頸椎症が中等度、肘関節症と肘部管症候群の右肘分が重度、左肘分が中等度、左膝関節症が中等ないし重度、腰椎症が軽度、肩関節周囲炎が中等度、遠位橈尺関節症が軽度、難聴が中等度、末梢神経障害(但し、前腕・手の尺骨側に知覚鈍麻があるが、尺骨神経の知覚神経伝達速度が測定できなかつたので、程度は不明)が軽度、肝障害が軽度、血清梅毒反応が陽性であつたこと、そのうち振動障害の症状とその程度は、肘関節症と肘部管症候群、末梢循環障害、遠位橈尺関節症がいずれも軽度で、末梢神経障害が中等度であり、この振動障害により日常生活の機能に著しい障害があるまでには至らないが、日常の生活機能に幾分かの障害があること、他に病症疾患はないことが認められる。

当審における甲鑑定の結果は、被控訴人田辺の振動障害は、右の症状だけに限られず、昭和五六年当時におけるその余の病症の大半が含まれ、その程度は高度で、食事・起居に介添えを必要とするし、当審証人五島正規は右甲鑑定に副う供述をしているが、これらの所見は爾余の前記証拠と比較して採用し難い。

四当審における証人五島正規の証言及び甲鑑定の結果中には、被控訴人田辺指摘の病症がチェンソーの使用を含む営林署在職中の労働に起因するとの所見があるが、五島医師及び甲鑑定の基礎である全身的疾患説を採用できないことは前記理由第八、四で説示したとおりであるほか、被控訴人田辺は営林署を退職してから昭和四九年七月まで五年近くの間、普通の肉体労働に従事し、そのうちの一年間は多忙な縫製工場の工場長をつとめたこと、昭和五六年は同被控訴人の七〇歳時で、同年現在の右病症中の多くが伴なうものとみても不合理ではないこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、右五島正規の証言及び甲鑑定の結果は採用できない。

五他に、以上の認定判断を覆えし、被控訴人田辺指摘の病症疾患が営林署に在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として控訴人に債務不履行があるとする被控訴人田辺の主張は理由がない。

なお被控訴人田辺は甲一二九号証の三で被控訴人田辺がもし退職せず六五才まで勤務した場合の得べかりし利益から現実に支給された金額を算出しこれを損失だというが被控訴人田辺の退職は同人の任意によるものであること既に述べたとおりであり、右の計算は同被控訴人が全く働けない身体であることを前提としているが、実際は他所でも働き全損ではないのでこの計算を参考とする必要はない。

第一〇  被控訴人岩崎松吉関係

一別表第一、番号3の被控訴人岩崎に関する記載事項については当事者間に争いがなく、同被控訴人がレイノー現象の認定を受けるまでの経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると、前記理由第三、二、(二)、2、5、第六、一、二の1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人岩崎松吉は

1  昭和一七年六月、高知営林局大正営林署佐川製品事業所の製炭手となりその後一か月教育召集で兵役に服したほか同業務に従事し、昭和三二年四月に伐木造材手に職種替となり(昭和二九年四月以降、常用作業員)、昭和三四年六月、佐川製品事業所にチェンソーが導入されたのと同時に、チェンソー使用による伐木造材作業に従事し、昭和四二年四月、同営林署久保谷製品事業所に配置換となり、昭和四五年一二月ころまでは一か月に平均約二〇日間働いた(その間の昭和三四年一二月から同四一年一月までに、左膝外部打撲傷等の公傷で前後三回通算六七日休業した。)が、昭和四五年一月以降は後記高血圧、糖尿病、皮膚炎等に罹患しその治療のため、同年五、六月と八月に各一日か二日程度働いただけであつた。そのチェンソー使用は二人一組で作業を行い、同被控訴人がチェンソーを操作した時間は一日平均約二時間三〇分であつた。その作業現場であつた佐川山は三〇度程度の傾斜があつたし、久保谷山は標高約六〇〇メートルで冬期の最低気温が零下三度であつた。使用したチェンソーの機種は、使用開始時から昭和四〇年ころまではマッカラー七四〇型で、燃料満載の重量が約一二キログラム、振動約一〇G、騒音約一一〇ホンであつたが、その後、マッカラー七九五型に機種が変わり、重量が約一〇キログラム、振動が昭和四〇年末以降は約三Gのもの(防振ハンドル装置つき)になつていた。松原製品事業所の宿舎に居住し、昭和四四年九月までは集合解散場所までの約7.5キロメートルを自動二輪車(所要時間二〇分)、同年一〇月以降は集合解散場所までの約一〇キロメートルをバス(所要時間約二五分)で通勤した。

2  昭和四〇年九月二一日の健康診断時に管理医窪田清に、無理をした場合に両手の指にしびれ感が残ると訴えたが、蒼白発作の発症については訴えがなく、昭和四三年六月二二日の健康診断時に大正営林署の管理医山中正に、寒冷時に自動二輪車で走行中などに、手指に蒼白発作が発症し、中等度のしびれ感があると訴えたが、チェンソーの操作には支障がなく、その使用をやめる意向はない旨を告げ、同医師はその症状がチェンソー使用に起因するものか、素因ないし他の事由によるのか不明であり、症状の程度が全国の基準からすると極く軽微なものとみて、レイノー現象の誘発検査を行わず、またチェンソー使用の作業軽減ないし中止の必要があるとはみなかつた。

3  昭和四三年九月一七日と二八日の健康診断(二八日は精密検診)時に、管理医山中正から両手の冷水浸漬によるレイノー現象誘発検査を受け、浸漬開始後一〇分で、右手に少し蒼白現象が認められ、両手の触覚と痛覚に幾分鈍麻があり、握力は左三二・右二九で、指の関節に異常がなかつたこと、冠不全と糖尿病(左右心室とも肥大、糖二〇〇ミリグラム、赤沈一九)ありとの所見であつたが、チェンソー使用の作業についてはその軽減ないし禁止の所見はなかつた。

4  昭和四四年五月三〇日、高知営林局管理医富岡豊年の精密検診を受け、左手首から先のしびれ感と両環指・小指に蒼白発作が発症すると訴え、レイノー現象の疑があるが他覚的に証明されないので、この点については今後の観察を要すること、尿の糖検査は(+)で糖尿病・冠不全の病歴があるので、振動工具の使用を極力さけるのを可とする所見が出された。

そこで大正営林署は久保谷製品事業所の主任に指示して、同被控訴人に職種替えを勧告したが、賃金が下がることを理由に応じなかつたので、同営林署では同年一一月から同被控訴人へのチェンソー使用作業の割当を従来の半分程度に軽減した。

なお、同年三月末ころ、久保谷製品事業所の掲示板に高齢常用作業員の退職に伴なう特別措置を同年四月から九月までの退職者に実施する旨の通達文書が掲示され、被控訴人岩崎らに松原製品事業所の主任から口頭説明が行われたが、同被控訴人はその退職申込をしなかつた。

5  昭和四四年一一月一二日と一九日に、その左手の第三、五指、右手の第三、四、五指に蒼白発作が発症しているのを久保谷製品事業所の主任山崎己喜男から現認を受け、同年一二月二日の健康診断時に、管理医山中正から冠硬化症と高血圧症があるので、治療を要するとの診断を受け、その際、右肘から先が同年一〇月ころ以降、いたむことがよくあると訴えた。

6  昭和四四年一二月一七日、管理医山中正の診察を受け同月二三日、レイノー現象(合併症として高血圧と糖尿病)の罹患者で振動工具の使用を否とし、直ちに治療開始の必要があると診断された。その際の検査結果は握力が左手三六・右手四〇で、血圧が下一二〇、上二〇〇、糖三〇〇ミリグラム、レントゲン透視で心肥大、肝腫脹が認められた。

7  昭和四五年六月一六日の健康診断で、管理医山中正よりレイノー現象のほか、接触性皮膚炎、糖尿病、多発性神経痛、心肥大、難聴があるので、振動器具の使用を不可として転職を要すると診断された。

8  右レイノー現象治療のため昭和四五年一月から同五〇年五月末ころまでの間は大奈路診療所又は窪川町の古谷病院へ、同五〇年六月以降は窪川町の武田医院へ各通院して投薬、パラフィン浴、電気療法等による治療を受けている。その通院回数は昭和四六年三月までは一か月平均二回、同四六年四月から五〇年五月までの間は一週間に一回の割合、五〇年六月以降は武田医院の休診日以外は殆んど毎日通院している。右振動障害で通院による治療を受けると、昭和四八年四九年当時、一日につき療養補償金約二八〇〇円、休業補償金約一七〇〇円、休業援護金約五〇〇円の合計五〇〇〇円を受領していた。

9  前記1の膝外部打撲傷等での三回の治療及び右8のレイノー現象の治療のほか、左記一覧表記載のとおり昭和四四年七月九日から高血圧症や皮膚炎等で通院や入院による治療を受けた。

被控訴人岩崎松吉の私病とその治療一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

形態

病院等

転帰期日

昭和年月

(診断期間)

区分

1

高血圧症

四肢神経炎

糖尿病

四四・七・九

通院

松原診療所

四五・二

四四・七

四五・一一

継続

2

筋痛症

四四・七・一二

四四・七

3

胃炎

四四・七・二九

4

高血圧症

糖尿病

動脈硬化症

四四・一二・一八

(四五年一月五日)

四五・五

継続

5

中毒性皮膚炎

四五・一・三〇

四五・二

(二三日)

6

皮膚炎

四五・三・三

四五・五

7

重症皮膚炎

糖尿病

動脈硬化症

四五・三・九

(二三日)

8

胃炎

四五・五・八

四五・五

継続

9

接触皮膚炎

四五・六・一七

入院

高知市立病院

四五・七・三一

治癒

10

四五・八・六

四五・一一・一

退院

11

接触性皮膚炎

高血圧症

四五・一一・一二

通院

松原診療所

四五・一一

継続

12

顔面頸部接触性皮膚炎

動脈硬化性高血圧症

糖尿病

四六・三・六

古谷病院

四八・一二

13

冠動脈硬化症

五〇・六・二

武田医院

五一・七

14

慢性気管支炎

五〇・九・一九

15

急性湿疹(両手前腕、手背)

五一・五・二一

五一・一一

16

糖尿病

五一・一一・一一

17

急性湿疹(両前腕)

五二・七・二二

五二・一〇

治癒

18

ストロフルス

五三・八・九

五三・九

19

急性湿疹(両前腕)

五三・九・四

20

高血圧症

動脈硬化

五四・三・一二

五四・九

継続

21

日光皮膚炎(両前腕)

五四・七・九

五四・八

22

擦過創(両手背、下腿、足)

挫傷(左膝)

五五・五・二九

五五・七

治癒

23

高血圧症

動脈硬化

五五・一一・六

五五・一一

継続

10  右9の一覧表中番号11の高血圧、接触性皮膚炎のため営林署を休んで治療中であつた昭和四五年一一月、久保谷製品事業所の主任を介して、接触性皮膚炎が難病で山林労働など直射日光にあたると症状が悪化すると医者からいわれ、伐木造材手から職種替えすると退職金額が伐木造材手の場合と比較して減収になるので、この際、任意退職したいと申込み、同年一二月七日付で退職し、そのころ退職金一七八万五一四五円を受領した。退職当時ころ同被控訴人の月給は約四万五〇〇〇円であつた。

11  営林署を退職した昭和四五年一二月以降、冬期は前記病院等へ治療のため通院するほかは外出は稀れで自宅で過ごし、それ以外の春、夏、秋期で体の調子がよいときに自家の畑一畝を耕して野菜類を栽培したり、盆栽作りをしている。晩酌は一合、煙草は一日に一〇本を常用している。

以上のとおり認められる。

被控訴人岩崎は原審当審で、昭和四四年五月三〇日から数回にわたり管理医や営林署から伐木造手の作業をやめ職種替するよう勧告されたのは振動病のためであると供述し、管理医からチェンソー使用の作業を極力避けるべきであるとの所見やその使用を不可とする診断が下されたことは前記4、6で認定したとおりであるが、管理医が被控訴人岩崎にチェンソーの使用をやめるよう勧めた理由は振動障害が重症であるからではなく糖尿病や高血圧ないし皮膚炎に対する配慮のためであることが管理医の所見や診断書の記載から看取できるし、また同被控訴人が昭和四五年一月以降営林署を退職するまでの一一か月余の期間を殆んど休業したのもレイノー現象よりも糖尿病、高血圧や皮膚炎の治療のためであつたことが認められるので、同被控訴人の右供述は採用できない。さらに同被控訴人は原審における本人尋問で、営林署を退職した直接原因は皮膚炎に罹患し屋外での作業をできなかつたためで、この皮膚炎は同被控訴人がチェンソー整備のため分解した部品をガソリン等で洗浄し、そのガソリンに含まれる重金属が手の皮膚から浸透して肝臓の機能障害を起したために発症したので、チェンソー使用の作業に起因する旨供述し、甲鑑定の結果中には右供述と付合するところがあるが、肝障害の原因がガソリン中の重金属であるとする点には裏付けがないし、成立に争いがない乙一五三号証の一、二と比較しかつ被控訴人岩崎以外に斯様な症状を訴えている人がいないので被控訴人の右供述及び甲鑑定は採用し難い。

その他、<証拠>中、一部ずつ前記認定と牴触する部分は爾余の前記証拠と比較して採用できない。

二<証拠>を総合すると、被控訴人岩崎は昭和四八年一一月二一日と翌四九年一二月四日の二回、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センターで、五島正規医師の診察を受けたが、自覚症状として一回目は、手指の蒼白発作が昭和四二年一一月ころから発症し、右腕と両手指にしびれがあり、両側の肩・腕・肘と両手の指に疼痛があり、耳鳴り・眩暈・発汗亢進・書字障害・胸部絞扼感があると訴え、二回目には蒼白発作は昭和四九年の夏期には発症しなかつたが、手指の筋のけいれんがあり、昭和四九年二月以降、性交不能であることのほかは一回目と同じ症状を訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良(一、二回とも)、筋力が一、二回のときとも低下しており、レントゲン写真の所見として、一回目には頸椎軟部組織の石灰化があり、生理的湾曲は減少している、二回目には両肘関節に著明な骨の増殖変化があるとの各所見を、心電図所見は一、二回とも冠不全であり、総合判定は一回目のときが、振動病進行段階の四期にあたり、障害は全身的に進行しているが、専門的な治療方法を相当長期実施すれば、症状はなかり改善できるというのであり、二回目のときは進行段階に変化がなく末梢循環障害悪化を認めるというものであつたことが認められ、当審における甲鑑定の結果は右診断所見に副うものであるが、五島医師の所見の基礎であるチェンソー使用による振動障害の病態、進行段階、症状区分が正確でないことは前記第八、二で説示したとおりであること、被控訴人岩崎は五島医師からの右一、二回の受診の前後を通じ、昭和五〇年五月まで、昭和四八・四九年当時、振動障害(レイノー現象)で通院治療を受けると、前記一、8、末尾説示のとおり合計約五〇〇〇円の補償金が得られることを知りながら、古谷病院または大奈路診療所で週一回の割合による通院治療を受けたにとどまり、他の専門的な医療期間で診療を受けた形跡がないこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島正規医師の右診断所見は採用できない。

三右一、二で認定した被控訴人岩崎の健康状態、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>を総合すると、被控訴人岩崎の振動障害は両手指の末梢循環障害で、レイノー現象と手のしびれ等であるが、その程度は発症以降、軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害はないこと、この障害により継続的(冬期など)あるいは断続した不快感が伴うこと、昭和五六年当時における同被控訴人の疾病には、右の末梢循環障害のほか、パーキンソン病、末梢神経障害、肝障害、糖尿病、高血圧症、脳梗塞、心電図上の虚血性変化、動脈の硬化、頸椎症、ヘバーデン結節、難聴があるがその程度は肝障害と動脈硬化症が軽度ないし中等度であるほかは、すべて軽度であること、これらの疾病は加令とか私症病によるものと推認され、チェンソー使用を含む被控訴人岩崎の営林署在職中の労働に起因するとみられるものはないことが認められ、<証拠>中、右認定と牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。

よつて被控訴人岩崎指摘の諸疾病が同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであることを前提として控訴人の債務不履行を問う被控訴人岩崎松吉の主張は理由がない。

第一一  被控訴人山中鹿之助関係

一別紙第一、番号4の被控訴人山中に関する記載事項については当事者間に争いがなく、同被控訴人がレイノー現象の認定を受けるまでの経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると前記理由第三の二、(二)、2、5、三、18、第六の一、二、1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  被控訴人山中鹿之助は、昭和二四年四月に高知営林局小川営林署寺川製品事業所に伐木造材手として就職し、昭和二八年四月から三七年一一月までの間は同署手箱山製品事業所に、昭和三七年一二月から退職した四四年九月三〇日までの間は同署寺川製品事業所に各配置され、昭和三五年一〇月にチェンソー使用による伐木造材作業を始め、昭和四一年三月ころまでは月平均約一九日出勤し(但し、昭和三六年に両足のロイマチ等で七か月、翌三七年に一か月休業した)、その間、二人一組でチェンソー使用の作業に従事し、同被控訴人のチェンソー操作時間は一日につき約三時間であつた。

作業現場は標高が一〇五メートル前後(手箱山)と九五〇メートル前後(寺川山)で、冬期の最低気温が零下七度であつた。土佐郡本川村越裏門の自宅から自動二輪車で製品事業所の集合解散場所まで通勤した(所要時間約一五分)。使用したチェンソーは、使用当初から昭和三八年六月ころまでがマッカラー一―七〇型で、燃料満載時の重量が約一一キログラム、振動約一〇G、騒音約一一〇ホンであつたが、その後、マッカラー一の七一型、同一の七四型に替わり、重量が幾分軽くなり、昭和四〇年末ころ以降、振動約三Gのもの(防振ハンドルつき)になつていた。昭和四一年四月一日から夜に不眠が続くなどの理由で同月六日、本川村国保診療所で管理医佐々木知良から診療を受け、昭和四九年一一月左手小指末梢に、同四〇年二月に左手の小指全体に蒼白発作が発症し、昭和四〇年三月二〇日ころから左手首から指先までにしびれと痛みがあるようになつたと訴え、検査結果では手指の運動障害、知覚(触・痛覚)異常は認められなかつた。しかし上肢等にしびれや痛みを訴えた。そこで同月、高知営林局の紹介で徳島大学医学部公衆衛生学教室の鈴木幸夫教授と同医学部附属病院整形外科医師松森茂の各診断を受けたところ、鈴木教授の検査結果では手指の知覚神経に幾らか鈍麻があると思われるほか、異常がないとの所見であり、また松森医師の所見は、握力が左二九キログラム・右四〇キログラムで、左上肢のほぼ全域に知覚(触覚)鈍麻があり、指先部に至るほどその鈍麻の程度が大きいこと、レントゲン検査によると第三と第四頸椎間と第五と第六の頸椎間がかなり狭少化し、第三頸椎体に中等度の変形像が認められ、頸椎骨軟骨症が発症していること、左上肢のしびれ感は右症病によるものとみられ、保存的療法を主体とする加療が必要であるとの診断があり、これらの所見は同月三〇日付で、高知営林局へ報告された。昭和四一年五月ころに実施された第一回目の特別健康診断で、昭和四九年一一月から翌四〇年二月までに手指に蒼白発作が三回発症したと訴え、上腕緊縛と両手の冷水浸漬方法によるレイノー現象誘発検査を受けたが発症がなかつた。管理医佐々木知良より昭和四一年七月二八日付の診断書で、頸椎骨軟骨症のほかレイノー現象を伴なう左手の持続性鈍痛としびれ感があること右鈍痛としびれ感はチェンソー使用による振動に起因するものと推論される、今後振動工具使用の作業に従事するのは適切でないとの所見を示され同年七月三〇日まで営林署の作業を休業した。

2  高知営林局は昭和四一年八月、林野庁へ前記の診断書、報告書を添付し被控訴人山中の振動障害認定を人事院と協議するよう上申し、林野庁は右認定の協議を行つたが認定を受けたのは、人事院規則一六―〇、一〇条別表第一改定後の昭和四二年二月二七日であつた。

3  小川営林署は昭和四一年八月、管理医佐々木知良の前記の所見にしたがい、被控訴人山中にチェンソーを使用しない職種へ替わるようすすめたが、同被控訴人が賃金が減ることを理由に承諾しなかつたので、同営林署は同年八月から昭和四三年六月までの間、一週間に二時間か三時間程度だけチェンソー使用の作業を割当て、他の時間はチェンソーを使用しない作業に従事させることとし、振動障害の抑止に配慮した。

4  被控訴人山中は昭和四三年七月一〇日の健康診断時に、両手先にしびれ感があることと左前腕に鈍痛があること及び左の第三、四、五指に蒼白発作が発症することを訴えたが管理医佐々木知良による運動器と神経系の検査結果はいずれも正常であるとされ、その総合所見は定期的に医師の観察を必要とするが、平常の生活でよいとの診断であつた。さらに同被控訴人は同年一一月二六日の健康診断時には右肘のしびれ感と左の第三、五指にレイノー現象の発症を訴え、両手の冷水浸漬によるレイノー現象誘発検査を受けたところ、蒼白発作がおこつた。翌四四年七月一日の健康診断時には左肘の痛みと左第三、四、五指、右第三指にレイノー現象の発症があることを訴えた。これらの両度の診断時の前記管理医による運動器と神経系の検査結果及び総合所見は四三年七月一〇日のそれと同じであつた。小川営林署は右の管理医の所見にしたがい、昭和四三年七月から被控訴人山中に、一日につき二時間チェンソー使用の伐木造作業を割当て、他の勤務時間はチェンソーを使用しない作業に従事させた。

5  被控訴人山中は昭和四一年四月六日から同年七月三〇日まで(通院日数二三日)と翌四二年一月一一日から同年三月一日まで(通院日数九日)の期間、本川村国保診療所に通算三二日通院してレイノー現象の治療として飲み薬の給付と注射を受け後記8の一覧表番号5の高血圧症と萎縮性胃炎のため昭和四三年一〇月後半から営林署の勤務を休むことが多くなつていたところ、翌四四年一月四日、前記診療所でレイノー現象の治療と一緒に受け、同日以降営林署を休み、同月九日、右診療所の管理医佐々木知良に、同年初めから左手のしびれ感と鈍痛が持続し、手指の蒼白発作が頻発するようになつたが、自宅から最寄の右診療所までは一三キロメートル離れており、一日一往復のバスの便も積雪のため断絶しているので通院治療が困難であると訴えた。同医師の検査結果の所見では、全身にも局所的にも有意な他覚的変化はなく上肢に自覚的なしびれ感と鈍痛があるというだけであつたが、大事をとつて一応休業と入院による加療を可とするとの診断がなされ、この旨を小川営林署へ連絡し、同被控訴人は同日、右診療所へ入院した。小川営林署は同月一一日、高知営林局へ上申して被控訴人山中のレイノー現象治療のための右入院と休業につき承認を得た。同被控訴人は同年四月一日まで入院を続け、右期間中、レイノー現象のほか、萎縮性胃炎と高血圧症の治療を受けた。

6  被控訴人山中は昭和四四年四月二日以降、小川営林署寺川製品事業所で再び伐木造材の作業(但し、チェンソー使用作業は一日につき二時間)に従事した。同年三月末ころ、寺川製品事業所の掲示板に高齢常用作業員の退職に伴なう特別措置に関する通達文書が掲示され、同年七月一日、小川営林署の事業課長宗石幸吉が被控訴人山中と面接して右退職に関する特別措置の実施と退職を勧奨したところ、同被控訴人はその勧奨にしたがい同年九月末日で退職すると告げ、退職後翌四五年三月まで同営林署の林道修理人夫として臨時雇用してもらいたいと申入れ、右事業課長の内諾を得た。同被控訴人は同年九月末日、前記特別措置の適用を受けて退職し、そのころ退職金一三六万〇八〇〇円を受領した。この金額は特別措置の適用がない任意退職の場合と比較し、二倍までは達しないが、相当割高のものであつた。

右退職当時における同被控訴人の月給は約四万円であつた。

7  被控訴人山中は昭和四四年四月二日から同四八年一二月一七日までの四年八か月余の期間は振動障害(レイノー現象)の治療を全く受けず、昭和四八年一二月一八日から連続して三日間、その後の昭和四九年二月一三日から同五〇年九月一六日までの間は通算六日、同五〇年九月二七日から五四年六月までの期間は、一週間に四日程度の割合で本川村国保診療所へ通院して、投薬、パラフィン浴、電気療法等の治療を受け、昭和五四年七月四国勤労病院へ入院して以降は、同病院で連日(翌五五年一月以降は膀胱炎・慢性肝炎等の治療と併行して)、本川村国保診療所の場合と同様な方法による振動障害の治療を受けている。同被控訴人は煙草好きであるが、昭和五五年ころには医師の勧告を受けて節煙し、一日一五本程度の喫煙にとどめている。また昭和四八年四九年当時、振動病で通院すると、一日につき、療養補償金九六〇円、休業補償金一五九〇円、休業援護金約七〇〇円の合計二二五〇円を受領していた。

8  被控訴人山中は振動障害(レイノー現象)の治療のほか、左記の一覧表記載のとおり営林署に在職中の昭和四六年七月から現在まで両足ロイマチその他の疾病で、診療所や病院等で通院又は入院による治療を受けている。

被控訴人山中鹿之助の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

形態

病院等

転帰期日

昭和年月

区分

1

両足ロイマチ

三六・七

通院

本川村国保診療所

三六・一〇

2

高血圧症

四三・一・二二

四三・一

継続

3

萎縮性胃炎

四三・一〇・一六

四四・一

4

変形性頸椎症

四四・一・一〇

5

高血圧症

慢性胃炎

四四・七・二二

野町胃腸内科医院

四四・一〇

6

高血圧症

四八・八・二九

本川村国保診療所

五四・七

7

冠不全

四八・一〇・二一

五四・七

8

腰痛症

五三・五・二四

9

胃炎

五三・一〇・一八

五四・五

10

膀胱炎

五五・一・二二

入院

四国勤労病院

五五・三

11

糖尿病の疑い

五五・四・七

五五・四

12

慢性肝炎

五五・七・一

五五・七

9  被控訴人山中は営林署を退職後の昭和四四年一〇月から翌四五年三月までに、小川営林署の林道補修工事の臨時人夫として通算約一四日、稼働したほかは、働きに出ることなく、冬期は殆んど自宅で過ごし、昭和五四年七月に四国勤労病院へ入院するまで、春夏秋の身体の調子のよいときに、自家の畑約二反を妻とともに耕作し、野菜や芋等を栽培していたが、鍬を使つて、固い土を起している際などには手がしびれて鍬を手から落すことがあつた。

以上のとおり認められる。

被控訴人山中は甲八三号証や原審当審における本人尋問で、営林署を退職するより一年前の昭和四三年一〇月ころから、作業中に手がひどくしびれたり痛むことが多くなり、握つていた斧や鉈が握力減衰のため外れて付近へ飛ぶことも一再ならずおこり、そのような仕事をやめないと死んでしまうと思い退職した。昭和四四年四月二日以降、四年余り振動病の治療を受けなかつたのはそれまで本川村診療所で治療を受けてきたが効果がなかつたので、自力で治すほかないと思い受診しなかつた旨供述しているが、昭和四三年末ころも同被控訴人の頸椎骨軟骨症が発症して上肢等にしびれや疼痛があつたとしても、同被控訴人は昭和四二年三月一日から同四四年一月四日までの間は、振動障害や頸椎骨軟骨症を含め整形外科的治療を要する疾患で治療機関の治療を全く受けていないこと、昭和四三年一一月二六日、同四四年一月八日、同年七月一日付の佐々木知良管理医による各診察所見(乙一二一号証の一、乙一二二号証)によつて認められる被控訴人山中の運動器、神経系についての他覚的所見等にかんがみ、同被控訴人が営林署での作業に支障がある程の症状が発症していたとは思えないし、また同被控訴人が営林署を退職したのは六三才時で、寺川製品事業所の同僚中最高令者であつたことは同被控訴人の自認するところであるし、退職前後にかけて前記8の一覧表番号5の内科疾患で高知市の野町医院へ通院していたのであるから、その際などにも振動障害の治療を専門機関で受ける機会はあつたのに受診していないことにかんがみ、被控訴人山中の右供述は退職を決意するに至つた理由に関する点を含めて、採用し難い。

二前記一、7、8の事実及び<証拠>を総合すると、被控訴人山中は昭和四八年一二月一九日と翌四九年一二月五日の二回、高知県立宿毛病院幡西地域保健医療センターの医師五島正規から振動障害の診断を受け、さらに昭和五四年七月以降、四国勤労病院へ入院して右医師による振動障害の治療を受けて現在に至り、その間の昭和五八年七月六日付で同医師の診断所見が出されていること(右昭和四八年一二月一九日の診断を第一回、翌四九年一二月五日のそれを第二回、最後の昭和五八年七月一日付の診断を第三回という。)、被控訴人山中は、自覚症状として第一回の受診時には昭和三九年冬から四六年まで手指の蒼白発作が発症し、手にしびれと疼痛、夜間に耳鳴りがあり、発汗亢進・書字障害があると訴え、第二回の受診時には手指の蒼白発作が昭和四九年八月から受診時までに数回発症し、眩暈があり、昭和四四年ころ以降夫婦関係がないと訴えたほかは、第一回と同じ自覚症状を訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良(一ないし三回目とも)のほか、筋力が第一回目はほぼ正常とあつたのが、第二回目には両手とも低下を認めるとあり、視触診で、左肘関節・左第五指と右第三・五指関節変形(第一回目)、右肘関節変形(第二回目)、左上腕二頭筋萎縮(第一回目)、左上腕筋群・右拇指球筋の各筋萎縮(第二回目)が認められ、レントゲン写真所見では第三・四・五頸椎の湾形強度(第一、二回)第六頸椎の湾形著明、第三ないし六頸椎の椎間狭少(第二回)とされ、心電図上の所見で冠不全(第二回)とされ、総合判定は第一回目が振動病の進行段階基準三期で、全体的にやや回復傾向が認められるも、末梢神経鈍麻、末梢循環不全を認めるとされ、第二回目は進行段階基準に変動なく、老令と冠不全も加わり症状は悪化し、中等又は重度の治療を施す必要があるとされたこと、第三回目の診断では疾病の進行段階基準が四期にあたり、末梢循環障害が著しく、胸部圧迫感・上肢関節運動時痛と運動制限があり、入院による重度の治療を継続する必要があるとされていることが認められ、当審における甲鑑定の結果は五島医師の右診断所見に副うている。

しかし、五島医師が右診断所見の基礎としている振動障害の病態、進行段階、症状区分が採用できないことは前記第八、二で説示したとおりであるほか、被控訴人山中は振動障害の認定通知を受けた昭和四二年三月四日から同五〇年九月中旬までの八年六か月間は本川村国保診療所で断続的に通算九二日(そのうち八二日は昭和四四年一月から四月一日までの入院による治療、その余は通院)の治療を受けたにとどまり、営林署退職より六か月前から退職日より四年二か月後の昭和四八年一二月までの四年八か月間は全く治療を受けたことがなく、昭和四八年四九年当時、通院による治療を受ければ一日につき合計約二二五〇円の補償金等が得られることを知りながら、昭和五〇年九月まで、他の専門医療機関で治療を受けたことがないこと、昭和四八年一二月は被控訴人山中の六七才時、同五八年七月は七七才時で五島医師の指摘する障害症状の中には、老化に伴うものがあるとみても不合理ではないこと、さらには<証拠>及び当審及びこれに副う甲鑑定の結果を採用することはできない。

三右一、二で認定した被控訴人山中の健康状況、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>を総合すると、被控訴人山中の振動障害は、手指の末梢循環障害と末梢神経障害で、レイノー現象と手のしびれ等の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害はなく、その発症時に継続的(冬期など)あるいは断続的に不快感が伴なうものであること、昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は右の末梢循環障害と末梢神経障害のほか、頸椎症・両膝関節症・糖尿病・脳梗塞(以上いずれも軽度)、両指拘縮(左は軽度、右は中等度)、白内障(中等度)、心電図における虚血性変化があるが、右疾病はチェンソー使用を含む被控訴人山中の営林署在職中の労働に起因するものではないことが認められ、<反証排斥略>、他に右認定を覆えし、被控訴人山中指摘の疾病が同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として控訴人の債務不履行があるとの被控訴人山中鹿之助の主張は理由がない。

第一二  被控訴人下元一作関係

一別表第一、番号5の被控訴人下元に関する記載事項については当事者間に争いがなく、同被控訴人が右のレイノー現象の認定を受けたほか、人事院から昭和四四年三月七日、チェンソー使用に起因する公務上の疾病災害として多発性神経炎(発症日昭和四〇年四月五日)があるとの認定を受けたことは前記理由第一で判断したとおりであり、同被控訴人が右各振動障害の認定を受けた経緯と高知営林局を退職した経緯等をみると、前記理由第二、二、(二)、2、5、三、16、18、第六、一、二の1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人下元一作は

1  昭和二七年八月二日、高知営林局松山営林署小田製品事業所の製炭手として就職し(同二九年四月以降常用作業員)、同二九年五月伐木造材手に職種替えとなり、同三四年五月、右事業所にチェンソーが導入されると同時にチェンソー使用による伐木造材作業に従事するようになり、昭和四〇年三月までの間(但し、昭和三五年九月から同三八年七月までの間に、前腹部等打撲傷、左眼角膜潰傷、神経等皮膚炎、左前腕部裂創の各疾患で前後四回合計八二日休業)、一か月平均約一九日(但し、毎年一、二月は作業現場が積雪のため作業日数が平均七日程度に減少している。)出勤し、二人一組でチェンソーを交替で使用し、同被控訴人のチェンソー操作時間は一日につき約二時間であつた。

右作業現場は標高約八五〇メートルで、冬期の最低気温が零下7.6度であつた。愛媛県上浮穴郡小田町中川小田深山にある営林署の宿舎に居住し、集合解散場所まで自動二輪車で通勤していた(所要時間約二〇分)。使用したチェンソーの機種はマッカラー四四型で燃料満載時の重量が約一一キログラム、振動は昭和四〇年秋ころまで約一〇G、同年冬期ころ以降は振動ハンドルがついて約三Gとなつた。騒音は約一一〇ホンであつた。

2  昭和三八年一一月すぎころから自動二輪車で出勤途中など体が急に冷えた場合に時折、両手の拇指以外の二ないし五指に(最初は左右の第二、四指の末節に、その後、その余の右指部に)蒼白発作としびれ、痛みが発症するようになり、翌三九年四月ころから、小田製品事業所の橋本四四男主任に時折、手がしびれる旨を訴えた。同主任は訴えを受けた都度、小田深山へき地診療所(看護婦が常駐し、管理医河野通夫が週一回出張してきて診療していた。)に連絡したが、診療所から受診の要否やチェンソー使用の右症状に対する影響の有無につき何らの所見や助言がなかつたし、同被控訴人が受診しようとしたこともなかつた。

3  昭和四〇年三月中旬すぎ、自宅で眩暈がして倒れたが直ぐには医者へ行かなかつたところ、同年三月二六日、NHKのテレビで白ろう病と題する番組をみて、その白ろう病が自分の手指に発症している蒼白発作等の症状と同じものであることから、眩暈で倒れたのもこの疾患のためでないかと考え、右テレビ番組で知つた名古屋大学医学部公衆衛生学教室山田信也の診断を得るため同医学部附属病院で同年四月五日初診、翌六日から五月二五日まで入院による診療を受けたところ、同医学部附属病院日比野内科で心気症、メニエル症候群、糖尿網膜症の診断と治療を、山田信也からは振動障害の検査診断を受け、同年四月一六日の検査時に、摂氏一〇度の人工気候室に被控訴人下元が平服着用で入室してから約一時間後に、左右第二指に、約一時間半後に左の第四指に各白ろう様の変化が右各指の基節から先端にかけて発生し、山田信也は同被控訴人の右レイノー現象のほか神経性難聴及び多発性神経炎中の一症状である感覚鈍麻がチェンソー使用に起因して発症したものであるとの所見を出し(甲三号証の五の一三)アリナミン等の服用と筋注射等の治療を行い、症状の改善がみられたが、摂氏一〇度の冷気内で手指にレイノー現象が誘発されることには変化がなかつた。なお、同附属病院整形外科の杉浦講師による被控訴人下元のレントゲン像による所見は、両側上腕骨の骨車部に軽度の骨の変形が認められ、振動の影響を否定できないというものであつた。その他の他覚的所見は、両上肢、前腕、腰から下部全体にかけて鈍い感じがあり、末端ほど強く、腱反射はアキレス腱にやや弱い時がみられるほか異常なく、筋力正常、筋萎縮なく、握力右二六キログラム、左二七キログラム、心電図で左室肥大、レントゲン写真では前記両上腕骨の滑車に軽度の変形があるほか、四肢、手指、頸椎に異常を認めなかつた。同年五月二五日に右名古屋大学附属病院を退院したが、同日付の飯田光男医師の診断書によると、レイノー氏症候群、多発性神経炎により引き続き約一か月の休養加療を要するとされていた。

4  名大病院を退院して前記小田町中川小田深山にある宿舎に帰り同四〇年八月末まで営林署を欠勤し、おもに地元の小田深山へき地診療所に通院するほか月に一、二回程度、久万町立病院へ通院して、名大医学部の処方箋を参考にした血管拡張剤、鎮静剤、ビタミン剤等により治療を受けた。

5  昭和四一年五月一三日林野庁より被控訴人下元のレイノー現象は公務上の疾患によるものとの認定を受けた。これは昭和四〇年七月ころ高知営林局が林野庁に対し、被控訴人下元のレイノー症候についての公務上の認定方を前記3の山田信也の所見意見書等を添付して上申し、林野庁は人事院と協議して行われたものであつた。

6  松山営林署を休んで通院治療していた昭和四〇年七、八月ころ、小田製品事業所の橋本四四男主任に、同営林署が管理している「まさご谷」の川石の払下許可が得られるのであれば、営林署を退職して造園業を始めたいので、右払下許可の可否を営林署へ打診してほしいと依頼したため橋木主任が営林署へ打診したが、そのころ小田深山国有林で盗石事件が発生したこと及び自然保護等の視点から払下許可の見込みがないことが判明したので、退職を飜意した。

7  昭和四〇年九月から出勤を始めるにあたり、医師の勧告にしたがい、チェンソーを使用しない集材手の作業に職種替えを希望し、松山営林署はこれを容れて同年九月から退職した翌四一年四月まで、小田製品事業所の伐木造材現場から、伐倒造材された原木をトラックの積込場まで集材する作業に従事した。

この職種替えにより、同被控訴人の賃金は従前の伐木造材手のそれと比較して、約一割の減収になつた。

8  昭和四〇年九月から一月平均一五日出勤し、翌四一年二月に通算三日、久万町立病院へ通院による治療を受けたほかは、地元の小田深山へき地診療所に通院して血管拡張剤等前記4と同様な治療を受けたが、寒冷地での作業を続けると症状が悪化するのでないかとの不安を抱き、同四一年四月二六日、営林署を退職し、そのころ退職金二八万四六二〇円を受領し、愛媛県上浮穴郡久万町大字久万福井町で寿司屋を開業した。右退職当時、同被控訴人の月収は約二万五〇〇〇円であつた。

9  右寿司屋では寿司作りその他の料理を含む厨丁の仕事一切を行い、妻には出前等を長女に給仕等を手伝わせ、久万町内に同業者がないこともあつて繁盛したが、間もなく長女が他所へ嫁ぎ、昭和四一年八月に左官をしていた次男が交通事故で負傷して入院(翌四二年二月死亡)し、妻がその付添看護のため寿司店を手伝えなくなり、さらに医者からレイノー現象には冷水を使う仕事を避けるようにとの勧告もあつたので、翌四二年五月、寿司屋業をやめ、同月二七日に高知市朝倉の現住所に転居し、以降昭和五〇年ころまで造園左官業を妻と被傭人(職人)一人に手伝わせて行つたが、その後、仕事が減つたため廃業し、昭和五二年ころまで日雇人夫として働き、そのころ普通自動車の運転免許を取得した。

その後の昭和五四年四月から同五八年二月二八日まで振動障害や慢性胃炎治療のため断続的に四国勤労病院へ入院し、昭和五八年二月二八日に退院後は働きに出ていない。右入院中の昭和五五年末ころには病院から帰宅した際等に普通乗用車を時折運転した。酒は一日平均二合を飲み喫煙は一日平均一〇本である。

10  営林署を退職後、久万町に在住中の昭和四一年五月から翌四二年五月までは、レイノー現象の治療のため町立久万病院または宇都宮病院へ一か月に平均五回程度通院して前記3と同様な内服薬や注射による治療を受け、高知市朝倉へ転居後は、昭和五五年九月に四国勤労病院(院長五島正規)へ入院するまでは、平田病院、宮本病院、高知県立中央病院、朝倉病院、上町クリニック、四国勤労病院(昭和五四年五月以降)等に通院して前記と同じ医療のほか、パラフィン浴、電気療法等の治療を受けた。その通院回数は昭和四二、四三年が月三回程度、同四四年から四九年までが月二回程度、五〇年より五二年八月までが月三回程度、五二年九月から五五年九月の入院までは殆んど毎日であり、昭和五七年八月に退院し、その退院から翌五八年一月五日に再び同病院へ入院するまでは同病院へ毎日通院し、五八年二月二八日に退院後は右病院へ一週間に三回通院している。昭和四八、四九年当時、レイノー現象、多発性神経炎で通院による治療を受けると、一日につき療養補償金約五六〇〇円、休業補償金約一七〇〇円、休業援護金約五六〇円の合計七八六〇円を受領していた。

11  前記1、3、4、8、9の説示の前腹部等打撲傷、心気症等と振動障害(レイノー現象と多発性神経炎)で治療を受けたほか、左記一覧表記載のとおり、昭和四三年七月九日から腰推分離症その他の疾病で通院または入院による治療を受けた。

被控訴人下元一作の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

治療開始期間

昭和年月日

形態

病院等

転帰期日

昭和年月日

区分

1

腰椎分離症(両腰神経痛)

四三・七・九

通院

宮本病院

四三・七

継続

2

両肩神経痛

四三・七・一一

3

糖尿病

四九・五・二八

四九・七

4

右坐骨神経痛

四九・七・二三

5

胃炎

五二・一・三一

入院

朝倉病院

五三・一・三一

入院

6

慢性胃炎

五四・一一・六

四国勤労病院

五四・一一

7

右肩関節ねん挫

外傷性関節炎

五四・一二・三一

通院

愛宕病院

五五・一

継続

8

高血圧症

右肩上肢神経痛

五五・六・一二

朝倉病院

五五・八

9

咽候頭炎

五五・一〇・二三

入院

四国勤労病院

五五・一一

入院

以上のとおり認められる。被控訴人下元は、甲八四号証および原審当審における本人尋問で、昭和四〇年九月から集材手の作業中、手で鉈を振つて雑木等を切り払つている際に、手がしびれて鉈が手から外れて飛ぶことが再再あり、その鉈で事故がおこる危険があり不安であつたこと、集材作業は若い作業員との共同で行うため同被控訴人の作業が遅れて他の作業員に迷惑をかけることになるので、営林署を退職したと供述しているが、同四〇年四月五日に名古屋大学医学部で受診時の検査結果では握力低下は認められなかつたし、翌四一年五月に営林署を退職後は一年間寿司屋営業で包丁を常時使用したし、その後の一〇年余の間は造園左官業を続け、同被控訴人が六一歳時の昭和五二年に普通自動車の運転免許を取得して昭和五五年ころにもなお普通乗用車の運転を時折行つていたことに徴して、また原審当審証人橋本四四男の証言と比較して、被控訴人下元の右供述は採用できない。

その他、<証拠>中、前記認定事実と一部ずつ抵触するところは爾余の前記証拠と比較して措信し難い。

二<証拠>を総合すると、被控訴人下元は昭和四八年一一月二一日と翌四九年一二月六日の二回、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センターの医師五島正規に振動障害の診断を受け、また前記一、9説示のとおり昭和五四年四月以降、通院または入院による治療を受けている四国勤労病院の右五島医師から昭和五八年七月六日付で検診所見が出されている(以下、右昭和四八年一一月二一日の分を第一回の受診、翌四九年一二月六日の分を第二回の受診、五八年七月六日付の分を第三回の受診という。)こと、被控訴人下元は自覚症状として、第一回の受診時に、両手の蒼白発作が昭和三七年の冬期以降発症し、両手とその手指にしびれがあり、頭部より両肩・両腕・両手とその指に痛みがあり、発汗亢進・書字障害・胸部絞扼感があると訴え、二回目の受診時には、昭和四九年の冬期には蒼白発作がなかつたが同年の梅雨期に左第二ないし第五指に一度、蒼白発作が発症し、左手のしびれが特に強くなり、両手指のひきつけと足首の疼痛が加わり、昭和三七年から左耳に耳鳴りがあり、昭和四九年ころから性欲が減退したと訴えたほかは第一回と同様な自覚症状を訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良(一ないし三回とも)のほか、左上腕群・小指球筋の各萎縮(第二回目)、筋力の著明低下(第一回目)、レントゲン写真で第六頸椎の骨棘があり(第一回目)、左右の耳の聴力の損失がある(第一回目)とし、総合判定として、振動病の進行段階基準四期にあたり、障害は全身に及んでいるが、温泉・物理療法や機能回復訓練により相当の改善が期待できるとされ、第二回目は、進行段階の基準に変更はなく、レイノー現象の発症回数は減少しているが、検査所見では症状の悪化が認められ、中等または重度の専門的医療を施す必要があるとされ、第三回目の所見は振動病の進行段階三期にあたり、レイノー現象と筋けいれんは消失しているが、末梢循環障害・知覚神経鈍麻・自律神経失調症状が強く、神経症的傾向があり、中等または重度の医療を施す必要があるとされていることが認められ、当審における甲鑑定の鑑定は五島医師の右所見に副うている。

しかし、五島正規の右検診治療所見の基礎であるチェンソー使用による振動障害の病態、進行段階、症状区分が採用できないことは前記理由第八、二で説示したとおりであること、被控訴人がチェンソーの使用をやめた昭和四〇年四月から右第一回の受診時までに八年八か月が経過し、その前後を通じて昭和五二年まで一二年間稼働を続け、昭和四八、四九年当時、振動障害で通院による治療を受けると一日につき七八〇〇円余の補償金が得られることを知りながら、昭和五二年八月まで一か月に二回ないし三回の通院治療を受けたにとどまり、昭和五二年ころには手や指に重い機能障害があれば取得困難な普通自動車の運転免許を取得していること、昭和四八年一二月は被控訴人下元の五八歳時で五島正規医師が指摘する疾病障害中には老化に伴なうものとみて不合理でないものがあること、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島医師の右所見及び甲鑑定の結果は採用できない。

三前記一、二で認定した被控訴人下元の健康状態、疾病とその治療関係、稼働状況及び前記理由第五で説示したとおりのチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>を総合すると、被控訴人下元の振動障害は両手の末梢循環障害と多発性神経炎であるが、その程度は発症以降いずれも軽度で、そのうちの多発性神経炎は昭和四五年ころ以降殆んど発症がなく、また末梢循環障害のレイノー現象は昭和五〇年ころ以降、発症がなく、労働能力の点を含めて日常生活の機能に格別の障害をきたさないものであるが、それが発症した場合には幾分の不快感等があるものであること、昭和五六年当時、同被控訴人は右末梢循環障害のほか、右肩板損傷を主とした肩関節周囲炎(中等度)、右肘関節症(中等度)、頸椎椎間板症、指関節症・高血圧症・難聴・末梢性ニューロパシー(以上、いずれも軽度)・心電図における軽度の虚血性変化・異常運動発作(過換気症候群)・老人性白内障があることが認められるが、末梢循環障害以外のこれらの疾病はチェンソー使用を含めて、同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであると認めることはできず、<証拠>及び当審における甲鑑定の結果中、右認定と抵触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定判断を覆えし、被控訴人下元指摘の症病疾患が同被控訴人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として控訴人の債務不履行があるとの被控訴人下元の主張は理由がない。

第一三 亡安井計佐治の訴訟承継者被控訴人安井徳恵、同安井次、同安井信子、同安井末広(被控訴人安井徳恵ら四名という。)関係

一別表第一、番号6の亡安井計佐治に関する記載事項については当事者間に争いがなく、亡安井が高知営林局を退職した経緯及びレイノー現象の認定を受けた経緯等をみると、前記理由第三、二、(二)、2、5、第六、一、二の1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

亡安井計佐治は

1  昭和二七年四月一日、高知営林局大栃営林署杉熊製品事業所の伐木造材手となり(同二九年四月、常用作業員)、昭和三六年八月、杉熊製品事業所にチェンソーが導入された時期から同四〇年五月初めまで二人一組でチェンソー使用による伐木造材作業に従事し(但し、昭和三七年三月、六月ないし一〇月、三九年三月ないし六月、四〇年三月は全月間営林署を欠勤した。)、そのチェンソー操作時間は一日につき平均約二時間であつた。その間の昭和三九年四月に杉熊製品事業所の事業終了に伴ない大栃製品事業所に配置換えされた。

亡安井が使用したチェンソーの機種は当初はマッカラー一―七〇(三五年型)で燃料満載時の重量が約一二キログラム、振動約一〇G、騒音約一一〇ホンであつたが、昭和三九年四月以降はホームライトC七型で重量は幾分軽くなつた。

2  昭和三一年ころから気管支喘息に罹患し、昭和三七年五月二六早作業中胸部打撲傷、第四第五胸椎骨折の受傷があり、昭和三九年に気管支喘息・心不全・心室性期外収縮症で、それぞれ、そのころ治療を受け、昭和四〇年六月八日、肺結核症で高知赤十字病院へ入院し翌四一年一〇月一日退院した(第一回目の入院)が、その後の昭和四五年五月一三日から翌四六年四月二〇日までの間(第二回)、同年七月五日から四八年四月一日までの間(第三回)、さらに同年一二月八日から肺性心(直接死因)で死亡した五一年一〇月三〇日までの間(第四回)、いずれも肺結核症のため右病院へ入院し、第一回目の入院中の昭和四〇年九月に右肺上葉切除術と右胸郭部成形術が行われた。右入院期間以外の期間はすべて肺結核症のため働けず右病院で通院による肺結核の治療を受けた。

3  右2の肺結核症のため昭和四〇年五月初旬から営林署を欠勤し、同年一〇月一日付で林野庁作業員就業規則一五条一号により休職が発令され、二か月ごとに休職発令が更新されて二か年を経過した同四二年九月三〇日、右休職事由(心身の故障のため長期の休養を必要とすること)が消滅しなかつたため任意退職し、そのころ退職金三五万九二九〇円を受領した。

4  前記2で説示の高知日赤病院へ第一回目に入院中の昭和四〇年末ころ同病院の医師に両手にしびれ感があり、手指に蒼白発作があると訴え、同病院で容積脈波等の検査を行つたが、手指の血管系に著変がなく、念のため血管拡張剤を含む薬剤投与を続けたが、夏期(五月ないし八月)を除き、同様な自覚症状を訴えた。昭和四二年九月二八日、宮本病院で高知営林局の管理医富岡豊年の診断を受けた際、摂氏二度の寒気に全身冷曝したとき左の示指と環指に蒼白発作が発症し、他指にもその兆候があつたが、知覚と痛覚の障害は殆んどなく、両肘関節の屈伸障害が少しあり、各腱反射は正常、レントゲン写像で両肘の変形性関節症、頸椎の変形が認められ、右蒼白発作症状はチェンソー使用によるもので治療を要するとの診断所見であつた。同年一〇月一〇日付で、高知日赤病院の医師石川治は亡安井が昭和四一年一勝四日手指の蒼白を訴えレイノー症候群であることを認めた旨を診断した。

第一回目の日赤病院入院中である昭和四〇年一二月一八日から翌四一年一月一日までの診療録には、蒼白発作の発症や上肢のしびれ・痛みを訴えた記載は見当たらないが、同四〇年一二月二八日付の診療録には診断書と題し同年八月中頃より亡安井の両手の指が白くなり、冷たくなる症状があり白ろう病と考えられますと記載された。また最後(第四回目)の入院中である昭和五〇年九月二五日から翌五一年一月五日までの診療録をみると、昭和五一年六月五日午後七時に左上肢のしびれ感と疼痛を訴えたとの記載があるが、他にレイノー現象が発症したとみられる記載はない。

5  振動障害の治療として昭和四〇年一二月末ころから前記2説示の高知日赤病院へ入院中の各期間は、同病院で随時血管拡張剤等による治療を受け、それ以外の自宅療養期間中は、右病院又は出原病院へ通院して治療を受けた。その通院回数は昭和四一年一〇月二日から同四五年五月一二日までの間が通算四二回、同四六年四月二一日から同年七月四日までの間が五回、四八年四月二日から同年一二月七日までの間が一二回であつた。昭和四八年当時、振動障害(レイノー現象)で通院による治療を受けると、一日につき療養補償金約六六〇円、休業補償金約一二五〇円、休業援護金約四〇〇円の合計二三一〇円を受領した。

以上のとおり認められる。<反証排斥略>

二<証拠>を総合すると、亡安井は高知日赤病院へ最後(第四回目)に入院した日より約二〇日前の昭和四八年一一月二一日、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センター医島五島正規から振動障害の診断を受けた際、自覚症状として、手指の蒼白発作が昭和四〇年八月初めて発症して以降、冬期だけ発症していること、両前腕・手・指にしびれがあり、頸部・両側肩腕・肘・手・指に疼痛があり、発汗亢進・書字障害・胸部絞扼感があると訴え、他覚的所見として、末梢神経の著明鈍麻と末梢循環機能不良のほか、両側肘関節の変形があり、筋力が著明に低下しており、レントゲン写真によると頸椎全体に変形があり、生理的湾曲が欠如し、心電図によると右軸変位・肺性心があり、聴力が左右とも損失し、総合判定として、振動病の進行段階基準四期にあたり、障害の進行が全身に及んでおり、専門的治療を行い、症状の進行を阻止する必要があるとの所見を示したことが認められ、当審における甲鑑定の結果は五島医師の右検診所見に副うている。

しかし、五島医師の右所見の基準であるチェンソー使用による振動障害の病態、進行段階、症状区分が採用できないことは前記理由第八、二で説示したとおりであること、昭和四八年当時、亡安井は振動障害で通院治療すると一日につき約二三一〇円の補償金等を得られることを知りながら、一か月に二回足らずの割合で治療を受けたにとどまること、昭和四八年一一月は亡安井の五七歳時で、五島医師指摘の疾病中には私傷病や老化によるものとみても不合理でないものがあること、さらには乙鑑定の結果と比較して、五島医師の前記検診所見及びそれに副う当審における甲鑑定の結果は採用できない。

三右一、二で認定した亡安井の健康状態、疾病とその治療関係及び前記理由第五で判断したとおりのチェンソーによる振動障害の医学的知見に、<証拠>を総合すると、亡安井の振動障害は両手指の末梢循環障害と末梢神経障害であるがその程度はいずれも軽微で、この疾病だけでは労働能力の点を含めて、日常の生活機能に支障はなく、時折、断続的な不快感を伴なうものであること、亡安井の死亡(昭和五一年一〇月三〇日)直前における疾病とその程度は、前記末梢循環障害と末梢神経障害のほか、肺結核症(重症)、肺性心・心不全(いずれも重症で死因)、レントゲン線での頸椎症様所見(軽度)、レントゲン線での肘関節症様所見(右重度、左軽度)、レントゲン線での右胸郭成形術による変形(中等度)であるが、右疾病はいずれもチェンソー使用を含む亡安井の営林署在職中の特別の労働に起因するものとはいい難いことが認められ、<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定と抵触する部分は爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定判断を覆えし、被控訴人安井徳恵ら四名指摘の亡安井の症病疾患が同人の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る証拠はない。

よつて、右疾病が亡安井の営林署在職中の労働に起因することを前提として、控訴人の債務不履行があるとの被控訴人安井徳恵ら四名の主張は理由がない。

第一四 亡岡本吉五郎の訴訟承継者被控訴人岡本由子、同岡本章男、同足達貞子(以下、被控訴人岡本由子ら三名という。)関係

一別表第一、番号7の亡岡本吉五郎に関する記載事項については当事者間に争いがなく、亡岡本がレイノー現象の認定を受けた経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると、前記理由第三、二、(二)、2、5、第六の一、二、1、2、四の各事実及び<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

亡岡本吉五郎は

1  昭和二六年一一月一日、高知営林局魚梁瀬営林署西川製品事業所に伐木造材手として就職し(昭和二九年四月、常用作業員)、昭和三六年四月から同三八年一〇月まで(但し、そのうち昭和三七年一、二、三、五、六月の五か月は全月欠勤)チェンソー使用による伐木造材作業を二人一組で行い、一か月平均約一九日出勤し、チェンソーを操作した時間は一日につき二時間足らずであつた。使用したチェンソーの機種はマッカラー一の七〇(三五年型)型と同一の七一型で、燃料満載時の重量が約一二キログラム、振動約一〇G、騒音約一一〇ホンのものであつた。その作業現場の冬期の最低気温は零下二度で、営林署の宿舎から集合解散場所まで徒歩で通勤した(所要時間約一時間)。

2  後記7の一覧表番号2、5の糖尿病、腹壁ヘルニヤ等で昭和三八年一一月から翌三九年三月まで営林署を欠勤した後、三九年四月から退職した四〇年まで(但し、そのうち四〇年三ないし六月の三か月余の間は全部欠勤)、チェンソーを使用せず手鋸使用による伐木作業に替わつたのは、そのころ西川事業所でそれまでの現場玉切り造材後の集材方式を改めて、伐倒して枝払いしたままの原木を集材する全幹集材方式に切替え、二人一組でのチェンソー一台使用方式を一人にチェンソー一台専用方式としたが、亡岡本が高齢等のため、昭和三八年五月一四日ころの適性検査の結果、右変更後のチェンソー使用が不適当と認められたからである。しかし手鋸使用による作業従事中の賃金はそれ以前のものと同額で減収にはならなかつた。昭和三九年四月から翌四〇年二月までに亡岡本が就業した延日数は一四四日(一か月平均約一三日)で従前の一か月平均一九日より約六日欠勤が多かつたので、その分だけ減収になつた。

3  林野庁は五五歳以上の常用作業員で昭和三九年一二月から翌四〇年六月までに退職する者に通常退職の場合の退職金より相当割高の退職金を支給する特別処置を実施することとし、昭和三九年一二月中に、魚梁瀬営林署の事業課長が亡岡本を含む該当高齢作業員にその説明を行い退職を勧奨した。亡岡本は昭和四〇年三月以降、後記7の一覧表番号1、2の狭心症、糖尿病等で出身地の南国市立田へ帰り、澤本医院へ通つて療養していたが、そのころ西川製品事業所の主任を通じて魚梁瀬営林署へ同年六月二〇日限りで退職すると上申し、高知営林局はこれを承認して同年六月二一日付で退職を発令し、そのころ亡岡本は退職金四一万七七二八円を受領した。この金額は通常退職の場合の退職金額と比較して二倍までには達しないが相当に割高であつた。退職当時、亡岡本の月給は約一万八〇〇〇円であつた。

4  前記糖尿病で通院中の昭和四〇年三月一五日、澤本医院の澤本幸正医師に手指を寒冷な空気等に暴露すると蒼白となり、運動が意のようにならないと訴えた際、同医師は亡岡本の両手の各五本の指とも蒼白となつているのを現認したが、当時はNHKテレビで白ろう病が放映される前であり、同医師にも右蒼白発作の発症原因が不明で、貧血がひどくその局部の血流が一時的に停止するために皮膚が蒼白になるとみた程度で、医療方法も不明のため、亡岡本に蒼白発作が発症したときはその手を温水と冷水に交互に浸漬する物理療法やマッサージを行うよう勧めたにとどまつた。その後、同年夏期には右蒼白発作の発症がなかつたが、冬期になると発症した。同四〇年五月ころと一〇月ころ魚梁瀬営林署管内でも振動障害についての特別健康診断が実施されたが、右診断に参加せず、澤本医院以外で受診したこともなかつた。

5  翌昭和四一年の秋ころ、魚梁瀬営林署からの通知にしたがい、同年一〇月三一日と翌一一月一日の両日に特別健康診断と精密検診を受けた際、管理医岡崎俊昭に、昭和三七年ころから手指の蒼白発作が発症していることと年中手のしびれ感があることを訴え、医師澤本幸正作成の昭和四〇年三月一五日付診断書(病名白ろう病)及び四一年一〇月二一日付「岡本吉五郎白ろう病についての経過」と題する書面を右管理医を通じて、魚梁瀬営林署へ提出し、同管理医は昭和四一年一〇月三一日付診断書で亡岡本がレイノー現象の罹患者であると診断した。昭和四一年一一月一日の精密検診時に、上腕緊縛方法と両手の冷水浸漬方法によるレイノー現象誘発検査を受けたがその発症がなく、運動器の機能検査では右肘関節に変形があるが、各関節の腫脹はなく、神経系の検査では触覚・痛覚に異常がなかつた。また同年一〇月二一日、澤本幸正医師が診断した際も、元気で、蒼白発作その他の身体異常を訴えなかつた。

魚梁瀬営林署は昭和四一年一一月一一日、高知営林局を通じて林野庁に亡岡本の振動障害(レイノー現象)認定を上申した。

6  右振動障害(レイノー現象)の治療のため、昭和四一年一二月一五日から同四九年一一月一四日までの間は宮本病院へ、翌五〇年一月一四日から五一年一月一〇日までの間は井澤外科病院へそれぞれ通院した。その通院回数は昭和四二年三月までが一一回、昭和四二年四月から四八年三月までの六年間は一年につき各五三回(ほぼ一週間に一回)、昭和四八年四月から四九年三月までが八九回(一週間に二回弱)、昭和四九年四月から一一月一四日までが八三回(二週間に五回)、昭和五〇年一月一四日から五一年一月一〇日までが八七回(二週間に約三回)であつた。昭和四八、四九年当時、レイノー現象治療のため通院すると、一日につき療養補償金約二九〇〇円、休業補償金約一八〇〇円、休業援護金約五〇〇円の合計五二〇〇円が支給された。

7  振動障害(レイノー現象)のほか、八歳時(明治四四年ころ)左前腕骨折で治療を受けたことがあるほか、左記一覧表記載のとおり昭和三六年九月から狭心症、糖尿病、胃がんその他の疾病で通院または入院による治療を受け、その後の昭和五一年一月一三日感冒で床につき翌一四日、脳血栓で死亡した。

亡岡本吉五郎の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

形態

病院等

転帰期日

昭和年月日

区分

1

狭心症、低血圧症

三六・九・一二

不明

不明

四〇・六・一二

不明

2

糖尿病

三八・一・一九

通院

澤本医院

四三・一・一八

継続

3

胃潰瘍

三八・一一・一一

不明

不明

三九・一・二九

不明

4

盲腸炎術後腹膜炎

三九・

二か月療養

5

腹壁ヘルニヤ・胃炎

三九・二・一

三九・三・三一

6

気管支炎

四〇・六・六

四〇・一・一六

7

胃炎

四〇・二・一八

通院

澤本医院

四三・一

継続

8

大腸炎

四〇・八・三

不明

不明

四〇・八・六

不明

9

慢性胃腸炎

四七・一一・二八

通院

宮本病院

四七・一一

継続

10

糖尿病

四九・六・三

四九・一一・八

11

胃がん

四九・・一一・

坂本病院

四九・一一

不明

12

四九・一一・一一

不明

井澤外科医院

不明

13

四九・一一・一一

入院

西内病院

四九・一一・二〇

退院

14

糖尿病

五〇・三・二七

通院

井澤外科病院

五〇・一〇

継続

8  昭和四〇年四月一六日に営林署を退職後、翌四一年二月一八日ころまで南国市立田で自家の農地を耕作し、その間の昭和四〇年一一月一八日、二回目の妻(先妻とは死別)丑尾と協議離婚した。

昭和四一年二月一九日、三回目の妻末子(大正八年二月生)と婚姻し、南国市東金地の末子の実家へ婿養子に入り、昭和四九年一〇月ころまでは、同家の田約二反の稲作と裏作の野菜栽培を末子と共同して行い、昭和四八年一一月ころは手を使つた除草作業をしていると述べている。南国市立田の岡本家の農業は子の被控訴人岡本由子、同岡本章男が承継した。

昭和四八年田村姓から旧姓の岡本へ復帰するため妻末子と協議離婚し、末子の親と協議離縁した。しかしその後も、末子との同棲生活に変化はなく、昭和四九年一一月胃がんで手術した後は五一年一月死亡するまで農耕その他の家事作業に従事したことはなかつた。

以上のとおり認められる。

<反証排斥略>

二<証拠>を総合すると、亡岡本は昭和四八年一一月二一日、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センター医師五島正規から振動病の診断を受けた際、自覚症状として、手指の蒼白発作が昭和三九年から発症し、両側の手と指にしびれがあり、同部位と両腕に疼痛があり、書字障害・胸部絞扼感があると訴え、他覚的所見として、末梢神経機能鈍麻と末梢循環機能不良のほか、両側の手指の関節に変形があり、両側の背側骨間筋の萎縮があり、レントゲン写真によると第五、第六頸椎の変形があり、聴力が左右とも喪失し、総合判定として、振動病の進行段階基準四期にあたり、障害は器質的に進行しており、回復は多くを望めず、その進行阻止を中心に治療方法の検討が必要であるとされたこと、昭和五〇年一月一四日から五一年一月一〇日までの間に八七回、亡岡本のレイノー現象を診療した井澤正三医師は、当時の亡岡本の症状は左半身の疼痛としびれ、筋の凝る感、左頸部・左上肢のすくみとしびれが主たるものであつた旨、昭和五一年二月六日付の亡岡本の病歴書で所見を述べていることが認められ、当審における甲鑑定の結果は五島医師の右所見に副うものである。

しかし、五島正規の右検診所見の基礎であるチェンソー使用による振動障害の病態、進行段階基準、症状区分が採用できないことは前記理由第八、二で説示したとおりであること、亡岡本は昭和四八年四九年当時、振動障害(レイノー現象)で通院による治療を受けると一日につき約五二〇〇円の補償金等が得られるのを知りながら、五島医師の右診断後も二週間に五回程度の通院治療を受けるにとどまつたこと、昭和四八年一一月は亡岡本の七〇歳時で営林署退職から八年六か月後であり、五島医師と井澤医師が各指摘する疾病には、老化によるものとみても不合理でないものが相当に含まれていること、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、右五島医師と井澤医師の各所見及びこれらに副う当審における甲鑑定の結果を採用することはできない。

三右一、二で認定した亡岡本の健康状態、疾病とその治療に関する事実、就労状況に関する事実と、前記理由第五で判断したとおりのチェンソー使用による振動障害に関する医学的知見に、<証拠>、当審における乙鑑定の結果を総合すると、亡岡本の振動障害は手指の末梢循環障害と末梢神経障害であり、発症以降その程度はいずれも軽度で、労働能力の点を含めて日常の生活機能に支障がなく、その発症時に断続的又は継続的(冬期)に不快感を伴なうものであつたこと、亡岡本の死亡直前における疾病は右の振動障害のほか、感冒・糖尿・全身皮膚炎・胃炎(胃がんで胃亜全剔術後のもの)・動脈硬化・両足のしびれ感・めまい・耳なり(いずれも各症状の程度不明)、頸椎椎間板症(程度不明、レントゲン像では軽度)、肘関節症(程度不明、レントゲン像上では軽度)、感覚鈍麻(軽度)、胸部絞扼感(程度不明、心電図では異常なし)、脳血栓(死因)があるがこれらはチェンソー使用を含めて亡岡本が営林署在職中の特別の労働に起因するものとみることはできず、<証拠>及び甲鑑定の結果中、右認定と抵触するところは、爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定判断を覆えし、被控訴人岡本由子ら三名指摘の亡岡本の症病疾患が亡岡本の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認するに足る証拠はない。

よつて、亡岡本の右疾病を前提として控訴人の債務不履行があるとの被控訴人岡本ら三名の主張は理由がない。

第一五  被控訴人加納勲関係

一別表第一、番号8の被控訴人加納に関する記載事項は当事者間に争いがなく、同被控訴人がレイノー現象の公務災害認定を受けるに至つた経緯及び高知営林局を退職した経緯等をみると、前記第三、二、(二)、2、5、第六、一、二の1、2、四の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人加納勲は

1  大正一五年四月、高知営林局小川営林署安居製品事業所の木挽手として就職し、昭和四年四月にトロリー運材手に職種替となり、さらに同二四年四月に伐木造材手に職種替となり(昭和二九年四月、常用作業員)、昭和三五年五月から同三六年二月までと昭和三九年四月から同四四年三月までの間、一か月平均一九日程度出勤し(但し、昭和四〇年八月一九日から翌四一年一月五日までの期間は、作業中足場が壊れてチェンソーで左大腿挫滅の負傷をして欠勤)、チェンソー使用による伐木造材作業に従事した。昭和三六年二月までは二人一組でチェンソー一台を使用し、昭和三九年四月以降は一人でチェンソー一台を専用し、そのチェンソー操作時間は一日につき約二時間三〇分であつた。昭和三六年三月から同三九年三月までの間は、安居製品事業所で、人工植林された樹林を伐倒造材したため、全部の伐木造材作業を手鋸で行いチェンソーの使用は皆無であつた。安居製品事業所の伐木造材手八人のうち、作業技術及び勤勉さとも優秀で、退職前一年間の出勤延日数は二六三日(一か月平均約二二日出勤)であつた。使用したチェンソーは、当初の機種がマッカラー一の七〇(三五年)型で、重量が燃料満載時で約一一キログラム、振動約一〇G、騒音約一一〇ホンのものであつたが、昭和四〇年末ころに防振ハンドルつきになつて振動が約三Gに減り、さらに昭和四三年ころからマッカラー三の一〇型に機種が替り、重量が約九キログラムのものになつた。その作業現場である安居山は標高約六〇〇から八五〇メートルで、冬期の最低気温が零下四度であつた。営林署の宿舎から集合解散場所まで約5.5キロメートルを自動二輪車で通勤した(所要時間約二〇分)。

2  昭和四一年九月一三日、安居製品事業所の主任鍋島孝夫が作業現場を巡視の際、他の作業員から被控訴人加納の両手指先に昭和四〇年一二月より同四一年三月ころまでの間、レイノー現象の発症がみられた旨を聞き、被控訴人加納に聴いたところ、同被控訴人はそれを認め、寒い時期には手指の先が白くなりしびれることがあつたが、気温の高いこのごろはレイノー現象の発症はないと告げたが同主任よりチェンソーの使用を断続的に行うことと、休憩時に腕と手のマッサージを行うよう勧められた。

3  同四一年の一〇月一一日と一一月二八日の各午前六時三〇分すぎ、自動二輪車で走行中に両手の指がしびれ、いずれもその直後、鍋島主任にそれを報告したが、作業に支障はないことを付言した。同年一二月一二日、鍋島主任が被控訴人加納に両手の冷水浸漬方法によるレイノー現象誘発検査を行つた際、浸漬中は発症しなかつたが、浸漬を終えてから約一〇分後に左右の各四、五指に蒼白発作が発症し、発症から五分ないし六分後に消滅した。その後の昭和四一年一二月二一日から翌四二年一一月六日までの間に被控訴人加納は鍋島主任から八回、振動障害の現場巡視を受け、そのうち夏場の一回は異常がないと告げたが、他の七回には、蒼白発作の発症やその際に手先がしびれるが健康に変わりはなくまた作業にも支障がない旨を告げた。鍋島主任は昭和四二年一一月ころまでに管理医に被控訴人加納の右症状を報告したが、管理医からは受診治療およびチェンソー使用作業の軽減の要否につき所見や指導がなかつた。

4  昭和四三年七月一日管理医安部一忠から健康診断を受け、前腕緊縛によるレイノー現象誘発検査で両手の各二ないし五指に蒼白発作が発症し、血圧が上二一二、下九六であり、同管理医は治療するが、レイノー現象は、定期的に医師の観察を必要とするにとどまり平常の生活でよく、チェンソー使用作業を軽減する必要はないとの所見であつた。同年一一月一四日の健康診断時に右上肢のしびれと両手の各二ないし五指のレイノー現象発症を訴え、全身冷曝方式による誘発検査により右両手の右各指に蒼白発作が発症したが、神経系の検査結果は触覚・痛覚とも正常で、管理医安部一忠の総合所見はレイノー現象については前回と同じであるほか、食道狭窄がありそれに関連する自律神経作用を考慮する必要があるというものであつた。

安居製品事業所の主任中脇稔は昭和四三年一〇月二日から被控訴人加納の退職日の六日前の同四四年三月二六日までの間に前後二〇回巡視で同被控訴人と面談し、うち四三年一〇月七日の一回はレイノー現象の発症がないということであつたが、その他の一九回は、両手の全指に朝の通勤時等に蒼白発作が発症している旨の訴えを受けた。中脇主任はその都度、管理医に連絡し治療の要否等を照会したが、管理医は当面治療の必要を認めないと回答した。

5  昭和四四年三月上旬、小川営林署の管理官より五五歳以上の高齢退職者に適用される退職金の特別処置の説明と勧奨を受けて退職を決意し同四四年四月一日退職し、そのころ退職金三〇二万七二〇〇円を受領した。この金額は右特別処置の適用がない普通退職の場合と比較して二倍に近いものであつた。退職当時の月給は約四万五〇〇〇円であつた。

6  右退職の際に小川営林署との間に取り交わした約束にしたがい、退職した月から昭和四八年まで同営林署の臨時作業員に雇われ延四二七日出役して、林道修繕の土木作業に従事した。その就労状況は次表記載のとおりである。

年度

出役日数

月の最多・最少出役

摘要

四四

一五三日

二二~六日

全月

四五

一二三日

一七~一〇日

四・五・一二を除く全月

四六

九一日

一六~五日

一一月~二月を除く全月

四七

九日

九日

一〇月のみ出役

四八

五一日

二一~一一日

五・六・七月のみ出役

四二七日

7  昭和四四年四月一日以降は振動工具を使わなかつたが、同年四月四日から翌四五年三月一〇日までに中脇主任から前後一五回現場巡視を受けた際、レイノー現象の発症を訴えなかつたのは四四年五月一〇日と一一月一日の二回だけで、他の一三回は両手の指に発症していると訴えた。

8  昭和四五年三月八日、管理医安部一忠からレイノー現象が振動具使用に起因するもので治療を要すると診断され、その際の検査結果では、両手の冷水浸漬で各二ないし五指にレイノー現象が発症し、運動器検査で右肘関節変形性関節症像があり、神経系検査で左中指末梢痛覚の低下と右中指末節痛覚鈍麻があるとされた。

9  右レイノー現象治療のため安部診療所(昭和五二年まで)と安部病院へ昭和四五年三月八日から同四八年末まで、同四九年四月から五〇年一一月まで、同五一年五月から五四年三月まで、及び同五五年一一月以降現在まで通院し、また昭和四九年一月四日から同年三月まで、同五〇形一二月二日から翌五一年四月三〇日まで(但し、不整脈症を同時に治療)及び同五四年四月四日から翌五五年一一月初めまで(但し、心房細動・変形性脊椎症を同時に治療)は入院した。右入院期間中は随時レイノー現象の治療を受け、そのうち昭和五〇年一二月二日から翌五一年四月三〇日まで入院した際の診療記録では、右入院期間中に六回、手指にレイノー現象が発症(うち五回は左手の二ないし五指に、他の一回が左右の全指に蒼白発作が発症)したほか、別に一回左手の三、四、五指に疼痛があると記載されている。通院による治療回数は昭和四五年四月までが二三回、同年五月から昭和四九年三月までが毎年各六三回(一週間に一、二回の割合)、同四九年四月から五五年三月までが毎年に一三〇回(二週間に五回の割合)、昭和五五年四月以降は毎日である。昭和四八、四九年当時、レイノー現象で通院による治療を受けると、一日につき、療養補償金約一六〇〇円、休業補償金約二五〇〇円の合計約四一〇〇円を受領した。

10  レイノー現象と前記1の左大腿骨挫滅創(昭和四〇年八月から四一年一月まで)で治療を受けたほか、左記一覧表記載のとおり、昭和三二年四月から胃潰瘍その他の疾病で入院又は通院による治療を受けた。

被控訴人加納勲の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

治療開始期日

昭和年月日

形態

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

胃潰瘍

三二・四

入院

国立高知病院

四か月休養

2

幽門狭窄症

三二・五

3

高血圧症

座骨神経痛

四四・三・二八

通院

安部診療所

四八・八

継続

4

右前膊皮膚炎

五〇・六・一九

安部病院

五〇・六

5

高血圧症

五〇・六・二一

安部診療所

五一・一

6

接触性皮膚炎

急性湿疹

五〇・七・一

猿田診療所

7

心房細動

胃切後胃炎

五三・二・八

通・入院

安部病院

五五…一一

8

変形性脊椎症

五四・四・四

9

強膜出血

五四・七・一九

通院

五四・九

11  小川営林署を退職後の昭和四四年四月以降は、前記6のとおり同営林署の臨時作業員として稼働したほか、昭和五一年まで私有人工造林の手入作業や椎茸の収穫作業に一か月につき五日ないし一〇日くらい就労し、その後は働きに出るようなことはなかつた。

以上のとおり認められる。

甲八五号証及び原審当審で、被控訴人加納勲は、同被控訴人が営林署を退職した理由は、常に肘と腰に強い痛みがあつて十分に働けず、全身が常にだるくて仕事をする意欲がなくなり、また仕事をやろうと思つても手のしびれや痛みのため物が握れず、物を手に持つても時間が少し経つと、腕がだるくて持つことができないようになり、営林署の作業ができない状態だつたからであると供述しているが、同被控訴人は営林署退職後も昭和四八年までの五年間臨時作業員に雇われ延日数四二七日出役したほか、昭和五一年まで民有林の植林手入等の作業に従事したこと、営林署退職時の昭和四四年四月は同被控訴人の六一才時で、高齢常用作業者の退職に伴なう特別処置の適用を受けて退職したものでその退職金は通常退職の場合より二倍近くであつたことにかんがみ、被控訴人加納の右供述は採用できない。

二<証拠>を総合すると、被控訴人加納は高知県立宿毛病院幡西地域保健医療センター五島正規から昭和四八年一一月二一日(第一回受診という。)と翌四九年一二月五日(第二回受診という。)に振動障害についての診断を受け、その後の昭和五二年一一月二五日(第三回受診という。)に上街クリニックで同医師から同様の診断を受け、さらに昭和五三年一一月一五日から五八年五月七日までの間に前後一〇回にわたり四国勤労病院で同医師の診断を受け(第四回以降の受診という。)たが、自覚症状として、手指の蒼白発作は第一回から最後の受診時まで発症があること、左手指にしびれがある(第一回受診時)こと、疼痛が左肘関節、左前服、左手指(第一回受診時)、左手、左肩(第二回受診時)にあること、耳鳴りがある(第一、二回受診時)こと、眩暈がある(一、二、四、五回の各受診時)こと、発汗亢進がある(一、二回受診時)こと、書字障害がある(一、二、五回の各受診時)、胸部絞扼感があること(第一回受診時)、昭和四二年から性交不能である(第二回受診時)ことを訴え、他覚所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良のほか、左右の肘関節の変形(第一、四回の受診時)、右肘、右二、三指、左二ないし五指の各関節変形(第二回の受診時)、両側三角筋萎縮(第一回受診時)、両側小指球筋・左前腕筋群萎縮(第二回受診時)、筋力低下(第一回受診時)、レントゲン写真所見で左右肘関節・腱附着部の石灰化(第一回受診時)があること、心房細動・不整脈がある(第三回から最終の受診時までの毎受診時)とされ、総合判定所見として、第四回受診時分だけが振動病進行段階基準三期であるとされたほかは他の前後一二回ともすべて四期であるとされ、第二回受診時には入院加療を要するとされたことが認められ、甲鑑定の結果は、右五島医師の所見に副うものであるが、前記理由第八、二で説示のとおりこれらの所見鑑定の基礎である医学的見解はチェーンソー使用に起因する振動障害についての一般的医学知見とは相当に齟齬するものであること、被控訴人加納は営林署を退職した昭和四四年四月から約七年間、土木作業(昭和四八年まで)や造林等の雑役(昭和五一年まで)に断続的であるにせよ従事したことに徴し、また乙鑑定の結果と比較して、五島正規医師の右診断の所見及び甲鑑定の結果は、採用できない。

三右一、二で認定した被控訴人加納の健康状態、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>を総合すると、被控訴人加納の振動障害は両手指の末梢循環障害で、レイノー現象と手のしびれ等の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害がなく、レイノー現象の発症時に継続的(寒冷期に発症した場合)あるいは断続的な不快感が伴なうこと、昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は、右の末梢循環障害のほか、右肘関節症、心房細動、冠不全、心不全、四肢動脈硬化(以上中程度)、左肘関節拘縮、頸推症、右膝関節症、難聴、高血圧、末梢性ニューロパシー、脳梗塞(以上いずれも軽度)であることが認められるが、これらの疾病のうち両手指の末梢循環障害以外のものはチェンソー使用を含む被控訴人加納の営林署在職中の労働に特別起因するものとは認めがたく、<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定と抵触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。

よつて、これらの疾病が営林署在職中の労働に起因することを前提として、控訴人の債務不履行があるとの被控訴人加納勲の主張は理由がない。

第一六 亡三笠寅蔵の訴訟承継者である被控訴人三笠秀子、同三笠泰男、同三笠栄一、同乾治子(以下、この被控訴人四名を被控訴人三笠秀子ら四名という。)関係

一別表第一、番号9の亡三笠寅蔵に関する記載事項は当事者間に争いがなく、亡三笠寅蔵がレイノー現象の公務災害認定を受けるに至つた経緯及び高知営林局大栃営林署を退職した経緯等をみると、前記第三の二、(二)、2、5、第六の二、1、2、四の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

亡三笠寅蔵は

1  昭和二年から一三年まで大栃営林署で、昭和一三年から二〇年八月ころまで満州国の営林署で大工として働き、引揚帰国後の同二七年五月、高知営林局大栃営林署別府製品事業所に大工として就職し(同二九年四月以降、常用作業員)、昭和三二年五月、伐木造材手に職種替となり、同三五年五月、別府製品事業所へチェンソーが導入されると同時にチェンソー使用の伐木造材作業に従事するようになり、昭和三九年四月、大栃製品事業所へ配置替えとなつて以後も四三年三月まで同様の作業に従事し、そのチェンソー使用の稼働日数は一か月平均約一九日であつた(その間の、昭和四一年九月二六日から約一か月は変形性脊椎症・坐骨神経痛のため間崎病院に入院して休業したほか、昭和三五年五月、三七年四、五、九、一〇月、三九年四、六月、四一年三月の七か月は営林署の仕事割の都合で伐木造材以外の作業に従事し、チェンソーを使用しなかつた。)。

チェンソー使用状況は昭和三五年六月から四〇年八月までの間は二人組で一台のチェンソーを使用し、四〇年九月以降は一人で一台のチェンソーを専用した。そのチェンソー操作時間は、一日平均二時間三〇分であつた。使用したチェンソーの機種はホームライト型で燃料を満載した場合の重量が約一二キログラムであり、振動の強さは昭和三五年から四〇年ころまでの間が約一〇G、四〇年末ころ以後は約三G(防振ハンドルつき)であり、騒音の高さは約一一〇ホンであつた。

作業現場までの通勤は自宅から大栃製品事業所の事務所へ出勤し、そこから約八キロメートル離れた作業現場近くまで営林署のバスで送迎されていた。亡三笠のチェンソー使用による伐木造材の技術は優秀であつた。

2  昭和四〇年九月二九日、管理医出原義男から上腕緊縛法と両手の冷水浸漬法(摂氏四度の水に一五分間手を漬ける。)による検査を受けたがレイノー現象が誘発されず、異常が認められなかつた。

3  昭和四二年一一月三〇日、大栃製品事業所主任山下良雄が巡視で作業現場にきた際、左の手首から肘までの間に強いしびれがあると訴え、その左手の第三、四、五指に蒼白発作が発症しているのが現認された。当時は小雨が降り、時折強風が吹いて寒かつた。同年一二月一一日に山下主任が作業現場にきた際も、左手肘にしびれが強いと訴えた。当時は小雪が降り風が強く寒かつた。

4  昭和四三年二月二三日、管理医見元玄尚、同出原義男から高血圧症(最高一六二、最低九六)と冠硬化症が発症し、それらを治療する必要があると診断されたが、振動障害については訴えがなく、レイノー現象の誘発検査が行われず、所見が出されなかつた。

5  昭和四一年初めころから四二年末ころまでに、大栃営林署の事業課長山本岩見から数回にわたり、亡三笠が高齢なので、退職するなり、伐木造材手から土木手(林道の維持修繕作業)に職種替えするように勧奨され、その都度それを断つたが、昭和四三年二月二日ころ、後記8一覧表番号2、3のとおり、冠硬化症、冠不全動脈硬化症が発症し、治療を必要とすることを知つて、退職を決意し、そのころ山本岩見事業課長にその旨を申し出て、同年四月一日に退職し、そのころ退職金五四万二五〇〇円を受領した。退職当時における月給は約三万三〇〇〇円であつた。

6  昭和四三年五月二三日、宮本病院で高知営林局の管理医富岡豊年から診断を受け、自覚症状として、両手指の蒼白発作の発現としびれ感があり、上肘に脱力感と疼痛があり、後頭部の痛みと耳鳴りがあり、腰から大腿までと前胸部から背部にかけて各疼痛があり、心悸亢進があると訴え、他覚所見では、上腕緊縛検査により左の第二ないし第五指に蒼白発作が誘発され、上肘の知覚と屈伸は正常、レントゲン写真により第五、六頸椎の変形症、第五、六、七関節狭小の腰椎変形症、腰仙関節辷り症、右肘関節変形症があるとされ、レイノー現象は治療を要すると診断された。

7  レイノー現象の治療のため、昭和四三年八月から五四年八月まで間崎病院へ通院し、昭和五四年八月一三日以降は、上街クリニック(八月一三日から一〇月末まで、胃潰瘍と同時に治療)、四国勤労病院(昭和五四年一一月から死亡まで。胃潰瘍、肺がん等と同時に治療)に入院し、がんで昭和五八年一月一四日に死亡した。そのレイノー現象治療のための通院状況は昭和五一年三月までが二週間に一回程度、昭和五一年四月から五三年三月までの間が三週間に二回程度、昭和五三年四月から五四年八月までの間が一週間に四日程度であつた。レイノー現象治療のため通院すると昭和四八、四九年当時、休業補償金約一八〇〇円、療養補償金約一六〇〇円の合計三四〇〇円を支給された。

8  レイノー現象以外に、前記1中の変形性脊椎症等による入院治療、7中の胃潰瘍、肺がんによる入院治療のほか、左記一覧表のとおり冠不全動脈硬化症等のため通院による治療を受けた。

亡三笠寅蔵の私病とその治療状況一覧表(いずれも通院)

番号

病名

診療開始期日

昭和年月日

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

膝関節ロイマチス

四二・一・一八

間崎病院

四三・一

継続

2

冠不全動脈硬化・顔面疹・

肝炎・糖尿病

四三・二・二

四七・八

3

冠硬化症・顔面慢性湿疹・腰痛症

見元回生病院

四三・三

4

ロイマチス性腰痛

四四・三・二二

間崎病院

四五・九

5

高血圧・冠不全・動脈硬化

五〇・四・一

五二・一〇

6

膝関節炎・下肢神経痛

五〇・六・一七

五一・一二

7

腰部・膝部関節ロイマチス

五〇・七・二二

五〇・一二

8

顔面項部痒疹

五一・四・九

五一・六

9

五一・一一・一六

五一・一二

10

胃潰瘍・萎縮性胃炎

五一・一二・二二

五二・九

11

肩胛部神経痛

五一・一二・二五

五二・二

12

膝関節炎

五二・一・一一

13

心房性期外収縮

五二・二・一〇

五二・八

14

頸腕症候郡

五二・四・二〇

五二・一〇

15

慢性膵炎

五二・六・三〇

五二・一〇

16

腰椎変形症第五腰椎仙椎化

五二・七・三〇

五二・九

17

高血圧・脳動脈硬化症

胃  炎

顔面皮膚炎・下肢神経痛

五三・三・一一

五三・一二

五三・四

五三・一〇

18

下肢ロイマチス

五三・一〇・五

五三・一一

19

洞性頻脈

五五・一〇・二〇

間崎胃腸病院

五五・一〇

9  営林署を退職して後間もなくから昭和四九年末ころまで、土建業者に雇われ現場監督(昭和四八年一一月ころまで)やコンクリート工事等の型枠取付作業(昭和四九年一二月ころ)に従事し、その間の昭和四七年一一月までは不定期の日雇で一か月に一五日から二〇日程度働き、昭和四七年一一月から以後は常傭で一か月二〇日程度働いた。四七年四八年当時の日給は二三〇〇円ないし二七〇〇円であつた。

右のとおり認められる。亡三笠寅蔵は甲八六号証及び原審当審における本人尋問で、営林署を退職したのは、手腕のひどい痛みをはじめ全身が悪いところばかりになつて仕事ができる状態になく、このまま仕事をつづけるとチェンソーで生命が縮められるからである旨供述しているが、亡三笠はその退職より四か月前に手指にレイノー現象の発症があつたが、その後健康診断時にそれを訴えなかつたし、退職当時にはその公務傷害の認定申請を行つていなかつたこと、退職してから六年余り土木工事の現場監督や型枠大工等の肉体作業に従事したこと、営林署退職時には六二歳で作業員中最高齢者であつたこと等に徴し、また原審証人山本岩見、当審証人山下良雄の各証言と比較して、亡三笠寅蔵の右供述は措信できない。

二<証拠>を総合すると、亡三笠寅蔵は、昭和四八年一一月二一日(一回目の受診)と翌四九年一二月四日(二回目の受診)に高知県立宿毛病院幡西地域保健医療センターの医師五島正規から振動障害の診断を受け、さらに昭和五四年一一月一日から死亡した五八年一月一四日までの間(三回目以降の受診)、四国勤労病院で右医師から振動障害等の治療を受けたこと、右一、二回目の受診時に、亡三笠は自覚症状として、昭和三八年一一月以降、毎年冬期などに手指の蒼白発作があり、両方の肩・腕・手と指にしびれと疼痛があり、耳鳴りが持続し眩暈が時々あり、発汗亢進、書字障害・胸部絞扼感がそれぞれあると訴え、他覚的所見として、未梢神経純麻と未梢循環機能不良のほか、両側肘関節変形、手指関節変形(一回目)、上腕二頭筋萎縮(一回目)、平上肢筋群萎縮著明・右小指球筋萎縮(二回目)、筋力低下(一回目)があり、レントゲン写真で第五ないし第七頸椎の変形強度、椎間狭少、椎体がつぶれたようになつており(一回目)、聴力損失がある(一回目)とされ、総合判定として、振動障害の進行段階基準四期で治療しても多くを期待できず治癒困難とされたこと、三回目以降の全治療期間を通じて、症状の進行段階は四期で、そのうち昭和五五年一〇月二三日から翌五六年一月末までの間、レイノー現象が手指のほか両手関節までと左一・二趾にも出現したとされていることが認められ、当審における甲鑑定の結果は、五島医師の右所見に副うものである。しかし、五島医師及び甲鑑定の基礎である全身疾患説が特別なものであることは前記第五、第八の二で説示したとおりであること、亡三笠は昭和四八・四九年当時、振動障害(レイノー現象)で通院治療を受けると、一日につき補償金約三四〇〇円が得られ、当時の土木作業による日当と遜色がないものであるのに、間崎病院で二週間に一回程度(昭和四三年八月から五一年三月まで)か三週間に二回程度(昭和五一年四月から五三年三月まで)の割合による通院治療を受けたにとどまり、他の専門的な医療機関で診療を受けた形跡がないこと、昭和四八年一一月は亡三笠寅蔵の六九歳時で、五島医師指摘の疾患には老化に伴なうものとみても不合理でないものがあること、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島正規医師の右診断所見は採用できない。

三右一、二で認定した亡三笠寅蔵の健康状態、就労状況、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>、当審における甲乙鑑定の結果を総合すると、亡三笠寅蔵の振動障害は手指の末梢循環障害と末梢神経随害で、レイノー現象と手指のしびれ・疼痛の発症を伴なうものであるが、その程度は発病以降、いずれも軽度で、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の障害がなく、その発病時に継続的(冬期など)あるいは継続した不快感を伴うものであつたこと、昭和五六年当時における亡三笠寅蔵の疾患は、右の振動障害のほか、頸椎症・難聴・両手指の変形性関節症(以上、中等度)、左上腕二頭筋長頭腱皮下断裂(以下、すべて軽度)・第五腰椎分離辷り症・膝関節症・動脈硬化・肺気腫・狭心症様発作・両肘拘縮があつたことが認められるが、振動障害以外の右疾患のうちに、チェンソー使用を含む亡三笠寅蔵の営林署在職中の労働に起因するものがあると認め難い。<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触する部分は爾余の前掲証拠と比較して採用し難い。他に右認定を覆えし、被控訴人三笠秀子ら四名指摘の亡三笠の疾病が同人の営林署在職中の労働に基因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として控訴人の債務不履行があるとする被控訴人三笠秀子ら四名の主張は理由がない。

第一七  被控訴人下村博関係

一別表第一、番号10の被控訴人下村に関する記載事項は当事者間に争いがなく、同人がレイノー現象の公務災害認定を受けるに至つた経緯及び高知営林局野根営林署を退職した経緯等をみると、前記第三の二、(二)、2、5、第六の二、1、2、四の事実に、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

被控訴人下村博は

1  昭和二七年四月、高知営林局野根営林署尾河事業所に伐木造材手として就職し(昭和二九年四月以降、常用作業員)、三六年五月、右事業所にチェンソー導入と同時にチェンソー使用の伐木造材作業に従事するようになり、退職一か月前の四五年三月までの間、右作業に従事した。そのうち昭和四〇年六月までの間は二人一組で一台のチェンソーを使用し、四〇年七月以降は一人で一台のチェンソーを専用したが、チェンソーの操作による作業時間はいずれも一日平均三時間余であつた。使用したチェンソーはホームライト型で燃料満載時の重量が約一一キログラム、振動の強さは昭和四〇年までは約一〇G、四一年以降は約三G(防振ハンドルつき)で、騒音の高さは約一一〇ホンであつた。通勤には事業所の宿舎から作業現場近くまでの約三キロメートルの間自動二輪車を運転した。同人の伐木造材技倆は優秀で、同事業所作業員の平均出来高より四割程度上回わる成績を上げていた。

2  昭和四二年四月二五日、作業後、尾河事業所で洗濯中に左手の第四、五指に蒼白発作が発症し、これを主任の横山重俊が確認し、同年一二月一五日、同主任に左手の第四、五指に同様な発症があつた旨知らせた。そこで翌四三年二月二一日と同年八月二一日の各健康診断時に、管理医久禎一郎から上腕緊縛、冷水浸漬方法による誘発検査を受けたが発症がなかつた。その後の同年九月一四日と一〇月二八日、前記主任に前同様の発症があつた旨を報告し、一〇月一日に精密検査を受けたが、発症がなかつた。その後の同年一一月一二日、作業後尾河事業所の事務所で左手の第三、四指に蒼白発作が発症しているところを横山主任から確認された。

3  同四三年一二月一七日、久管理医から全身冷曝(外気摂氏四度で、単車を運転して二〇分走行)による誘発検査を受け、左第三指に蒼白発作が発症したことを確認された。その際、同管理医に昭和四一年三月ころから寒い折に左手の第三、四、五指に右発作が発症する旨訴えた。

久管理医は同年一二月二七日付の診断書で、右レイノー現象につき対症的加療を要すること、入院は不要で就業を可とするとの所見を出したがチェンソー使用の中止ないしその作業軽減の要否については言及しなかつた。

4  右レイノー現象につき公務上災害の認定を受けた後の昭和四四年二月二四日から五五年九月までは斉藤医院へ、五五年一〇月以降は高知県立安芸病院へ通院し、注射と服用薬等による治療を受け現在に至つた。通院割合は五五年九月までの間は週に一回程度、五五年一〇月以降は一週間に二回程度である。昭和四八、四九年当時、右通院治療一回につき医療補償金約二三〇〇円、休業補償金約一八〇〇円の合計四一〇〇円を得ていた。

5  昭和四一年に乗用自動車の第二種運転免許を取得し、日曜祭日等の乗客の多いときにタクシー会社で運転手のアルバイトをしていたが、昭和四四年秋ころ尾河事業所の主任から右アルバイトをしないよう注意され、営林署からの給与が低額である旨不平をいい、翌四五年三月、右主任に営林署を任意退職したいので退職金額の計算をしてほしいと申出て、同年四月一日から出勤せず、タクシー会社でアルバイトをし、同月三〇日任意退職金七六万一八二五円を受取つた。退職当時ころの月給は約四万八〇〇〇円であつた。

6  営林署を退職してから三か月後の昭和四五年八月以降四八年四月ころまでの間につばめハイヤー、南ハイヤー、笠井洋服店等に傭われて自動車の運転に従事した後、昭和四八年五月から田中鉄工所に雇われ電気溶接等に従事していたが昭和五五年ころは会社が倒産して失職していた。昭和四八年五月以降も毎日のように通勤等で自動車を運転しているほか、猟銃免許を持ち昭和四五年以降、冬期に羽根山中で時折、野猪の狩猟を行つている。

7  レイノー現象の治療(前記4)のほか、左記一覧表のとおり胃潰瘍等で治療を受けた。

被控訴人下村博の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

診療開始期日

昭和年月日

形態

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

胃潰瘍

三八・四・一五

不明

不明

三八・六

不明

2

ロイマチス性腰痛

四〇・七・二

四〇・七

3

十二指腸・胃潰瘍

四一・六・一六

四一・九

4

ロイマチス性腰痛・第四腰椎辷り症

四二・六・二五

通院

山本外科

四三・六

継続

5

四三・九・一六

四三・一二

6

ロイマチス性右膝関節炎

四三・九・二九

7

変形性腰椎症・腰椎椎間板ヘルニア

四四・三・一一

四四・六

8

胃消化性潰瘍・肝炎・腰椎椎間板症・

変形性腰椎症・左肩胛上膊神経痛

四五・四・一八

四六・一一

9

右足関節捻挫傷

五四・一一・二六

斉藤医院

五四・一二

治癒

10

左上腕骨外顆炎

五五・八・一二

田中整形外科

五五・八

継続

11

頸部捻挫

五五・一一・三

奈半利町接骨院

五五・一一

治癒

12

左肘部捻挫

五五・一一・一〇

繰越

以上のとおり認められる。被控訴人下村は、甲八七号証及び原審当審における本人尋問で、営林署を退職したのは手・腕・腰から両足までがそれぞれひどく痛み、そのまま仕事を続けるとチェンソーで生命が縮められると思つたからである旨供述しているが、職場の同僚・上司や管理医に右のような症状を訴えたことがなかつたし、退職前後を通じ、右症状があれば困難なタクシーの運転業務に従事し、退職後に毎年厳寒期の山中で野猪の狩猟も行つていること、さらには原審当審証人横山重俊の証言と比較して、被控訴人下村の右供述は措信できない。

二<証拠>を総合すると、被控訴人下村は、昭和四八年一一月二一日(一回目の受診)と四九年一二月六日(二回目の受診)に、高知県立宿毛病院内幡西地域保健医療センターの医師五島正規から振動障害の診断を受けたこと、その際、自覚症状として、手指の蒼白発作が昭和四二年から四五年までは年中、四六・四七年には冬期だけに発症し(一回目の受診時)、冬期に手指がしびれ、両肘関節に疼痛があり(二回目の受診時)、発汗亢進、書字障害(二回目の受診時)があると訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢神経機能不良のほか、筋力やや低下し、筋疲労が強く(一回目)、両側握力低下(二回目)があり、レントゲン写真で第五、六頸椎変形の前駆症状があり、聴力損失がある(一回目)とされ、総合判定では、振動病の進行段階二期で、頸椎牽引・筋力回復訓練・温水浴療法による施療が必要(一回目)、二ないし三期で一回目と比較し症状がやや悪化した(二回目)とされたことが認められる。

当審における甲鑑定の結果は五島医師の右所見に副うものであるが、五島医師及び甲鑑定人のチェンソー使用による振動障害についての見解が特別なもので採用し難いことは前記第五及び第八の二で説示したとおりであること、被控訴人下村は昭和四八、四九年当時、レイノー現象で通院治療すると、一日につき約四一〇〇円の補償金が得られたのに、地元の病院で一週間に一回、鉄工所での一日の就業後に治療を受ける(当審における被控訴人下村尋問の結果)にとどまり、他の専門医療機関へ治療に赴いた形跡がないこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島正規医師の右所見は採用できない。

三右一、二で認定した被控訴人下村の健康状態、就労状況、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>、当審における甲乙鑑定の結果を総合すると、被控訴人下村の振動障害は左手指の未梢循環障害と左右手指の未梢神経障害で、その程度は軽度であり、日常生活の機能には労働能力の点を含めて格別の支障はないが、その発症時に継続的あるいは断続的な不快感を伴なうものであること、昭和五六年当時における同被控訴人の疾病は右の未梢循環障害と未梢神経障害のほか、いずれも軽度の左肘関節症・外上顆炎、変形性腰椎症・指関節症・難聴・高血圧症・腎機能障害があることが認められるが、右末梢循環・神経障害以外の疾患はチェンソー使用を含む被控訴人下村の営林署在職中の労働に起因するものであるとは認め難い。<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用し難く、他に右認定を覆えし、被控訴人下村指摘の疾病が営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として控訴人の債務不履行があるとする被控訴人下村博の主張は理由がない。

第一八  被控訴人浜崎恒見関係

一別表第一、番号11の被控訴人浜崎に関する記載事項は当事者間に争いがなく、同人がレイノー現象の公務災害認定を受けるに至つた経緯及び高知営林局中村営林署を退職した経緯等をみると、前記理由第三の二、(二)、2、5、三、18、第六の二、1、2、四の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人浜崎恒見は

1  昭和二五年四月、高知営林局中村営林署小成川事業所に伐木造材手として就職し、同二七年一二月、同営林署北ノ川事業所へ配置替えとなり(昭和二九年四月以降、常用作業員)、同二九年八月、同営林署黒尊事業所へ配置替えとなり、同三五年六月、同事業所にチェンソーが導入されると同時にその使用による伐木造材作業に従事するようになり、退職した日の一か月前である同四二年六月末日まで、右作業を行つた。その間の昭和三五年末までと昭和四〇年二月以降は二人一組で一台のチェンソーを交替で使用し、昭和三六年から四〇年一月までの間は一人で一台のチェンソーを専用した。そのチェンソー使用時間は一日平均約二時間三〇分であるが、昭和三七、三八年の二年間は一日平均四時間であつた。その年間平均稼働日数は約一七〇日であつた(但し、昭和三六年三月に作業中、落石のため右足拇趾骨骨折等の負傷による入院治療で八三日間休業し、昭和三八年一二月、脊椎変形症兼坐骨神経痛<私病>のため四一日間休業した。)。

使用したチェンソーはマッカラー型で燃料満載時の重量が約一二キログラム、振動の強さは昭和四〇年までが約一〇G、それ以降は約三G(防振ハンドル装置つきのもの)であり、騒音の高さは約一一〇ホンであつた。

作業現場は標高四〇〇ないし六〇〇メートルの山林で、冬期の最低気温は零下四度余であつた。営林署の宿舎に居住し、作業現場近くまで自動二輪車で通勤した。伐木造材の技倆が優れ、その出来高は平均より上廻つていた。

2  チェンソー使用開始から三年七か月後の昭和三九年一月、自動二輪車を約二〇分運転した際などに、左手の第二ないし五指、右手の第三指に蒼白発作が発生し、そのころ事業所の主任に報告したことがあり、同年三月一九日の第一回特別健康診断時に、単車を運転して外気(摂氏七度)に全身を冷曝する検査を受けたところ、左手の第二、三指、右手の第三指に各蒼白発作が発症し、管理医住田武夫にその発症時には手指がしびれて幾分痛いが、単車の運転に伴なう手指等の運動は可能である旨訴えた。

同年五月一五日に第二回特別健康診断が行われ、単車で約八キロメートルを走行する検査(外気の温度摂氏一八度)を受けた際、左手の第二ないし第五指と右手の第二、三指に蒼白発作が発症し、管理医住田武夫に、手指に冷感があり、じやんじやんする感があること及び知覚と痛感の鈍麻があると訴え、血圧・脈膊数、心電図、橈骨と足背動脈の各検査結果では異常がなく、また手指及び腕関節機能は正常であつた。

右検査結果にもとづき、管理医からチェソソー使用作業のほか、それを使用しない作業を併用することが好ましいとの所見が出され、中村営林署はそれを斟酌して、被控訴人浜崎に対しチェンソー使用の伐木造材作業を一日平均1.8時間に軽減し、爾余はチェンソー使用がない集材作業等に従事させた。

昭和四一年、営林署へ勤務するかたわら、普通乗用自動車の運転免許を取得した。

3  昭和四一年九月二八日の第三回特別健康診断の際、上腕緊縛・冷水浸漬法によるレイノー現象誘発検査を受けたが発症がなかつた。

同年九月七日から翌四二年一一月一五日までの間に、八回にわたり黒尊事業所の主任あるいは管理医住田武夫から現場巡視等で面接を受けたが、うち五回に蒼白発作の発症があると訴え、他の三回を含む八回に手指のしびれと感覚鈍麻があると訴え、また腕(二回)・肘(二回)・手首(二回)のしびれと痛みを訴えた。しかし管理医からは前記2の所見のほかに、チェンソー使用の是非に関する所見がなかつた。

4  昭和四二年六月、黒尊事業所の下村敬雄主任に、退職して西土佐黒尊地区青木団地内で、親戚の室津計が営んできた鮮魚販売店を承継することをきめた旨告げて、退職願の書式を教えて貰い、同年七月初めから年休をとつて欠勤し、同月六日付で退職願書を提出し、同月末日付で退職し、そのころ退職金五九万六九三二円を受領した。退職当時ころの月給は約三万五〇〇〇円であつた。

5  右退職直後、前記室津計から店舗兼居宅を譲受けて鮮魚商を始め現在に至つた。毎日午前六時ころ貨物自動車(ライトバン)を運転して約四八キロメートル離れた中村市の市場へ赴いて鮮魚等を仕入れ、それを自動車で行商して廻り、午後三時すぎに自宅店舗へ帰り、夕方まで店で働いている。早朝から同被控訴人が帰宅するまでの間は妻が開店している。黒尊地区団地は人家が約一〇〇軒あり、魚屋はこの一店だけなので客から喜ばれ、それなりに繁盛している。

6  昭和四二年五月二四日にレイノー現象の公務上災害認定通知を受けてから、昭和五一年五月までの間は、毎月一回中村市から黒尊事業所へ出張して振動病等の診療を行つている管理医の診療を受けるよう営林署から勧告を受けたが、魚の行商に出るなどして受診しないことが多く、昭和四八年中に二回受診した程度で、それ以外は営林署から届けられた薬を服用するにとどまつた。昭和五一年六月から中村市の正木整形外科病院へ通院して治療を受けているが、その通院割合は昭和五三年までの間が一週間に一回程度、昭和五四年中は一週間に三回、同五五年以降は一週間に二回程度である。

昭和四八・四九年当時、レイノー現象の治療のため一日通院すると、療養補償金五四〇円、休業補償金一六九〇円、休業援護金五六〇円の合計二七九〇円を受領した。

7  右6のレイノー現象のための治療及び前記1の右足負傷と脊椎変形症等による治療を受けたほか、左記一覧表記載のとおり腰椎椎間板軟骨ヘルニア等で治療を受けた。

被控訴人浜崎恒見の私病とその治療状況一覧表(すべて通院)

番号

病名

診療開始期日

昭和年月日

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

腰椎椎間板・軟骨ヘルニア

四二・七・三一

住田整形外科

四四・二

継続

2

胃潰瘍

五〇・三・二〇

奥屋内診療所

五一・一

3

肝炎

五〇・一〇・二一

4

胃潰瘍・肝炎

五一・三・一〇

五一・五

5

腰痛

五一・五・一八

6

腰痛症

五一・五・二一

正木整形外科

7

胃潰瘍・肝障害

五一・八・七

木俵病院

8

左下腿痛

五二・九・五

正木整形外科

五二・九

以上のとおり認められる。被控訴人浜崎恒見は甲八〇号証及び原審当審における本人尋問で、営林署を退職した理由として、夜間、両肘がしびれるように痛んで安眠できず、眩暈が時々あり、耳鳴りが常時あつたため、あと三年勤続すると年金がつくがそれよりも身体の健康の方が大事なので退職した旨供述しているが、爾余の前記証拠によつて認められる、チェンソー使用によるレイノー現象の発症以降、退職時までの間における同被控訴人の健康と就労状況、症病の治療状況、事業所主任や管理医への訴え状況、退職した際の言動等と比較して、右供述は措信し難い。

二<証拠>によると、被控訴人浜崎は、高知県立宿毛病院内幡西地域健康医療センターの医師五島正規から、昭和四八年一一月二一日(第一回の受診)、同四九年一二月四日(第二回の受診)、同五〇年一二月一一日(第三回の受診)に、振動障害の診断を受け、自覚症状として、昭和三八年から四九年までの間の毎年冬期と三九年の夏期に手指に蒼白発作が発症したこと、両手の前腕、手・指にしびれがあり、両肘に疼痛があり、耳鳴と発汗亢進があると訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良のほか、左肘関節の変形(第一回の受診時)、筋力低下(第一、二回の受診時)、握力低下(第三回の受診時)があり、レントゲン写真所見で、両肘関節に仮骨化変形(第一回の受診)、骨増変形(第二回の受診)があり、聴力の損失がある(第一回の受診)とされ、総合判定として、振動病の進行段階基準三期(第一、二回の受診時)、二期ないし三期(第三回の受診時)に該当し、六か月程度の専門的治療で一定の回復が期待できる(第一回の判定)、症状にやや改善を認める(第二、三回の判定)とされたことが認められる。

当審における甲鑑定の結果は、五島医師の右所見に副うものであるが、それらの所見の基礎である五島医師及び甲鑑定人のチェンソー使用による振動障害の見解が一般の医学的知見と比較して特別なもので採用し難いことは、前記理由第五、第八の二で説示したとおりであること、昭和四八年一一月は被控訴人浜崎恒見の五六歳時で、営林署を退職してから六か年が経過しており、五島医師が指摘する症病には加齢によるものとみて不自然でないものが含まれること、昭和四八年当時、同被控訴人は振動障害の治療のため一日通院すると二七九〇円の補償金が得られたし、毎日中村市内へ鮮魚仕入れに赴いているので、その機会に同市内の管理医等で診療を受けることができたのに、昭和五一年五月まで、殆んど専門的な治療を受けなかつたこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島医師の右所見は援用できない。

三右一、二で認定した被控訴人浜崎の健康状態、就労状況、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害について医学的知見に、<証拠>、当審における甲乙鑑定の結果及び被控訴人浜崎恒見本人尋問の結果を総合すると、昭和五六年当時における被控訴人浜崎恒見の振動障害は、極く軽度の両手指の末梢循環障害があるだけで、蒼白発作の発症もなく、労働能力の減退を含む日常生活に対する支障はないこと、右以外の同時期における同人の疾病は、両肘関節症(中等程度)、両肘部管症候群(右は中等度、左は軽度)、頸椎症(軽度。以下の疾病につき同じ)、左膝関節症、左腹壁と右大腿軟部腫瘤、下腿静脈瘤、難聴、肝機能障害、末梢性ニューロパシー、本態性高血圧症があることが認められるが、末梢循環障害以外の右疾病がチェンソー使用を含む被控訴人浜崎の在職中の労働に起因するものであるとは認め難い。<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定と牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に被控訴人浜崎恒見指摘の疾病が営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認すべき正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として、控訴人に債務不履行があるとする被控訴人浜崎恒見の主張は理由がない。

第一九 亡大崎憲太郎の訴訟承継者被控訴人大崎禹米、同大崎暢彦、同甲斐佳子、同谷脇節子、同大崎睦子(以下、被控訴人大崎禹米ら五名という。)関係

一別表第一、番号12の亡大崎憲太郎に関する記載事項は当事者間に争いがなく、同人がレイノー現象の公務災害認定を受けるに至つた経緯及び高知営林局川崎営林署を退職した経緯等をみると、前記理由第三の二、(二)、2、5、第六の二、3、四の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

亡大崎憲太郎は

1  昭和二八年八月、高知営林局川崎営林署四手担当区事業所に造林手として就職し(昭和三〇年一〇月以降、常用作業員)、同三九年三月、同営林署藤の川担当区事務所に配置替となり、同年六月から昭和四二年一月までの間(但し、昭和四〇年二、四、五月、四一年四、五月の五か月はブッシュクリーナーを使用しない造林作業に従事。)及び同四四年四月から同年九月までの間、機械造林手としてブッシュクリーナーを使用し、下刈と除伐及び地ごしらえ作業に従事した(昭和四〇年三月中の五日間は地ごしらえ作業に穴掘機を使用した)。そのブッシュクリーナー使用時間は一日平均四時間で、一時間のうち一五分程度は使用を中止し休憩した。ブッシュクリーナーは、使用当初から昭和四一年三月までが日刈型で燃料満載時の重量11.3キログラム、昭和四一年四月から四二年一月までの間は、ホームライト型で重量が12.8キログラム、昭和四四年六月から九月までの間はフジロビン型で重量が8.3キログラムであつた。作業現場は標高二八〇ないし五五〇メートルで、冬期の最低気温が零下八度であり、西土佐村藤の川の住居から作業現場近くまで自動二輪車で通勤した。

2  第一回目のブッシュクリーナー使用による作業をやめてから二か年余後の昭和四四年三月三日午前七時すぎ、自動二輪車を運転して出勤してきた際、左手の第三、四指に蒼白発作が発症し、居合わせた同療もそれを現認した。同年一〇月九日午前九時前に自動二輪車で川崎営林署へ赴いた際、左手の同じ部位に同じ発症があり、居合せた職員が現認した。

同年一一月一四日に健康診断が行われ、全身冷曝検査を受けた時、左手の第三、四指に蒼白発作が誘発され、両手指にしびれがあると訴え、管理医は薬剤等による治療が必要と診断し、就業は可との所見を出した。

なお、同年六月四日と一〇月三〇日、振動障害の問診を受けた際、手指の蒼白発作の発症があつたことを訴え、上肢のしびれと痛みがよくあるかとの問に消極の返答をした。

3  昭和四四年一〇月以降、ブッシュクリーナーを使用しない造林作業に従事し、一か月平均一九日程度出勤した。同四五年七月、勤務のかたわら普通自動車の運転免許を取得した。

昭和四六年一一月中旬、藤の川担当区事業所の中澤主任に、郷里の葉山村で義兄(妻の同胞の夫)の日用雑貨店を引き継ぐことになつたので、営林署を退職したい旨告げ、同主任から給与金額も次第に増加するので退職を見合わせるよう勧められたが固執し、退職願の書式を教わり、同年一二月三日、退職願を提出し、同年一二月一〇日に任意退職し、退職金九八万六〇六〇円を受領した。退職当時の月給は約四万円であつた。

4  右退職後、直ちに帰省し、義兄の店を引継いで日用雑貨店を営み、自宅の近くで交通事故に遭つて死亡するまでの約一三年間を通じて、三日に一回の割合で軽四輪自動車を運転して須崎市まで往復して商品の仕入れを行い、注文に応じて酒類等を自動車で配達していた。

5  レイノー現象の治療のため西土佐村の大宮診療所へ昭和四四年度に一回、四五年度に八回、四六年度に一回、それぞれ通院し、四七年度には全く治療に赴かず、四八年一一月から死亡した五四年一一月までの間は、須崎市の古谷病院(四八年一一月から四九年一〇月まで)と高陵病院(昭和四九年一一月から死亡するまで)へ年平均四〇回(一〇日に一回の割合)で通院した。

6  右5の治療のほか、左記一覧表のとおり胃潰瘍その他の疾患で治療を受けた。

亡大崎憲太郎の私病とその治療状況一覧表

番号

病名

診療開始期日

昭和年月日

形態

病院

転帰期日

昭和年月

区分

1

胃潰瘍

四二・二・二七

通院

中央診療所

四三・二

中止

2

高血圧症

四三・二・二三

3

高血圧症・頸腕神経痛

四四・三・二〇

河本医院

四六・四

継続

4

胃潰瘍

四四・四・三

5

リウマチ

五〇・八・五

高陵医院

五一・三

6

高血圧

五二・四・五

通院

杉の川診療所

五三・一

7

左膝神経痛

五二・四・二八

五二・一一

8

肋間痛・左肩周囲炎

五二・八・三〇

高陵病院

五二・一〇

9

両耳管狭穿症・

神経性耳鳴・難聴

五三・一・二〇

天野医院

五三・二

10

高血圧

五三・四・一

杉の川診療所

五三・八

11

動脈硬化症

五三・九・一四

前田病院

五三・九

12

高血圧

五四・九・二一

杉の川診療所

五四・九

13

腹部外傷等

五四・一一・二五

近森病院

五四・一一

死亡

以上のとおり認められる。亡大崎憲太郎は、甲七八号証と原審における本人尋問で、営林署を退職した理由として、白ろう病のため、左の手首がしびれて地ごしらえ用の鎌の柄をしつかり握れず、作業が遅れて同僚に気がねし、健康を考えていた折、義兄が病気になりその店を手伝う話が持ちこまれたので、退職した旨供述し、被控訴人大崎禹米本人は、当審でそれに副う供述をしているが、爾余の前記証拠として比較して、右供述は措信できない。

二<証拠>を総合すると、亡大崎憲太郎は、高知県立宿毛病院内幡西地域健康医療センター医師五島正規から、昭和四八年一一月二一日(第一回の受診)と同四九年一二月五日(第二回の受診)に振動障害の診断を受け、自覚症状として、昭和四一年から四六年までの間に手指の蒼白発作があり、左手と指にしびれが、左前腕に疼痛があり(第一回の受診時)、左肩の両膝関節に疼痛があり、立ちくらみもある(第二回の受診時)、発汗亢進があると訴え、他覚的所見として、末梢神経鈍麻と末梢循環機能不良のほか、握力低下、聴力損失があり、総合判定として、振動病進行段階基準二期に相当し、温浴・物理療法による治療が必要(第一回の受診時)、同基準一期で前回に比べ改善を認める(第二回の受診時)とされたことが認められる。

当審における甲鑑定の結果は、五島医師の右所見に副うものであるが、五島医師や甲鑑定人のチェーン使用による振動障害についての見解を採用できないことは前記理由第五及び第八の二で説示したとおりであること、亡大崎憲太郎はレイノー現象の認定を受けた昭和四五年一月から五島医師の第一回目の診断を受けた四八年一一月までの三年一〇か月間、通算一〇回通院治療を受けたにとどまり、しかもその間昭和四五年七月に普通自動車の運転免許を取得し、さらに営林署を退職してから死亡するまでの約八年間、日用雑貨店の経営に伴なう商品の仕入れや配達のため日常的に自動車を運転していたこと、さらには当審における乙鑑定の結果と比較して、五島正規の右所見は採用できない。

三右一、二で認定した亡大崎憲太郎の健康状態、就労状況、疾病とその治療に関する事実及び前記第五で認定したチェンソー使用による振動障害についての医学的知見に、<証拠>を総合すると、亡大崎憲太郎は、死亡直前昭和五四年一一月当時における振動障害として極く軽度の手指の末梢循環障害があるだけで、労働能力の減退を含めて日常の生活に支障はなかつたこと、右時期におけるその他の疾患として、手の感覚障害・握力低下・上肢のしびれと疼痛・頸腕神経痛・難聴(以上、いずれも程度不明)、尿蛋白(軽度、以下同じ)・胃潰瘍・高血圧症・レントゲン写真での左拇指・中手指関節症様所見があつたことが認められ、手指の末梢循環障害以外の右疾患は亡大崎憲太郎のチェンソー使用を含む営林署在職中の労働に起因するものであるとは認められない。<証拠>、当審における甲鑑定の結果中、右認定の牴触するところは爾余の前記証拠と比較して採用できず、他に右認定を覆えし、被控訴人大崎禹米ら五名指摘の疾病が亡大崎憲太郎の営林署在職中の労働に起因するものであることを肯認できる正確な証拠はない。

よつて、右疾病を前提として、控訴人に債務不履行があるとする被控訴人大崎禹米ら五名の主張は理由がない。

第二〇  (難聴について)

被控訴人らが主張している振動障害として認定されたもの以外の障害とは主として甲鑑定が指摘している振動に随伴する(1)騒音による健康障害、(2)頸肩腕症候群、(3)腰痛症を指すものと解されるところ、右の(2)と(3)の障害は振動障害に固有のものでなく私傷病、加齢によるものは勿論他の職場でも発生し易いものであつてその公務起因性を認める甲鑑定の結果は、乙鑑定の結果と比較して採用し難く、他に公務起因性を肯認すべき正確な証拠がないので問題とすることができないが、(1)の難聴は甲鑑定の結果は勿論乙鑑定の結果によつても(亡安井を除く)被控訴人らの大部分に生じており、難聴は騒音の中におり続けると生ずることが多いので、被控訴人らの難聴がチェンソー等使用のために生じたとみられる余地はあるが、本件訴訟は振動によるレイノー現象を中心に審理され難聴について詳しい審理が行われていないので判断できないのみならず乙鑑定の結果によると亡大崎には耳管狭窄があつたことが認められるので控訴人の責任を問うことができず、また<証拠>によると被控訴人下村と亡大崎以外の被控訴人らが五島医師に難聴とか耳鳴りを訴えたことが記載されているが、被控訴人らの労働災害認定の資料とされた甲三号証の一ないし九、一〇の全枝番の証拠によると、被控訴人下元が昭和四〇年五月二五日神経性難聴と診断されたことがある以外難聴を認めうる資料がないこと、乙鑑定の結果によると被控訴人下元と田辺の難聴は生理的老化現象によるものであること、その余の被控訴人らの難聴もほとんど軽度であることが認められ、控訴人の責任を問わねばならぬ程度のものとは認めがたく、かつ既に認定したごとく林野庁はチェンソー等の使用開始当初のころから騒音を減少さすため被控訴人らに耳栓の使用を命じその予防対策を講じていたのであるからチェンソー等の使用と難聴との間にたとえ相当因果関係があるものとしてもこれを控訴人の責任とすることはできないのでこれを理由とする被控訴人らの請求を認めることはできない。

第二一  (国家賠償法二条、一条、民法七一五条による責任について)

被控訴人らは林野庁が被控訴人らにチェンソー、ブッシュクリーナーを使用させ振動障害を生じさせたこと、使用させるに当たり作業時間等を規制し業務上疾患の予防措置を講じ、被控訴人らの身体に対し振動障害の発症を防止すべき義務があつたのに、それらの規制、予防措置を講じなかつたことが国家賠償法二条にいう営造物の設置の瑕疵又は管理の瑕疵があるというが、右にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは当該営造物が通常有すべき安全性を欠くとかその管理に不適切なものがある場合のことをいうところ、本件チェンソー等は伐木造材や植林を行うに際し、従前の人力に代えて使用されるに至つた道具であり、それ自体兇器でなく、危険なものではないから、これを使用させたからといつて営造物の設置の瑕疵又は管理に瑕疵があつたということはできないのでこの点に関する被控訴人らの主張は採用できない。

また国家賠償法一条、民法七一五条に基づく請求はいずれも当該職務遂行に当たつた公務員に故意または過失を要するところ、前記第四ないし第二〇で判断した控訴人に故意又は過失がないという判断は控訴人の使用している公務員についてもそのまま妥当しこれを変更すべきものとは考えられないので、その理由をそのままここに引用し、これらを理由とする被控訴人らの主張は認めがたい。

第二二  (結び)

以上のとおり、被控訴人らの本件各請求は理由がないからこれを棄却すべく、右と異なる原判決は失当であるから民事訴訟法三八六条により原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人らの本件各請求を棄却する。

被控訴人らが原判決の仮執行宣言に基づき控訴人より控訴人主張の各金員を受領したことは当事者間に争いがない。

しかし原判決中、控訴人の敗訴部分が取消しを免れないことは前記説示のとおりであり、被控訴人らは控訴人に対し原判決の仮執行宣言にもとづき執行した控訴人指摘の各金員及びこれらに対する右執行日の翌日である昭和五二年七月二九日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきものであるから控訴人の申立に基づき民事訴訟法一九八条二項により被控訴人らにその支払を命ずることとする。但しこの部分については本判決の確定を俟つて執行するのが相当であるから仮執行の宣言はこれを付さない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九六条前段、九三条一項本文但書を適用して主文のとおり判決する。

(菊地博 滝口功 渡邊貢)

(別表)第一

被控訴人らの経歴目録

番号

氏名

生年月日

(退職時の

年齢)

入署時期

退職時期

国家公務員

災害補償法八条による通知日

災害発生日

とされて

いる日

公務災害の

認定傷病名

退職時

所属

した

営林署

1

松本勇

明治四四年

一二月一日

(五七)

大正一三年

六月二〇日

昭和四四年

九月三〇日

昭和 四四年

九月八日

昭和四四年

五月三〇日

レイノー現象

大正

2

田辺重実

同四四年

七月二八日

(五八)

昭和三年

六月二日

同四四年

九月三〇日

同四四年

九月八日

同四四年

五月二七日

関節炎

3

岩崎松吉

同四四年

一二月六日

(五九)

同一七年

六月一日

同四五年

一二月七日

同四五年

三月一〇日

同四四年

一二月二三日

レイノー現象

4

山中鹿之助

同三九年

六月一〇日

(六三)

同二四年

四月

同四四年

九月三〇日

同 四二年

三月四日

同四一年

四月六日

高知

5

下元一作

大正四年

一〇月一八日

(五〇)

昭和二七年

八月二日

昭和四一年

四月二六日

昭和四一年

六月三〇日

昭和四〇年

四月五日

松山

6

安井計佐治

同五年

一一月二〇日

(五〇)

同二七年

四月一日

同四二年

九月三〇日

同四二年

一一月二四日

同四一年

一月四日

大栃

7

岡本吉五郎

明治三六年

一一月五日

(六一)

同二六年

一一月一日

同四〇年

六月二一日

同四一年

一二月七日

同四〇年

三月一五日

魚梁瀬

8

加納勲

同四〇年

一一月一二日

(六一)

大正一五年

四月一日

同四四年

四月一日

同四五年

四月一〇日

同四五年

三月八日

高知

9

三笠寅藏

同三七年

一一月一〇日

(六三)

昭和二七年

五月二一日

同四三年

四月一日

同四三年

七月二六日

同四三年

五月二三日

大栃

10

下村博

昭和六年

三月二六日

(三九)

同二七年

四月二一日

同四五年

四月三〇日

同四四年

一月一四日

同四三年

一二月一七日

レイノー現象

(手指)

野根

11

浜崎恒見

大正六年

三月二〇日

(五〇)

同二五年

四月一日

同四二年

七月三一日

同四二年

五月二四日

同四〇年

三月一九日

レイノー現象

中村

12

大崎憲太郎

同九年

一月一二日

(五一)

同二八年

八月二一日

同四六年

一二月一〇日

同四五年

一月九日

同四四年

一一月一四日

川崎

(別表)

第二  振動障害研究所見発表等年表

(昭和四一年七月、人事院規則一六-〇、一〇条、別表第一改定までの関係所見等)

暦年

文献や学会で発表された所見

〔上段…整理番号、所見者名、学会名、外国名。

下段…所見の概要〕

備考

日本暦

西欧暦

日本関係

証拠

外国関係

証拠

嘉永二

一八四九

米国で最初に、さく岩機を製作

明治二〇

一八八七

日本の佐渡鉱山で外国産のさく岩機を使用し効果をおさめる。

〃三八

一九〇五

米国で最初にチエンソー(ギヤドライブ式のツーマンソー)が製作された。

〃四四

一九一一

(201)ロリガ…イタリヤさく岩機使用坑夫等の手指に発症のレイノー現象

大正七

一九一八

(202)ハミルトンら…アメリカ石灰鉱山等のさく岩機使用石切工らに発症の局部血管神経症

乙三二五号証

昭和六

一九三一

(203)シーリング…ドイツ

圧縮空気ドリル使用の鋳物切削工にみられる血管障害(白指)筋肉と骨・関節に対する局所振動障害

乙三二六号証

〃 九

一九三四

(204)ロリガ…スイス、

アイエルオー出版空気振動工具使用者にみられる局所振動障害

乙三二八号証

〃一一

一九三六

(205)ハント…イギリス

レイノー現象は局所疾患であること等

乙三二九号証

〃一三

一九三八

(1) 村越久男

鋲打工員に発症の局所振動障害

〃一四

一九三九

(2) 石西進

ジヤツクハンマー使用工夫の上肢の局所障害

〃一八

一九四三

(3) 木村政長

鋲打工員の上肢末端部の血行障害

(4) 松藤元

空気振動工具、電気振動工具使用者の局所振動障害

〃二〇

一九四五

(206)ハンター…イギリス

空気振動工具使用による局所振動障害の臨床的検査等

乙三三〇号証

〃二一

一九四六

(207)ダートとペータース…アメリカ

航空機研磨作業者の身体に対する空気振動工具、電気振動工具使用による影響の調査

乙三三二号証

〃二二

一九四七

(208)アガテ…イギリス

偽レイノー病

(301)ガラニナら…ソ連

振動障害にみられる血管反応

〃二三

一九四八

日本国産チエンソーの製作がはじまる。

〃二八

一九五三

(5) 三浦豊彦ら

造船所、鉱山、自動車工場の填隙工、鋲打工等空気振動工具、電気振動工具使用者につき障害(自覚症)調査

甲 六五号証

乙二七二号証

(209)マーシヤル…イギリス

鋳造工場、造船所、製靴工場で多数のレイノー現象有症者を発見

乙三三五号証

〃二九

一九五四

(210)労働災害諮問委員会…イギリス

レイノー現象の職業病指定に消極

乙二九四号証

〃三〇

一九五五

(6) 所知雄ら

空気振動工具、電気振動工具使用作業員の振動障害(レイノー症候群)調査

甲四〇号証

〃三一

一九五六

ソ連で立木伐倒に初めてチエンソーを使用(乙二七七号証)

〃三二

一九五七

(7) 原田正

手持ち空気振動工具等の使用による上肢障害

乙二七七号証

〃三三

一九五八

控訴人の労働省内に振動

障害研究班(班長三浦豊彦)を設置、昭和三四年まで。

(乙二九一号証)

〃三四

一九五九

(8) 三浦豊彦

さく岩機の振動許容水準の発表

甲 六八号証

乙二七七号証

〃三五

一九六〇

原田、松岡、鈴木、安芸、桜井、矢守、奥谷、六鹿ら振動工具の使用による局所振動障害につき所見を発表

乙二九一、

三〇二号証

(211)ペコーラら…アメリカ

空気振動工具、電気振動工具使用者の職業性レイノー現象の調査

乙三三二号証

国際労働衛生学会…ニユーヨーク

ルーマニヤ、カナダから両国における空気振動工具による局所振動障害を報告

原審証人久保田重孝の証言

〃三六

一九六一

(9) 三浦豊彦

空気振動工具、電気振動工具による人身障害

(総説)

甲 六八号証

(302)ガラニナら…ソ連

振動病、ガラニナ分類

乙二九八号証

日本国有林の造材作業中、約七五パーセントにチエンソーが使用される。

(10) 松藤元

空気振動工具、電気振動工具の振動が使用作業員の身体に及ぼす影響

甲 六九号証

(303)ドロギチナとメトリナら…ソ連

振動病、ドロギチナ・メトリナ分類

乙二九七、

二九八号証

〃三七

一九六二

岡田晃ら

振動工具の振動伝播と振動作業者の自覚症

乙二九一号証

〃三八

一九六三

国際労働衛生学会…マドリツド

イタリヤ、カナダ、フインランド、ルーマニヤ等から空気振動工具使用による局所的骨、関節皮膚温

の変化等につき報告

原審証人

久保田重孝の証言

林野庁委託の労研によるアンケート調査実施。

控訴人雇用の造材手一六八名(5.7パーセント)、造材手五一名(ブツシユクリーナー使用者の1.0パーセント)が手指等の蒼白発作の有症を訴える。

(乙一三号症)

長野営林局坂下営林署の造材手四人が手指の蒼白を訴え、坂下病院長(管理医)窪田鋭郎が職業性疾患を否定。

(甲一七四号証の一、乙一五七号証)

〃三九

一九六四

(212)グラウンズ…オーストラリア

チエンソー使用の伐木手にレイノー現象が発症していることを報告

乙二八三号証

〃四〇

一九六五

(101) 山田信也ら

チエンソーの振動による手指蒼白・痛み・しびれ

甲一八〇号証

NHKがテレビで長野営林局(裏木曽)

造材手の白指発作を白ろう病と呼び放映

(11) 山田信也ら

日本産業医学会三八回総会でチエンソーの振動による手指の蒼白現象発症を報告

乙二一三号証

控訴人の労働省が関東営林局沼田営林署の造材事業現場等で造材手の白指発作を調査(原審証人久保田重孝の証言)。 控訴人の労働省が労働基準法施行規則三五条一一号の工具にチエンソー等が含まれるとの通達を発布。 労働科学研究所が林野庁長野営林局坂下など三営林署管内の造材手中、手指の蒼白現象有症訴え者を調査 (甲一六六号証)。

日本産業衛生協会内に局所振動障害研究会(委員長三浦豊彦)設置。

(12) 三浦豊彦

白ろう病-職業性レイノー症候群-

甲 六二号証

〃四一

一九六六

(12-2) 三浦豊彦

振動工具による振動障害とその対策、予防

乙四一、三〇二号証

(213)国際労働衛生学会…ウイーン フランス、西ドイツ、オランダ、ソ連、ポーランド、ルーマニア、ブルガリヤ、日本からチエンソーその他の振動工具使用による人体への影響等につき報告

原審証人

久保田重孝の証言。

乙二二三号証の二

人事院規則一六-〇、別表一を改め、チエンソー等使用による人身障害を公務災害と定める。

(13) 三浦豊彦ら

局所振動障害としての職業性レイノー症候群

乙三〇二号証

日本産業医学会三九回総会にチエンソーその他の振動工具による人身障害について一七題の報告が提出される。

乙二一四号証の一

(304)ソ連保健省

ソ連における振動障害防止規則

乙一六一号証

〃四二

一九六七

岡田晃、山田信也らほか多数日本産業医学会四〇回総会と日本医学会一七回総会衛生関係六分科会連合学会で振動

障害の人体に及ぼす影響と診断等につき多数の報告を提出

乙二一四号証の二

〃四三

一九六八

斉藤和雄ら

日本産業医学会四一回総会でブツシユクリーナーの生体に及ぼす影響等を発表

乙二一四号証の三

(別表)第三の一

チエンソー作業調査表回答者数

局名

発送数

回答数

職種別回答者数比率

事業課長

機械係

事業所

主任

指導員

伐木

造材手

不明

熊本

50

31

9.68

9.68

6.45

0

74.13

0

高知

25

0

0

0

0

0

0

0

大坂

50

48

6.25

0

22.92

10.41

60.43

0

名古屋

50

50

14.00

6.00

14.00

6.00

60.00

0

長野

50

0

0

0

0

0

0

0

東京

50

44

11.36

0

15.91

4.55

68.18

0

前橋

40

40

5.00

0

10.00

5.00

80.00

0

秋田

60

57

0

5.26

14.04

14.04

64.91

1.75

青森

60

60

0

1.67

11.67

3.33

81.66

1.67

函館

50

49

20.41

8.16

24.49

16.33

30.61

0

札幌

60

60

6.67

8.33

8.33

13.34

60.00

3.33

旭川

60

58

15.52

1.72

15.52

13.79

48.28

5.17

帯広

60

56

7.14

3.58

12.50

7.14

62.50

7.14

北見

50

50

2.00

0

6.00

10.00

76.00

6.00

715

603

7.96

3.65

13.60

9.12

63.35

2.32

(別表)第三の二(1)

振動の自覚症状別訴え人数

しびれ

蒼白

しびれ

蒼白

関節痛

筋肉痛

局名

熊本

21.9

0

3.1

31.3

37.5

大阪

25.6

2.6

2.6

20.5

43.6

名古屋

26.0

4.0

0

6.0

22.0

東京

24.2

0

0

6.1

12.1

前橋

40.5

0

0

10.8

21.6

秋田

36.2

0

0

13.8

13.8

青森

41.4

1.7

3.5

15.5

10.3

函館

35.6

2.2

4.4

24.4

20.0

札幌

29.1

0

0

10.9

16.4

旭川

18.2

0

0

3.3

15.2

帯広

23.4

0

0

10.6

21.3

北見

34.0

2.0

0

10.0

4.0

全国

30.5

1.1

1.1

13.4

18.8

(別表)第三の二(2)

経験年数別・振動の自覚症状別の訴え人数

しびれ

蒼白

しびれ

蒼白

関節痛

筋肉痛

経験

年数

~0.5

100.0

0

0

22.8

14.0

0.6~1.0

62.7

4.7

5.8

16.3

23.3

1.1~1.5

83.3

0

2.6

15.4

46.2

1.6~2.0

96.1

0

0

58.8

43.1

2.1~2.5

41.7

10.0

6.7

48.3

38.3

2.6~3.0

79.2

8.3

4.2

20.8

50.0

3.1~3.5

89.6

4.2

4.2

45.8

41.7

3.6~4.0

37.5

0

12.5

0

0

4.1~

29.2

0

0

20.8

33.3

平均

74.1

3.2

3.4

29.8

34.2

第三の二(3)

しびれに対する経験年数別・身体部位別の訴え人数

手首

前腕

上肢

経験

年数

~0.5

24.00

28.00

28.00

40.00

56.00

48.00

8.00

0

0.6~1.0

6.67

30.00

16.67

20.00

26.67

36.67

13.33

13.33

1.1~1.5

32.33

44.44

29.63

48.15

18.52

22.22

22.22

14.81

1.6~2.0

14.81

29.63

29.63

33.33

18.52

40.74

7.41

11.11

2.1~2.5

14.29

23.81

19.05

19.05

14.29

19.05

9.52

4.76

2.6~3.0

3.75

13.75

8.75

6.25

7.50

7.50

5.00

3.75

3.1~3.5

38.10

52.38

28.57

28.57

33.33

47.62

14.29

9.52

3.6~4.0

0

100.00

0

100.00

0

100.00

0

0

4.1~

0

25.00

50.00

50.00

0

25.00

0

25.00

平均

21.34

39.63

28.00

34.15

29.27

37.81

14.02

10.93

(別表)第三の二(4)

蒼白に対する経験年数別・身体部位別の訴え人数

手首

前腕

上肢

経験

年数

~0.5

0

0

0

0

0

0

0

0

0.6~1.0

0

0

0

0

0

0

0

0

1.1~1.5

0

100.00

100.00

0

0

100.00

0

100.00

1.6~2.0

0

0

0

0

0

0

0

0

2.1~2.5

50.00

100.00

0

50.00

0

50.00

0

50.00

2.6~3.0

0

50.00

50.00

0

0

0

0

0

3.1~3.5

100.00

100.00

0

0

0

0

0

0

3.6~4.0

0

0

0

0

0

0

0

0

4.1~

0

0

0

0

0

0

0

0

平均

33.33

83.33

33.33

16.67

0

33.33

0

33.33

第三の二(5)

しびれ・蒼白に対する経験年数別・身体部位別の訴え人数

手首

前腕

上肢

経験

年数

~0.5

0

0

0

0

0

0

0

0

0.6~1.0

0

50.00

100.00

0

0

50.00

0

50.00

1.1~1.5

0

0

0

0

100.00

100.00

0

0

1.6~2.0

0

0

0

0

0

0

0

0

2.1~2.5

0

100.00

0

100.00

0

100.00

0

100.00

2.6~3.0

0

0

0

0

0

0

0

0

3.1~3.5

50.00

0

50.00

0

0

0

0

50.00

3.6~4.0

0

0

0

0

0

0

0

0

4.1~

0

0

0

0

0

0

0

0

平均

16.67

33.33

50.00

16.67

16.67

50.00

0

50.00

(別表)第四

昭和38年実施のアンケート調査

指のしびれと蒼白発作

機械

地域

訴え率(全体)

指のしびれを訴える者の中

そう白を訴える者の数

指の蒼白

指のしびれ

チエンソー

北海道

3.1

11.1

11.1

東北

2.4

8.8

9.5

関東

4.8

9.1

38.9

中部

11.4

22.8

37.7

西部

7.1

12.9

45.7

全国

5.6

12.6

31.7

刈払機

北海道

1.5

26.6

4.8

東北

0.6

9.5

4.1

関東

0.7

9.1

4.7

中部

1.0

22.0

4.5

西部

0.9

7.7

10.0

全国

0.9

15.5

4.8

其の他

集材機

トラクター

全国

0.6

2.2

16.4

(別表)

第五 高知営林局管内チエンソー使用作業員の

レイノー症候の公務上外認定に関する人事院との協議

(一) 公務上外の認定についての協議状況

協議月日

(施行日)

協議対象者

被控訴人ら一二名との関係

雇用区分

職種

人員

四〇、六、一

常用作業員

伐木造材手

四人

〃 七、二三

一二

浜崎恒見が含まれている

〃 八、五

下元一作 〃

小計

二一

四一、八、一七

山中鹿之助

〃 一〇、一三

〃 一〇、二七

小計

二四

(二) 公務上の認定承認状況

承認年月日

承認番号

人員

被控訴人との関係

協議年月日

四一、五、一三

四〇林野厚第二七七号

一名

下元一作

四〇、八、五

〃  九、二七

四一 〃   四七六〃

〃 七、二三

〃一一、一二

〃   〃   六一九〃

〃 六、 一

〃 〃  〃

〃   〃    〃  〃

〃 七、二三

四二、五、一〇

四〇 〃   二七七〃

浜崎恒見が含まれる

〃 〃 〃

〃 〃  〃

〃   〃    〃  〃

〃 八、五

小計

一二

四一、一一、二八

四一林野厚第七九九号

四一、一〇、一三

四二、二、二七

〃  〃    六七四〃

山中鹿之助

〃   八、一七

〃 三、一〇

〃  〃    八二七〃

〃 一〇、二七

小計

一五

(別表)

第六 昭和四〇年以後における振動障害に関する医学的知見年表

( )の数字は別表第二の( )の数字と連続する整理番号。

文献学会報告等の下に、

とあるのは全身的疾病説、

とあるのは局所的疾病説、記載がないのはそのいずれの

見解に立つ所見か明確でないものを示す。

日本暦

西洋暦

日本関係

証拠

外国関係

証拠

昭和

四〇

一九六五

(14) 根岸龍雄、船木継美

鉱山における振動障害

甲六二号証

(15)松藤元

鉄道における振動作業と障害

(102) 鎌田正俊

職業性レイノー現象

四四

一九六九

(103) 高松誠、渡部真也

職業病とその対策

--ガフニナ--ら分類など

甲六六号証の一ないし三

(104) 山田信也

振動障害の経過

甲一八二号証

四五

一九七〇

(16)三島好雄

振動工具使用者にみられる

レイノー症状の推移

甲二一五号証

(214)スチユワートとゴータ---イギリス

振動症候群

乙三三五号証

(105)高松誠

全身性疾患としての白ろう病

乙二一九号証

四六

一九七一

(305)ドロギチナら---ソ連

産業における振動

乙二九七号証

四七

一九七二

(106)渡部真也、山田信也

ソ連林業における振動病の対策と研究

乙二九九号証

(215)リドストローム---スエーデン

スエーデンにおける最近の振動作業

の医学的見地

乙二八五号証と当審証人

ウイリヤム・テーラーの証言

四八

一九七三

(17)三浦豊彦

振動工具による振動障害とその対策

乙三〇三号証

(216)ウイリヤム・テーラーら---イギリス

産業における振動による白指

甲二〇六号証

乙二八六号証の一

(107)山田信也

振動障害予防の衛生的基準について

甲一八三号証

(18)石田一夫ら

振動障害の治療

乙三〇三号証

四九

一九七四

(217)労働災害諮問委員会--イギリス

第二次答申

乙二八一号証

五〇

一九七五

(218)ウイリヤム・テーラー--イギリス

チエンソー作業者のレイノー現象に

ついての長期研究

乙二八三号証

(305)メートリナら---ソ連

産業における振動

メートリナら分類

乙二九七号証

但し日本語訳本

五一

一九七六

(108)山田信也・高松誠

いわゆる白ろう病

甲一八五号証

(109)高松誠・的場恒孝

振動病の診断と治療

甲一三二号証

乙二一七号証

五三

一九七八

岩田弘敏

振動症候群

甲二三四号証

五四

一九七九

(110)的場恒孝

振動病と自律神経?内科的立場から?

甲一三一号証

五五

一九八〇

(19)斉藤和雄・斉藤幾久次郎ら

職業病としての振動障害

乙二七七号証

(219)ウイリヤム・テーラーら---イギリス

チエンソー作業者の振動による白指

乙二八四号証

五六

一九八一

(220)労働災害諮問委員会---イギリス

第三次答申

乙二九三号証

(221)手腕振動に関する第三回国際

シンポジウム--カナダ国オタワ市

乙二八七、二九五号証

五七

一九八二

(20)石田一夫

振動障害防止のための健康管理

乙三〇四号証

(21)岡田晃・鈴木勝己

振動障害

乙二九一号証

五八

一九八三

(222)局所振動の手腕以外の影響に

関する国際労働衛生学会---ロンドン

乙三一九号証

(別表)

第七

一 高知営林局が講じた防寒、保温措置等

品名

防寒テント

保温設備(小屋)

防寒防振手袋

保温水筒(ジヤー)

防寒衣

備付時期

昭和四四年

一〇月

昭和四四年

一〇月

昭和四四年

一一月

昭和四五年

一月

昭和四五年

二月

数量

一二五張

七五棟

七三二双

四三七個

六一八着

二 高知営林局における通勤バスの導入状況

(括弧内の数字はミニバスの内書)

年度別

昭和四三年度

昭和四四年度

昭和四五年度

昭和四六年度

昭和四七年度

昭和四八年度

昭和四九年度

保有台数

計(台)

一九

二八

三八

四四

六〇

七四

製品部門(台)

一九

二七

三二

(一)

三四

(二)

三七

(五)

四八

(一六)

造林部門(台)

(五)

一〇

(一〇)

二三

(二三)

二六

(二六)

(別表)

第八  林野庁関係のチエンソー等使用による

公務上疾病罹患認定者数の推移と症状区分

一  認定者数の年度別推移

区分

全局

高知局

年度

認定者数(人)

認定者累計(人)

認定者数(人)

認定者累計(人)

四〇

四一

一七七

一八六

二〇

二〇

四二

一二六

三一二

一四

三四

四三

一七二

四八四

二五

五九

四四

五五八

一、〇四二

一一七

一七六

四五

一三九

一、一八一

二六

二〇二

四六

七〇

一、二五一

一六

二一八

四七

九一

一、三四二

一三

二三一

四八

四三九

一、七八一

一〇二

三三三

四九

七八八

二、五六九

一五九

四九二

五〇

四〇八

二、九七七

四二

五三四

五一

二〇一

三、一七八

一六

五五〇

五二

一九五

三、三七三

五五三

五三

八七

三、四六〇

五六〇

二 認定者の症状区分

区分

全局

高知局

年月

症状なし

軽症

(Ⅰ~Ⅱ期)

重症

(Ⅲ~Ⅳ期)

症状なし

軽症

(Ⅰ~Ⅱ期)

重症

(Ⅲ~Ⅳ期)

五一年

一〇月

認定者数

二三六

二、二六一

四四四

二、九四一

三八

三三三

一四一

五一二

割合(%)

七七

一五

一〇〇

六五

二八

一〇〇

五二年

六月

認定者数

三八一

二、三五四

四〇八

三、一四三

七八

三三三

一二三

五三四

割合(%)

一二

七五

一三

一〇〇

一五

六二

二三

一〇〇

五三年

六月

認定者数

四二六

二、三九四

四二一

三、二四一

一〇五

三〇六

一二七

五三八

割合(%)

一三

七四

一三

一〇〇

一九

五七

二四

一〇〇

(注) 死亡者、症度不明者を除く。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例